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報知が伝えた60年

主役再び

高見山(現東関親方) 史上初の外国人力士が明かす数々の秘話

親方として最後の本場所を前に思い出を語る東関親方(カメラ・加地豊)

 ◆6月に65歳定年
  もし、この男がいなければ、朝青龍も白鵬も曙も武蔵丸も誕生していなかったはずだ。ハワイからたった一人で日本の国技・大相撲に入門したジェシー・ジェームス・クハウルアは、高見山と名乗り史上初の外国人関取となった―。引退後も横綱・曙らを育成するなど角界に多大な貢献と足跡を残した東関親方(64)が、6月16日に65歳の定年を迎える。師匠として最後の本場所となる大相撲夏場所(5月10日初日・両国国技館)の番付発表となった27日、数々の秘話を明かした。(福留崇広)=2009年4月28日掲載=

 ◆米大統領の祝電に感激
  その日、大相撲250年の歴史に新たな幕が開いた。1972年7月16日、名古屋場所千秋楽で外国人初の幕内優勝力士が誕生した。翌日付の報知新聞は「高見優勝、米大統領も祝電」と1面で報じている。

 「大きな目から直径1センチほどの涙がどっと吹き出た。『これ、涙じゃないよ。汗です』」。

 記事中の名セリフは後に青春ドラマで「涙は心の汗だ」と引用された。あの言葉の裏には、修業時代の思いがあった。

 「昭和41年(66年)の幕下時代。部屋でのぶつかりげいこがいつまでも終わらないの。大勢のお客さんの前で泥まみれになって恥ずかしいと思ったら涙が出てきた。そうしたら座敷にいた東富士さん(元横綱)が“泣いているのか!”ってしかるから、“違います。これ涙じゃない汗です”って答えたんですよ。あのセリフはその時を思い出したんですよ」

 優勝した表彰式では当時のリチャード・ニクソン米大統領からの祝電が読み上げられた。

 「電報はニクソン大統領だけじゃなかったんです。この年は11月に大統領選挙があって、共和党のニクソンに対抗する民主党の候補(ジョージ・マクガヴァン上院議員)からも届いていたんです」

 あの祝電には大統領選のPR合戦という側面もあったのだ。場所後は太平洋の両側でフィーバーになった。8月のハワイ凱旋では、パンアメリカン航空が「クリッパー高見山号」とネーミングした特別機を用意。日本では田中角栄首相から官邸に招待された。太平洋戦争から安保闘争、そしてベトナム戦争末期だった72年。反米感情が残る時代で高見山の優勝は日米友好の懸け橋だった。

 「それまでは私に“ガイジン”って悪口言う人もいましたよ。でも優勝してほとんどなくなったね。やっと日本で認められたと思いましたよ」

 日本相撲協会広報部では、高見山を8人目の外国人力士と明記している。ただ、以前はすべて日系人で、いわゆる外国人力士は高見山が第1号だった。以降、各部屋が外国人のスカウトに力を入れるようになる。09年春場所まで入門した外国人は16か国172人。現在の横綱はモンゴル出身の朝青龍と白鵬だ。外国人が隆盛を極める今の大相撲の源は72年名古屋場所の優勝にあったと言えるだろう。

 ◆高砂親方と5年契約
  入門は、東京五輪が8か月後に迫っていた64年2月だった。ハワイで相撲を指導していた大学の教授から4代目・高砂親方(元横綱・前田山)を紹介されたという。

 「長男だったからお母さんからは反対されたけど、私は日本にあこがれがあったからすぐにOKした」

 実はこの入門、高砂親方と「5年契約」を交わしていた上での来日だった。

 「当時、ハワイの州兵として6年契約で勤務していました。日本に行くためには、その契約を破らないといけない。いろいろな人が州知事にまで掛け合ってそれをなくしてもらった。そんなことがあったから、日本に行くときに弁護士が間に入って、ちゃんと契約書を作った方がいいだろうという話になった。高砂親方と書類にサインしたんですよ」

 契約を結んだ以上、簡単に辞めることはできない。パスポートは親方が金庫にしまった。父親は13歳の時に亡くなっている。母親のリリアンさんがパイナップル農場などで働き、女手ひとつで6人兄弟を養っていた。糖尿病の持病を持つ母を楽にするためにも帰ることはできない。

 19歳の青年にはもうひとつの支えがあった。ハワイを出発する時、州知事から贈られた言葉だった。真珠湾攻撃の記憶が生々しかった当時。ハワイでは、まだ反日感情が大きかったという。

 「これから日本とハワイは絶対に良くなるから、そのために頑張ってくださいって知事に言われた。日本とハワイのため頑張ろうと思った」

 初土俵は来日翌月の64年春場所。しこ名も本名の「ジェシー」のままで土俵に上がった。番付に名前が乗らない前相撲だったが後にも先にもカタカナ名で相撲を取った力士は例がない。続く夏場所から高見山に改名し序ノ口優勝。最初こそ、ちゃんこにも慣れなかったが3か月もすればなじんでいたという。

 「ちゃんこも魚だけダメだった。部屋も私のためにトーストや野菜いためを作ってくれた。けいこは朝5時からだからきつかったよ。辞めようと思ったこともあったけどいつも一瞬だけだった」

 ◆ホームシック山手線巡り伝説は記者のでっち上げ?
  当時は慣れない角界の風習に苦労した涙の“伝説”が、数多く報じられた。中でも有名なのはホームシックのあまり、山手線を何周も乗って気持ちをまぎらわせたという話だ。

 「あれは違うの。電車に乗ったら、どこで降りたらいいのか分からなくなって、ずっとグルグル回ってただけなの。それを記者の人に話したら面白いってなって。記事になったら、なぜかそんなエピソードに変えられたていたんですよ」

 日本への順応は早かったが、逆に米国人だからこその悩みがあった。徴兵だ。ベトナム戦争中だった当時。幕下時代の65年5月と入幕3場所目だった68年4月の2度にわたり徴兵検査を受けている。合格すればベトナムへ出兵する可能性もあったが、いずれも不合格だった。理由は144キロの体重。規定の124・7キロを大幅に上回る重量オーバーだった。そして、もうひとつ…。

 「あと不合格の理由は、この声です。戦場に出たら大きな声が必要でしょ。でも、この声じゃ大声は出せないから落とされました」

 ◆「2倍、2倍!」でおなじみハスキーボイス
  当時、誰もがモノマネした独特のハスキーボイスも修業時代の苦闘の産物だった。

 「昔はいい声でしたよ。それが幕下の時にへんとう腺を悪くして手術して取ったんです。退院した翌日に師匠がけいこしろ、と言うんです。やりたくないと思って嫌々、けいこしてたら、のど輪を食らって声が出なくなった。病院で声帯がつぶれてるけど手術すれば治るって言われたけど放っておいたの。そしたらこの声になったんですよ」

 ◆渡辺大五郎、帰化…引退
  80年6月3日、大きな転機が訪れた。日本への帰化が認められたのだ。

 「40歳まで相撲を取ることが目標だった。じゃあ40歳過ぎて何かできるか? と考えたら何もなかった。だったら日本人になって親方になりたいと思ったんですよ。反対する人は1人もいませんでした」

 日本相撲協会は日本国籍を有する人物しか引退後の年寄襲名を認めていない。帰化は引退後も協会に残る決意の表れだった。名前は和寿江夫人の旧姓の渡辺としこ名の大五郎を合わせて「渡辺大五郎」。日本人・高見山として第2のスタートが始まった。

 悪夢は、それから3年後の83年九州場所で起きた。12日目の大潮戦で左ひじをはく離骨折。翌84年初場所も途中休場し十両陥落した。そして、同年夏場所で引退。目標の40歳まであと1か月だった。

 幕内在位97場所、幕内連続出場1231回、幕内通算出場1430回は今も史上1位。幕内連続出場はギネスブックにも認定された。

 ◆“弟子”曙との出会いはテレビの企画だった
  引退後は年寄「東関」を襲名し86年2月に高砂部屋から独立。ここに史上初の外国出身者の師匠が誕生した。親方として最大の出会いは第64代横綱・曙だろう。実はスカウトはテレビ番組の企画だったという。

 「テレビ局の人に番組の企画で私がハワイへ行って新弟子をスカウトしませんかと相談されたんですよ。いいけど私はウソは嫌だから、ちゃんと知り合いを通じて希望者を探したんですよ。そこで見つけたのが曙だったんですよ」

 88年春場所で初土俵を踏んだ曙は外国出身力士として2人目の大関、そして史上初の横綱に昇進し01年初場所で引退した。それから2年後の九州場所前、突如、協会を退職しK―1参戦を表明した。

【主役再び】17.紙面イメージ

 「場所前に部屋の力士を連れて恒例の佐賀の伊万里に慰問に行って帰ってきたら曙の荷物がないの。そしたら数日後に退職願を持ってきましたよ。K―1に行くことは全然、知らなかったよ。それまでも3回辞めたいと言ってきたけど、説得してたんです。部屋を継いでほしかったけど、本人の人生だから私は何も言わなかった」

 出会いと別れの土俵人生もこの夏場所が親方として最後の本場所となる。外国出身関取、親方として道なき道を切り開いてきた開拓者は最後にこう締めくくった。

 「相撲の心は礼儀です。それを教える人が大切ですよ。そこに日本人も外国人もないですよ。弟子は何も分からないわけですから、これからの相撲は親方がしっかり教えていくことが今までよりも重要だと思います」

 ◆東関大五郎(あずまぜき・だいごろう)本名・渡辺大五郎。1944年6月16日、ハワイ・マウイ島生まれ。64歳。ボールドウィン高を卒業し19歳で高砂部屋に入門。64年春場所で初土俵。67年春場所に史上初の外国人として新十両昇進。68年初場所に新入幕。69年九州で新三役に昇進。72年名古屋で初優勝。84年夏場所を最後に現役引退。年寄「東関」を襲名し86年2月に東関部屋を創設し横綱・曙、幕内・高見盛らを育てる。現役時代は、同時に8社のCMをかけもちするなど土俵の外でも高い人気を誇った。

(2009年5月26日11時22分  スポーツ報知)

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