片山一丁目付近。羽州街道はそこの信号から右へ折れる。

 鍛治町を抜け西進してきた羽州街道は、足軽町(現常盤木町)を通り現JR花輪線の踏切を渡って、正面に鎮座する大館神明社前を北進します。
  左手に大館市立第一中学校を見ながらゆるい坂を下り、御坂を通って現国道7号にでます。昔の絵図では、この辺に一里塚があったことになっています。現片山一丁目には、江戸相撲の興行が行われたといわれる八坂神社が鎮座しています。

 羽州街道が西進する片山・餅田地内は、東方山地に連なる舌状台地が西にのびたところで、北を長木川、南を米代川が西流し、餅田集落の西方で合流しています。

 長木川の渡しのある餅田集落までの道筋は、、「出羽六郡絵図」(秋田県博蔵・年代不詳)、元文三年(1738)の「大館扱之絵図」等によると、北部側の二ツ山を見て片山と南側の根下戸のほぼ中間の原野をはしっています。

 従って、道筋はほぼ現国道7号線と考えられています。このことは、この道に添う片山南域の地名に「大道添」、「街道向」、「大道南中岱」、「大道北」等の小字名が残っていることからも妥当と考えられています。

 台地北側の片山は、俗称片山館(館ッコ)のあった中世以来の村で、これに対し餅田と台地南側の根下戸は、江戸期に入ってからの村です。

羽州街道は餅田村の長木川の渡しから、川口村へ向かいます。

〔参考資料:歴史の道調査報告Y「北部羽州街道」 秋田県教育委員会〕

八坂神社二ツ山


津軽より 岩瀬村へ

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