【第64回】 2009年02月13日
中国人留学生の夢を実現させた日本最大の中国情報サイト
「サーチナ」社長 端木正和
サーチナ社長 端木正和(撮影:H.Tsukada) |
中国を中心に政治・経済から芸能・文化に至るまで、ありとあらゆる情報を日本語で提供するウェブサイト「サーチナ」。すっかり身近になった中国を知るには、いまや不可欠ともいえる存在だ。月間ページビューは4600万を超え、類似サイトを寄せ付けない。
このサイトの運営会社、サーチナを率いる端木正和は、20年前、17歳で単身日本に渡ってきた中国福建省生まれの起業家である。兄いわく「昔から、いちず」、一度決めたら突き進むタイプだった。
端木が日本を意識したのは、地方都市で財政局長をしていた父が持っていた日本語の“六法”のおかげだった。それをのぞき込んだ端木が見たものは、普段見なれた漢字だらけの文章だった。
「日本語は楽勝だ」――。
この“勘違い”が端木を日本に向かわせるきっかけになる。
折しも端木が高校生になっていた1980年代後半は、中国で海外留学ブームが始まっていた。といっても、私費留学生の6割の実態は“出稼ぎ労働者”だった。無理もない。当時の中国は日本との経済格差が大きく、現金を稼げる仕事など、それほどなかった。
当時の私費留学生のほとんどは、200万~300万円を借金して斡旋業者に払い、日本に渡るのが普通だった。だが、父親はすでに他界していたこともあり、巨額の負担は避けたかった。しかし、日本へは行きたい。
そこで役に立ったのが、強力な華僑ネットワークだった。粛清の嵐が吹き荒れた文化大革命の頃、父親は迫害された多くの人を助けていた。その恩を受けた遠い親戚の友人の……の友人という人物が当時日本に住んでおり、日本への渡航の面倒を見てくれた。受けた恩を大事にする中国人らしいエピソードだ。
第64回 | 中国人留学生の夢を実現させた日本最大の中国情報サイト 「サーチナ」社長 端木正和 (2009年02月13日) |
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先達の苦難の道のりには、汗と涙に彩られた無数のドラマがある。そして、起業家達の苦闘の中には明日への成功のヒントとノウハウが凝縮されている。