音楽職人vol.1 前編

菊地創(きくち・はじめ)

1979年北海道生まれ。作編曲家、サウンドプロデューサー。2002年一十三十一のアレンジ、サウンドプロデュースでメジャーデビュー。その後『蒼穹のファフナー』『カレイドスター』『いぬかみっ!』などのTVアニメで楽曲提供を行う。2004年にヴォーカルriyaとのユニットeufoniusとしてもメジャーデビュー。『双恋』『ノエイン もうひとりの君へ』『true tears』などで主題歌を担当する。時に想像を超えた転調を展開するメロディーの大胆さと、「euphonious(耳に心地よい)」という英単語がユニット名の由来であるように、透明感のある繊細な音楽性が特徴。最近では『true teas』『魔法先生ネギま!〜白き翼 ALA ALBA〜』で背景音楽も手がけ、活躍の場を広げている。

▼eufonius 公式サイト
http://www.eufonius.net/

▼菊地創 公式サイト
http://www.hajimekikuchi.net/

メトロクローム

CDジャケット

EFLA-0004 / \3,000(税込) / 自主制作盤
2008.06.10発売

true tears オリジナルサウンドトラック

CDジャケット

LACA-5752 / \3,000(税込) / ランティス
2008.02.27発売

リフレクティア

CDジャケット

LACM-4459 / \1,200(税込)/ ランティス
2008.01.23発売
TVA『true tears』OPテーマ

metafysik

CDジャケット

LACA-5715 / \3,000(税込) / ランティス
2007.12.19発売

Apocrypha

CDジャケット

LACM-4358 / \1,200(税込) / ランティス
2007.04.25発売
TVA『神曲奏界ポリフォニカ』OPテーマ

Σ

CDジャケット

EFLA-0003 / \2,100(税込) / 自主制作盤
2007.01.31発売

スバラシキセカイ

CDジャケット

KICS-1212 / \2,800(税込) / キングレコード
2006.05.24発売

Idea

CDジャケット

LACM-4223 / \1,200(税込) / ランティス
2005.11.02発売
TVA『ノエイン もうひとりの君へ』OPテーマ

eufonius+

CDジャケット

EFLA-0001 / \2,100(税込) / 自主制作盤
2005.04.27発売

360°

CDジャケット

HGCB-2009 / \2,835(税込) / プライエイド・レコーズ
2003.04.09発売
一十三十一 1st.アルバム

取材・文/濱田高志 写真/天満眞也 協力/ランティス

『ノエイン もうひとりの君へ』(05年)のオープニングを飾った「Idea」は、作品の世界観にマッチした会心の一作だった。オープニング映像とのシンクロも絶妙で、高揚感に満ちたメロディーとサウンド、そしてriyaの書いた歌詞と切ないヴォーカルが見事なまでの連携で聴く者の胸を打つ楽曲である。今回は、その「Idea」を書いたeufoniusの菊地創氏に取材を敢行。eufonius結成に至る経緯と現在の活動、それに今後の展望までたっぷりとお話を伺った。ここでは、その模様を「前・後編」二回に渡ってご紹介する。

幼少時の音楽体験〜学生時代の活動

――― 幼少時の音楽体験あたりから順に伺います。まず音楽に最初に接した記憶はいつ頃でしょうか。

菊地 子どもの頃から自宅に電子オルガンや父親のギターなんかがあったので、それをおもちゃ代わりに遊んでいたのが一番最初の記憶です。別に楽器を習っていたわけではないんですけど、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドは、それらを弾きながら覚えた感じですね。物心ついた頃ですから、きっと幼稚園ぐらいの年齢だと思います。

――― ご両親が何か楽器をやっていたということでしょうか。

菊地 父親は趣味程度にやっていたみたいですね。あと、父はジャズ好きのオーディオマニアなので、家では僕が子どもの頃からジャズがずっと大音量で流れてました。普通のサラリーマンだったんですけど、仕事から帰ると気分転換に聴いていたみたいです。

――― ちなみに、どういったアーティストの曲を聴かれていたんですか。

菊地 父はビル・エヴァンスなど色々聴いていたようです。ジャズ全般が好きで詳しかったと思います。当時は、正直よく判んなかったんですけど、「これ聴け、これ聴け」って言われて、聴かされたこともありました。そんな感じで聴かされてたので、子供の頃はジャズは全然好きじゃなくて。でも大人になってから、あのかっこ良さが判ってきた感じです。でも、考えてみれば、それが良かったんだと思いますね。いい音っていうのを潜在的に刷り込まれたというか。

――― いわゆる音楽教育はどなたに?

菊地 実をいうと特に誰かに教わったことはないんです。ただ、テレビで聴いた好きな曲のメロディーを、オルガンで弾いたりしていましたから、それを見た母親が「この子には音楽をやらせよう!」と思ったらしく、それで何度かピアノ教室に行ったんですけど、僕、猫アレルギーだったんで、その教室にたまたま猫がいて続かなかったり、その次のタイミングでは、某音楽教室に電話したら、その対応が悪かったらしくて、お母さんが怒っちゃって、それっきりになったり……(笑)。

――― あ、じゃ、本当にそれっきり。

菊地 はい、そこがわりと運命の別れ道というか、そこで楽器を習うか習わないかの別れ道があって、それ以降、全然ですね。なので、子どもの頃は全く音楽教育を受けていません。

――― では、楽器を持ってちゃんと作曲を始めたっていうのはいつ頃ですか。

菊地 中学生ぐらいから音楽をやろうと思ったんですけど、実際にシンセサイザーを買ったのが高校生で、そこが始まりですね。

――― その当時、聴いていた音楽はどういうものでしたか。

菊地 中学ぐらいだと、やっぱり友達と同じような普通のJ-POPなんかの流行りものを聴いてました。僕、その頃TMNを初めて知ったんですけど、その時、小室さんのシンセサイザーのパフォーマンスがすごいなと思ったんです。プログラミングとか、特に音楽教育を受けてなくても、打ち込みでドラムからベースからオーケストラみたいなものから1人で作れるっていうのをそれで知って、じゃあ、僕でも作曲出来るかもしれない、と。そこが始まりですね。

――― いわゆる“小室サウンド”というものに対してはどういった印象を持たれましたか。

菊地 当時は好きだったんですけど、楽曲やシンセサイザーのサウンドというよりは、それよりもプログラミングとか、色んな音が出せるとか、そっちの方に興味があった感じですね。

――― ちなみに、興味を持たれた当時のTMNの作品タイトルを挙げて頂けますか。

菊地 全部あとから追っかけちゃったんで、特にどれというわけではないんですけど、少なくとも僕が気になった時点で、グループ名はTM NETWORKでなく、TMNになってましたね。ただ、小学生の頃に『シティハンター』の「GET WILD」(87年4月発売)とかは好きで聴いてましたし、アルバムは全部集めてました。

――― ほかに何を聴かれていましたか。それこそ自発的に買っていたCDなんかは?

菊地 この取材を受けるにあたって、一番最初に買ったレコードは何かなって思い出してみたんですけど、一番最初に買ったのは光GENJIの「STAR LIGHT」(87年8月発売)でした。ちょうど流行ってたってこともあって。当時、カセットテープだったんですけど、それ買って歌ってましたね。やっぱりポップなものが最初から好きだったみたいで。でも、今考えると、光GENJIって飛鳥涼さんが曲を書いていたりして、全体的に質の高いポップな楽曲だったなと思います。

――― ほかにアルバム単位でこの人に関しては毎回買ってた、または必ず聴いてたっていうのはありますか。

菊地 中学生の頃、久石譲さんが好きで聴いてました。作品でいうと、やっぱりアニメで、『天空の城ラピュタ』(86年)が好きだったのでラピュタのサントラとか。久石さんのソロアルバムなども集めて聴いていました。綺麗でシンプルかつポップなメロディーセンスが好きでした。

――― なるほど。アニメ全般に関してはいかがでしたか。そもそもアニメについては、ファンという立場でしたか。

菊地 アニメファンっていうほどの熱心なファンではないです。今でもそんなにコアに見るほうではないですし。ただ、宮崎アニメは好きでした。

――― 映画はいかがですか。

菊地 映画もまあ、人並みに観る程度です。

――― では、音楽以外の趣味というか、昔から熱中していることはありますか。

菊地 割と趣味が多くてどれも長く続かない感じなんですよ(笑)。広く浅くというか。常に多方面に興味がある感じで。例えば今だと、アクセサリーが好きで、自分でアクセサリーを作りに行ったりとか、雑貨でかわいいものとかきれいなものを探したり。何かしら目に留まって、「あ、いいな」と思ったら、集めたり調べたりする癖があります。だから、音楽や映画についてもそういう感じで、はまったものに対しては、結構、突き進んで見たり集めたりするんですけど。

――― では、音楽で小室さん以外にハマった方は?

菊地 坂本龍一さんと、あとはちょっと後になるんですけど、専門学校に行ってから、菅野よう子さんにはハマりました。

――― 納得です(笑)。ところで、中学生の頃から曲を書き始めたということですが、最初に書いた曲がどんな曲だったか覚えていますか。

菊地 風呂場で鼻歌で歌ったようなやつを五線譜にちょっと書いてみたりとか、サビだけとか、そういう短いフレーズですね。
歌もののようなポップなものが多かったです。

――― バンドを組んだ経験は?

菊地 ないんです。高校に入って本格的に音楽に興味を持ち始めたきっかけがシンセサイザーだったので。何しろ1人で全部、みたいなのが面白そうだなと思ってましたから。

――― 普段、宅録しつつ、たまに仲間と一緒にライブをやったりとかっていうこともなかったんですか。

菊地 なかったですね。たまたまそういう友達がまわりにあまりいなかったっていうことなのかも知れませんけど。高校時代はシンセサイザーを買って、シーケンサーでプログラミングしながら、好きな曲のスコアを買ってきて打ち込んだりとか、そういうことばっかりしてましたから。あくまでも自分のために、趣味で、好きでやってるっていうだけで。当時は、まだ勉強段階だったんです。その頃からようやく自分で教則本を買って鍵盤や音楽理論を習い始めたぐらいですからね。基本的に独学なんですけど、それを始めた時期なんです。もう、早く高校を出て、専門学校に入りたくて仕方なかったですね。

――― なるほど。で、専門学校で菅野さんにハマるわけですね。きっかけは何でしたか。

菊地 学校に行ったら、まわりの友達がみんな音楽好きなので、今まで自分が知らなかったアーティストの色んなCDを聴かせてもらったんですけど、そんななかでたまたま聴いたのが、新居昭乃さんのアルバムで、それを聴いて180度ぐらい音楽の趣味が変わっちゃったんです。今作っている僕の音楽って、多分、小室さんよりも、菅野さんとか坂本龍一さんとか、そっちの影響のほうが大きいと思うんです。

――― 新居昭乃さんの名前が出たのは予想通りでした。世界観はきっとその周辺のアーティストなんだろうなと思っていました。あとザバダックとかその辺り。

菊地 あ、いやザバダックは、僕はあんまり……。僕のなかでちょっと違う感じで。ああいった民族音楽系テイストは自分にはなくて。実際、たまに「ザバダックの影響は?」って訊かれたことはあるんですけど。

――― それ、意外ですね。てっきり影響下にあると思ってましたが。

菊地 実はあまりじっくり聴いたことはないんで、正直言うと良く判んないんですけど(笑)。近い感じなんですかね?

――― いや、世界観だけなんですけどね、曲調が似てるとかっていうことでなくて。ちなみに、菅野さんに関しては、最初はスコアものでなく、新居昭乃さんの曲のアレンジに魅了されたってことですね。

菊地 そうですね、はい。まずはそこですね。当時の坂本真綾さんの楽曲とかも曲、アレンジ含め好きでした。

――― どこに惹かれましたか。

菊地 やっぱり音使いと、あと何ていうんでしょうかね。コード感や転調のセンスとか。とても巧みなアレンジで、ピアノや弦なんかがすごくきれいに入っていて、そういうのが、ただただすごいなと思って。とにかく繊細で個性的、不思議で心地よい感じがしました。

――― 当時書いた曲で、その後リリースした曲はありますか。

菊地 その当時書いた曲はまだ発表してないですね。でも、専門学校に入ってから、生まれて初めて曲を1曲完成させたんですけど、それがたまたま学校のコンテストで優勝したんですよ。それがきっかけで、すごく自信がついたというか、やっぱり音楽始めて良かったなと。

――― それがいくつの時ですか。

菊地 18ですね。高校卒業した年ですから。

――― 高校までが北海道ですか。

菊地 そうですね、はい。

――― 学生時代、音楽関連のアルバイト経験はありますか。

菊地 ありました、ありました! 在学中にDTM系のコンテストに2、3回ほど出して、全部入賞したんですよ。DTMのプログラミングはとにかく自分に向いていたというか得意でした。すごく細かい凝ったデータを作っていましたし。それで、先生から声をかけられて、ミュージカルの音楽制作のお仕事のお手伝いをさせていただいて、その時生まれて初めて音楽でギャラを頂きました。小さい劇団の舞台のお仕事でしたけど。とても楽しかったです。

――― その時は、どんな感じの曲を書かれたんですか。

菊地 学生当時の曲もなんか展開が多いというか……。いわゆるAメロ、Bメロ、Cメロっていう感じではなくて、展開が盛りだくさんな曲でしたね。今の自分の作風に通ずるものが当時からすでにあったと思います。

――― 菊地さんの曲に興味が湧いたのが、どこに着地するか判らないい危うさなんですよ。とにかく先の読めない展開が実に面白いんです。しかも、そういう危うい曲っていうのは、最後グダグダになりがちなんですけど、ちゃんと着地するので、そこがまた素晴らしいなと思って。でも、今のお話だと、当時からそういった傾向の曲を書かれていたんですね。

菊地 ですね。もう、そんなのばっかりですね、最初から(笑)。

――― まわりの反応はいかがでしたか。

菊地 すごく気に入ってくれる友達もいて、僕の曲を聴いて仲良くなってくれた友達もいました。自分でも作っていて人に聴かせるのが楽しかったです。逆にやりすぎてメチャクチャな曲などもありましたけど(苦笑)。

――― しかし、そうした学生時代の曲はインストなんですね。ヴォーカルが入るのはどの段階ですか。

菊地 ヴォーカルが入るのは、卒業して、CMなんかの仕事を始めてからですね。

――― その専門学校を終えて、北海道に戻られたんですか。

菊地 そうです。

――― それはどうして?

菊地 僕、北海道が好きだったんで、もし北海道で音楽の仕事が出来るならそれがいいなと思って。で、そうこうしてると、たまたまいい会社と出会いまして。

――― 音楽制作会社ですね。そこでは、どういう音楽を作っていたんですか。

菊地 地方のローカルCMですとか、あとはゲーム音楽。プレステとかの。

――― ゲームはお好きですか。

菊地 そうですね。でも、有名どころをやるぐらいで、いわゆるゲームオタクとかではないです。今も趣味ってあんまりなくて、やっぱりクリエイティブなことをしているのが好きなんですね。実際、音楽自体もやっぱり趣味という部分がいまだに抜けないんです。eufoniusなんか、もう、本当に昔のままというか、趣味のまま。人に聴いてもらうっていうよりは、いまだに自分で聴きたい音楽を作っているっていう、そういう感じですね。

――― CMっていうのはどうでした? 15秒とか30秒の尺で作るっていうことに対しては。

菊地 絵コンテを見ながら限られた時間内で収めたり、そのなかでストーリーを表現したり、しかももちろん音楽的なクオリティも求められる作業なので、当時まだ20歳だったのでとても苦労してましたね。

――― 音楽制作会社にいたのは何年ぐらいですか。

菊地 1年ぐらいです。ただ、その1年が物凄く濃い1年でした。それこそ今の僕の音楽活動の基本が作られたような1年間で、先輩や上司には、音楽で仕事をしていくことの厳しさを始めとして、色々と叩き込まれましたし、鍛えられました。仕事の現場では、それまで専門学校や学生時代に教わったことが全然役に立たなかったんですよ。学校では機材の使い方とか音楽制作の概要みたいなものは学べたんですけど、実際音楽の仕事をやる上で、それは大して必要がなかった。ですから、会社では、本当にゼロからやり直した感じでしたね。

――― 1年で辞めて、その後はどうされましたか?

菊地 1年間、ゲームやCMのためのインストをメインで作っていたので、やっぱりどうしても歌ものがやりたくなったんです。小さい頃からJ-POPが好きでしたし、そもそも遡ると僕のルーツってNHKの『みんなのうた』かも知れないんですよね。ちっちゃい頃からあの番組が大好きだったので。大貫妙子さんの「メトロポリタン美術館」(84年)や「コンピューターおばあちゃん」(81年)なんかが。「コンピューターおばあちゃん」は編曲が坂本龍一さんでしたし、本当に上質な音楽とたくさん出会えた番組でした。音楽をやりたいと思ったのはそうした歌を聴いていたからかも知れません。結局、自分が聴きたい歌を作りたいと思ったのが、そもそもの始まりですから。で、1年である程度は制作のノウハウや技術を学べたので、じゃあ今度はちょっと自分のペースで自分の音楽をやってみようと思って。実はその1年間に、没になった曲がほとんどですがそれを含めて100曲ぐらいは作ってるんです。それで色々ストレスもたまっていたので、音楽からちょっと離れて、一旦フリーターをやりながら、たまに好きな時に自分の好きな曲を作ってました。

――― それは北海道で?

菊地 はい。で、実はその時にもうeufoniusの原形みたいなのが出来始めていて、当時作ってた歌ものというのが、今のeufoniusに近いものでした。会社を辞めて2年くらい経ったところで、今のヴォーカルのriyaとネットで出会うんです。彼女も1人で音楽をやっていて、趣味のホームページで曲や歌を公開していたんです。聴いてみると、なんか趣味が合いそうだったんですよ。

 

ヴォーカリストriyaとの出会い

――― riyaさんのホームページはどうやって見つけたんですか。

菊地 ネットサーフィンで音楽の趣味が近そうな人のサイトを辿っているうちに、たまたま見つけた感じです。

――― その時、riyaさんはどちらにいらしたんですか。

菊地 彼女は九州の福岡です。

――― じゃあ、もう、思いっきり離れてますね。

菊地 本当に真逆で(笑)。

――― では、しばらくはメールのやりとりで。

菊地 そうですね。僕が曲を送って、彼女が歌を入れてくれたり、それをまたメールで送り返してもらったりしてました。今から考えると、コンピューターやインターネットがなかったら、僕は音楽家にはなれていなかったと思います。

――― お二人が最初に会ったのはいつですか。

菊地 僕が23で東京の音楽制作会社で作家としてお仕事させて頂けることになり上京するんですけど、彼女もちょうどたまたま同じタイミングで仕事の都合で上京することになって、そこで初めて会ったんです。初めて会ったのが、新居昭乃さんのライブ会場でした(笑)。

――― なるほど。

菊地 彼女は僕以上に新居さんのファンだったらしいんですけど。

――― 最初にどんな話をされましたか。

菊地 それまでは、普通に曲のデータだけをやり取りしていたので、僕は彼女の歌声しか知らないし、彼女は僕の作る曲しか知らないので、会った際には、お互いにイメージの擦り合わせをした感じですね(笑)。

――― では、その場で今後一緒にグループをやって行こうって話に?

菊地 そうですね。ホント軽い感じで、たまになんか一緒に作れたらいいねくらいの感じでしたけど。

――― eufoniusとして、じゃあ活動を始めましょうということになって、インターネットラジオ(eufoniusホームページ内で試聴可能。http://www.eufonius.net/)では、曲ありきでその後歌詞が乗るというお話でしたが、やっぱりそこはもう最初からそんな感じでしたか。

菊地 そうですね。

――― だけど、菊地さんの曲は、メロディーだけ聴いていても、すでに「歌」になってるじゃないですか。おそらく、菊地さんのなかに“歌心”っていうものが備わっているからだ思うんですけれども。

菊地 自分の頭のなかで何か適当に言葉を当てながらメロディーを作っているので。作詞家さんにもよく「歌詞が乗せやすい」って言われます。

 

ノエイン もうひとりの君へ
DVD-BOX

ZMSZ-4323/\29,400(税込)/ショウゲート
2008.10.24発売
■公式サイト

 

true tears
DVD vol.1

BCBA-3216/\3,990(税込)/バンダイビジュアル
2008.03.25発売(全7巻)
■公式サイト