ヤマケンの入魂連載:TAMAKEN'S ESSAY

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   エッセイにならないエッセイIII 日本地名あれこれ(25)

第25回 「災害地名」について。毎日新聞の記事から「新田」「小沼」「松川」
地名は過去の災害や出来事を教えてくれる
 今回は順番どおりだと、「ぬ」で始まる地名を取り上げる予定でしたが、昨年12月18日の毎日新聞に「地名で知る地震の備え」という記事が掲載されていましたので、これについて書くことにしました。「ぬ」の地名は次回にまわしますので、ご了承下さい。
 まず、その記事を読まれていない方もおられると思いますので、要約します。
 江戸時代末の1847年に長野県で起きたマグニチュード7.4規模の「善光寺地震」について京都大学防災研究所の田村修次助教授が地名と地震被害の関係を調べた結果の報告です。
 死者約8000人、倒壊家屋約20000戸という甚大な被害をもたらした地震です。時代が比較的に新しいことから被害に関する史料が残されていたので、地名との関係が明らかになったとのことです。
 震源地に近くて被害の中心だった長野、飯山、中野の3市で、約350ほどの地名と被害との関係を調べたところ、いわゆる災害地名82カ所のうち44カ所、54%で大きな被害が認められたの対し、一般地名では159カ所のうち大きな被害は36%にとどまっていることがわかったそうです。また、家屋倒壊率では災害地名の地区では7割をこえたところが20%もあり、3〜7割のところも18%あったとのことですが、一般地名の地区では7割をこえたところは16%、3〜7割では8%と顕著な差が認められ、昔からの言い伝えの確かさが再確認されるところとなりました。
 これまでにも書いてきましたが、地名はその場所の地理、気象をはじめ自然環境的条件やそれまでに起きた事件や出来事など歴史を反映させて名付けられたものが多いのですが、今回の研究発表もそれを再確認したものとなりました。昨今、市町村合併などで昔からの地名をいとも簡単に変えてしまう自治体が多いのですが、地名は私たちに災害の経験をはじめ歴史と教訓を教えてくれているわけで、それを私たちにわからなくしてしまうのですから、まったくの愚行といわなければなりません。

「災害地名」とはどんなもの
 今回の研究発表で取り上げられている災害地名は「新田」「小沼」「松川」「平林」「下平」などです。これまで地名研究者の間で自然災害と関係ある地名とされてきたものは「川」「瀬」「水」「沼」「沢」「潟」などいろいろあるのですが、いずれも過去の火山噴火で埋まってしまったところ、溶岩が流れ出てきたところ、地震で崩れたり大きな断層ができたところ、いわゆる液状化現象が生じたところ、大雨がふると洪水になったり、山が崩れて地滑りが起きたり、土石流に襲われたりしたことを示すものです。
 ところが、「新田」「小沼」「松川」「平林」「下平」のいずれをとっても、日本列島どこにでもある地名であり、そこから災害のかけらも感じ取れないことから、誰もが注意を払わない結果、過去の災害の教訓が活かされないと言えます。
 たとえば、「新田(しんでん)」は文字どおり「新しく開発された田」を意味します。誰もが、これのどこが災害地名なのだと思ってしまいます。が、よく考えて下さい。新しく開発された田は、埋め立てられてできた、あるいは大洪水や土石流でできたものなのです。当然、地盤がゆるいのです。その上に家を建てたら地震に弱いことは明らかでしょう。江戸の下町は江戸湾を埋め立ててできたものであることはよく知られているところですが、東京の「神田(かんだ)」も実は「しんでん」で、どもにもあるような「新田(しんでん)」では面白くないので、「しんでん」を文字って「神田」にしたのです。地盤などがゆるく危ないので「明神さん」を祀って安全を祈願したものです。
 「新田」を「にった」と読んでいる場合は、もともとは「ヌタ」と読んでいたものが転化したもので、「沼・地」を意味した「ヌマ・タ」が「ヌ・タ」、さらに「ニ・タ」になり、「新田」という字や「仁多」「仁田」が当てられたと言われています。アイヌ語で「ニタ」は「湿地」を意味するのですが、日本民俗学の祖とも言うべき柳田国男はこの説を採用しています。
 もう一つ「松川」を考えてみましょう。なんで、これが災害地名なのか、松がある川なんじゃないのと、これも誰もが疑問を持つことでしょう。ところが、「松」に由来する土地でも、まず「松」は海岸や山の岩地の割れたようなところでよく見るように、砂礫や岩石からできたような土地、つまり豊かな土壌に生える樹木ではないのです。ですから、地震に弱かったり、岩が崩れたり山が崩れたりする土地で、だから災害地名で、ゲンの悪い地名を「松竹梅」とめでたいときに使う「松」にちなんだ地名にしたという説もあります。実際「和名抄」によると、いまの「浜松」は、古代は「浜津」だったのですが、その後、あまりよくないということで縁起の良い「松」を借りて「浜松」に変えたようです。
 また「まつ(松)」には粘土を意味する「真土(まつち)」に由来するものがあり、「松田」とは「粘土質の田」を意味する場合もあるようです。粘土質の上に家を建てたらどうなるか、これも言うまでもないでしょう。

大阪の「梅田」「福島」、豊中の「豊島」、高槻の「芥川」も災害地名
 すでに書きましたが、大阪の「梅田(うめだ)」も「福島(ふくしま)」も、実は「災害地名」なのです。梅田は梅の木が立っていた田ではなく、もともとは埋め立ててできた田で、もとは「埋田」と書いていたのですが、イメージがよくないということで天満宮の梅にちなんで「梅田」に変えられました。「福島」も、もとは「泓け島(ふけしま)」、つまり湿地を意味する地名だったのですが、これもゲンが良くないということで、「ふけ」が「ふく」と似ていることから幸福の「福」にちなんで「福島」としたのです。豊中の「豊島」も湿地帯のようなところだったのですが、豊かという字を当てて「好字」「佳字」にしたのです。
 高槻に「芥川(あくたがわ)」という川、また地名があります。西国街道の宿場町です。実際にその場所に出向いてみるとわかることですが、これも災害地名です。芥川は京都と大阪の境の北摂連山から流れ落ちてきます。山間部を蛇行しながら原の集落をこえて高槻の市街地部分に入ってくるのですが、その市街地に当たるところに「芥川」という地名がついています。ちょうど運んできた土砂が三角州をつくるところで、ここが湿地帯になり、塵芥(ごみ・あくた)が集まったことから「芥川」と呼ばれるようになったと思われます。明らかに天井川で、洪水になったら高槻市の市街地中心部は水に浸かります。歴史はそれを教え、地名は警告しているのですが、誰も知らないふりをしています。集中豪雨の時など堤防のぎりぎりいっぱいに濁流が流れ、恐怖にさらされているのに、周辺住民はまさか洪水になることはないだろうと思い込もうとしています。(つづく)