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サンドウィッチマン:「ぞうきんだからネタしかない」大逆転のM-1優勝を語る

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伊達みきお(だてみきお)=左= 74年9月5日、宮城県生まれ。富澤たけし(とみざわたけし)=右= 74年4月30日、宮城県生まれ。99年コンビ結成、02年M1初出場で1回戦敗退。03、04年が2回戦敗退。05、06年は準決勝に進出。「エンタの神様」(日本テレビ系)、「虎の門」(テレビ朝日系)、Vシネマ「修羅がゆく12」などに出演。
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 12月23日の「M-1グランプリ」で、敗者復活からの大逆転で優勝した「サンドウィッチマン」。「伊達ちゃん」(伊達みきお)と「トミー」(富澤たけし)のコンビは宮城・仙台商高ラグビー部の同級生で33歳。年末年始は取材が殺到と、まさにM-1ドリーム。そんな二人に単独インタビューし、優勝までの道のりを明かしてもらった。【油井雅和】

--M-1では敗者復活で登場してからエンディングまで、サンドウィッチマンに注目が流れてました。いけると思いましたか?

 伊達 いや、いけるというのは最後まで分からなかったです。(ビデオを)見ましたが、あの会場がとんでもない空気だったんです。芸人がネタを終わったところで。その空気を知らずにやれたのがよかったです。

--審査員7人の票が次々に開き、松本(人志)さんで3票になり、ちょっと時間をおいて、紳助さんの票で4票、優勝が決まりましたね。

 伊達 松本さんが入れてくれた時は、もう落ちてもいいやと思って。松本さんの票が入れば。もう、神様みたいな方ですから。

--敗者復活戦では、最初、下ネタから入るのかと思ったら、すぐに軌道修正しましたよね?

 伊達 「きんた○」ですよね? 実は敗者復活は今回で3回目なんですが、3回とも「きんた○」って言ってるんです。どうしても言いたくて。

 富澤 M-1の本番直前になって「きんた○カットで」って言われたんです。「きんた○カットで」って、ちょっと面白かったんですけど(笑い)。

--コンビ結成から9年間。仙台商高を出てからこれまでの略歴を教えてください

 富澤 学校を出て、僕はずっとアルバイトをしてました。21歳の時に、吉本興業が仙台に事務所を作り、素人を募集して毎週1回ライブをやることになったんです。その時に相方誘って入りたかったんですけど、相方はもう就職してたんで、違う人と入りました。しばらくして、仙台の事務所がなくなってしまい、ちょうどそのころ、相方が仕事をちょうど辞めてたんで、できれば仙台でやりたかったんだけど、これは東京に行くしかないんで、東京に行こうといって二人で東京に来ました。

--お笑いをやろうという一番のきっかけは何でしたか?

 富澤 僕はサラリーマンはいやだなと思っていて、演技だったり芸能の方に興味があって、一度挑戦してみたいなと思っていたんですが、なり方がわかんないんですよね。そのときたまたまあったのがお笑いだったんです。お笑いも好きだったんで、やってみようかなと。

 伊達 相方に誘われる形で。彼はネタを全部担当してます。誘われてやってみようかと。僕はお笑いをやりに東京に来たというか、好きなことをとりあえず3年やりたいな、と。大学は行ってなってなかったんで。親には3年でダメなら帰ろうと約束して。それがずるずるとですね……。ライブではうけるけど、テレビに出られない状態がずっと続いていて、うけてる以上、辞められないじゃないですか。

--「エンタの神様」に出るようになったきっかけはライブですか

 伊達 ええ。たまたまなんですけど、この年にテレビでネタがやれなかったら辞めようと言っていたのが05年なんです。1か月に15本とかライブに出て、とにかくこの1年なんとかしてみようと。そうしたら、5月に浅草・東洋館(浅草演芸ホールの上。ビートたけしもかつていた元浅草フランス座)のライブでやっていたネタを、「エンタの神様」の関係者に「エンタでやってください」って言われて。それがきっかけですね。

--ネタの話ですが、「きれる伊達、茶化す富澤」と私は書いたんですが、伊達さんがきれて、富澤さんがなだめながら笑わせるというスタイルはいつからですか?

 富澤 それこそ、エンタに出た時に「もっとこういう感じで」と言われたのがきっかけです。そこまではほっきりキャラづけはなかったんです。

 伊達 エンタでひっかかったネタは、優勝したピザ屋のネタで、テレビで初めてやったネタ。怖い人ととぼけた人というスタイル、それから「こういうスタイルで行こう」という感じになったんですね。

--サンドウィッチマンのネタは同じネタでも何度聞いてもおもしろいと評判です。

 伊達 相方は天才ですから。

 富澤 ある程度何年か先になってもやれるようなネタを考えてます。ネタって続けてやっていかないと完成されないと思うんです。ある程度やって、もうできないネタだったら中途半端じゃないですけど、そこまでで終わってしまう。何年か先にやってもおもしろいネタって本物のネタだなと、意識して作ってますし、もしそれでダメな時はすぐボツにします。

--これからはコントと漫才どちらをやっていきたいと考えていますか?

 伊達 相方はコント師なんで、実は漫才苦手なんで、たぶんこれからもコントを作り続けるでしょう。それが漫才にできれば、漫才もやりたいです。

--優勝してから二人で話し合ったことがあったら教えてください

 伊達 僕らはやっぱりネタなんですよね。ずっとネタをやってきて、やっとここで評価していただいて。だからバラエティーとか司会とか、全く経験ないし、たぶんやろうとしてもできないと思います。先輩とのつきあいがないし、事務所に先輩いませんし、苦手な部分なんです。苦手というか経験がない。だから、ネタだよね?

 富澤 できないことを無理してやらずに。

 伊達 歴代の優勝者とはちょっと違うと思いますよ

 富澤 今までで一番、たぶん頼りないチャンピオンだと思います、ホントに

--次のネタはなんだろう?って、期待していますよ

 富澤 ネタはいっぱいありますよ。

 伊達 9年やってますから。

 富澤 ただ、面白くないっすよ。

--「若くてイケメンでファッションも」というコンビが増える中で、失礼ながらお二人の登場に驚いた方も少なくないようで。

伊達 いや、もう、ぞうきんみたいなコンビですから

富澤 だからこそ、僕らはネタしかないんです。そこで勝負するしかないんです。

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 2008年1月12日

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