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大杉漣
(2/3)

■おおすぎ・れん
俳優。1951年、徳島県生まれ。55歳。74年から88年まで、太田省吾主宰の転形劇場に所属。「ソナチネ」「HANA−BI」など北野武作品はじめ、数多くの映画、ドラマで活躍。

変態大好きですから

大杉漣
 テレビ、映画とけっこう出てますけど、一年にどのくらい出てるのかって、数えたこともないですね。映画だけでも、今年公開される分がもう7−8本は撮影済みです。

 今までいろんな役をやりましたけど、変態的なのも随分やってますね。変態大好きですから(笑)。人間っていろんな面があるじゃないですか。そういう多面性みたいなものを演じるのが楽しいんですよ。

 2月17日公開のホラー映画「エクステ」でもかなりぶっ飛んだ変態ぶりをやっています。“エクステ”っていうのは“つけ毛”の意味なんですけど、僕は、女性の髪に異常な執着を燃やす男の役で、死体安置所から髪のきれいな女の死体を盗んだことから、奇奇怪怪な事件が巻き起こるという話なんです。自分でいうのも何ですが、僕、相当キモいです。じわじわ来る恐怖があります。

 監督の園子温さんとは、この映画が初めてだったんですけど、すごく面白い人。でも、第一印象はすごく悪かったんです。話をするときも、ほとんど僕の目を見ようとしないし、帽子かぶって、下をうつむいて、何だかニヤニヤしている。

 いったい何を考えてるのか、この作品をどうしたいのか、なぜ僕を呼んだのか、皆目、見当がつきませんでした。

 第一印象が悪かった方っていうのは、最後まで悪い方もいますけど、付き合っていくうちに、コイツいいヤツじゃんって思えることも多いんですよね。園さんの場合は後者。しばらく撮影をご一緒するうちに、もっとこの人の奥をのぞいてみたいなって、興味がわいてきましてね。

 もともとは詩人らしいんですけど、説明するのがあまりうまくない。僕の演技についても、「え〜と、え〜と、いいんです。いいんです。でも、…ですよね?」とか。漠然とした言葉を羅列していくっていうか、一番大事なところをあまりおっしゃらない。

 他の監督さんとか、演出さんとかって、おおむね分かりやすく説明してくれるんですが、園さんの場合は、なんかこう、迷路みたいな、底なし沼みたいなところにたぐり寄せられる。

 ですから、役作りも監督との駆け引きというか、監督の漠然とした言葉を自分なりに理解して、膨らまして演じていくという作業だったんです。ところによっては、監督とは全然違う解釈で、相当ぶっ飛んで演技したところもありました。それじゃ、大杉漣じゃなくて、“やりすぎ漣”だろってぐらい。

 すごく楽しい現場で、今では監督とは一生お付き合いできればいいなって思っています。




たけし映画に自分の居場所見つけた

大杉漣
 僕は、23歳で太田省吾さんの転形劇場に入って、劇団が解散する37歳まで、そこの舞台に立ってました。転形は、沈黙劇っていう、静かにゆっくり舞台を歩いて、セリフはただの一言もないという、かなり特殊な芝居なんですよね。いわば、それが僕の原点です。

 劇団が解散してからは、テレビに出たり、Vシネマに出たりして、自分なりに忙しくしていました。それでも、40歳になるころでしょうか、この先どうしようかなと思いはじめた、そんな時期に北野武さんの「ソナチネ」のオーディションに受かったんです。これは僕にとって大きな出会いでした。

 「ソナチネ」の現場に行ったら、武さんから、「あんまり演じなくていいからね」って言われたんですけど、この言葉に僕は運命的なものを感じたんです。

 ふつう役者っていろいろ演技したがるもんでしょ。一生懸命演じて汗をかくと何かやっている気になったりするんでしょう。でも、僕が転形でやってきたのって、それとは一番遠い世界で、しゃべらない芝居、何かをしない、熱演しない芝居だった。武さんも、黙っていることの大切さ、セリフよりも、しゃべっていないときの行間みたいなものをすごく大事にされる監督なんです。

 武さんとは芝居について詳しい話とか全然したことないんですけど、自分の中では出会うべくして出会えたのかなという思いがあるんですよ。その後、武さんの映画には何本か出させていただいてますけど、自分の居場所が見つかったみたいな気持ちで、すごく幸せなんです。ですから、武さんに現場に呼ばれれば、いつでも行けるようにって心がけています。




芝居のピッチに立ち続けたい

大杉漣
 趣味といえば、安い2万9800円のロードバイクを持っているんですよ。それにまたがって、一人で、下北沢とか新宿、渋谷あたりを走って、うろついたりする。

 後は、サッカーですね。僕は、釜本・杉山黄金コンビの時代の第一次サッカーブームの申し子ですから、もう筋金入りですよ。「鰯クラブ」っていうサッカーチームを作って、かれこれ16年になります。鰯専門店にメンバーが集まって、そこで名前を考えたんですよ。

 最初は「FCナントカ」とか、「東京ナントカ」とかいろいろ考えたんですけど、「鰯」ってなじみのある魚だし、「弱い」っていうのがなんかいいよね、愛情持てるよねって話になって、この名前になったんです。

 今、メンバーは全部で100人ぐらいいるんじゃないかな? プロデューサーや映画監督、超ビッグな役者さんなんかもいますからね。世間の人が聞いたら、“えっ”って言うような人もいますけど、誰がいるかって、それは言えません(笑)。第一、サッカーやるときは、そんな肩書は抜きですから。

 チームとしては、月に3−4回は試合をやっていますかね。なかなかグラウンドを取るのが大変なんですよ。僕は月1回、多くて2回ぐらい参加できればいいほうですね。サッカーは下手だけど、自分なりに思いっきり愛情は注いでいますから、オシムがどういう風に日本代表チームを作ってくれるか、楽しみにしています。

 もっとも僕の本来のフィールドは芝居。役者として、いつまでもピッチにたち続けていたいと思っていますよ。