秋月達郎の公式サイト『浪漫堂』へようこそ
このホームページは「1998年5月15日」に開設しました
改装したのは「2002年4月15日未明」「2003年5月15日正午」です
ちなみに、秋月は半田弁と共通語の弐箇国語しか喋れませんので
上記のどちらの言語も解されない方は「こちら」へどうぞ
なお、サイト内における文章の転載は御遠慮くださいませ

自己紹介趣味のお部屋
秋月達郎のまったく明解な略歴
極めて単調な日常と趣味について

新刊情報『深川小町捕物控・恋やつれ』
共著情報『妖かしの宴』
雑誌情報『歴史街道』『月刊PHP』
さあ、いますぐネットで注文しよう!

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マヤの暦【人生の自由研究】
個人的に涙のちょちょぎれるサイト
秋月作品についての解説があります

これまでの御挨拶&書生日記
『2005年6月まで』 『今月』
淡々と綴ってあるだけですが……

『作品目録』 『作品目録U』
現在にいたるまでの著作を網羅
処女作などの未発表作品もあります


【日本エンターテイメント系作家リンク】 【日本文藝家協会】
【日本インターネット歴史作家協会】 【日本推理作家協会】

【2005年10月25日火曜先勝(旧暦9月23日)の御挨拶】
本日の月齢は22.07。小潮の弓張月。下弦の月です。今日の誕生花は「パイナップルセージ=家庭的、ユーカリ= 慰め、秋の野罌栗=控え目な人、楓=非凡な才能・遠慮」です。亥の二刻、21時14分現在、半田の天気は晴れ、気 温17度、湿度68%、降水量0mm/h、北西の風1m/s、知多地域には警報注意報ともに発令されていません。さて。 半田のことはともかく、昨日、映画を一本、見ました。1968年に三船プロと石原プロの合作として制作され、日活 によって配給された「黒部の太陽」です。この映画はテレビ放映もDVD化も拒否しています。石原裕次郎が大画面で の上映に拘りつづけたからです。この先も大画面でのみ上映されていってほしいですし、そうした土性骨の座った姿勢 には感銘を受けます。こんな映画が世界に一本くらいあってもいいと想います。で、このたび調布市制50周年の記念 上映が行なわれました。調布には角川大映撮影所と日活撮影所、そして東京現像所などがあり、映画の町と自負し、か つては東洋のハリウッドと豪語していた時代もあったからです。その記念に「黒部の太陽」ですから、もってこいの上 映でした。観客は1300人の定員も軽くオーバーするという盛況ぶりでしたが、クライマックス、いよいよ発破が仕 掛けられ、爆風のかなたにトンネルの向こう側から声が聞こえてくるのを待つという無音の状態が数十秒、あります。 画面の中の緊張感は最高に高まり、観客もまた固唾を飲んで画面に食い入りました。無音というのは耳に意識を集中し ます。1300人の観客は生唾を飲みこむことすら我慢し、息すら止めました。ところが、その瞬間、着メロです!! まのぬけた着メロがホールに鳴り響きました。ひとりのスタジャンの男性が立ちあがり、携帯を片手に外へ出ていきま した。……悲しいですね。観客がひとりもバズーカ砲をもっていないで良かったですね。でも、悲しいのは、もうひと つ。上映されたのは海外版だったんです。当作品のオリジナル全長版は3時間13分、海外版は2時間15分です。市 は熊井監督を招待していたようですし、観客のあらかたは初めて見るひとがほとんどだったでしょう。にも拘わらず、 市はオリジナルを上映しませんでした。映画の町を自負する市が、その市制50周年の記念上映に「短縮版」ですわ。 あたしゃ、情けなくて涙が出ます。東洋のハリウッドと呼ばれたのが遠い遠い過去の時代で良かったですね。でもね、 街中の喫茶や飲み屋にはやはり常連となっている映画のスタッフもいますし、演技事務や助監督の顔もよく見かけます。 女優の卵やモデルさんなんかも、やっぱり、珈琲を呑んだり、お酒を呑んだりしてたりします。そういう町なんです。 それがあ〜た、短縮版ですよ。短縮版。情けないじゃありませんか。ちょうど、僕のうしろに座っていた男性は、当時 のスタッフのひとだったようです。途中から、ぐすぐすと洟を鳴らして泣いていました。上映が終わったとき、お連れ の女性に「いっぱい切られてたね……」という言葉をもらしてました。東宝争議以来、戦車は登場してないですけど、 良かったですよ。主砲を市役所に向けて、ぶちかましたいとおもった客も少なくなかったでしょう。無料でしたが……。

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