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「こだわり会館」
その一瞬が文化を生む 闘うコオロギ
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10年以上かけて集めた闘蟋の道具もろもろ。体重計や寝室など20種類以上だ=東京都武蔵野市で
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オスのコオロギを闘わせる「闘(とう)蟋(しつ)」という遊びが中国にある。
飼い主の男たちは、コオロギをいかにたくましく立派な戦士に育てるかに、カネと時間と知恵を注ぎ込む。食餌(しょくじ)法、入浴法、便秘や冷え性の治療法、減量、トレーニング、果ては雌雄の「房中術」まで、いやはや、マニアックぶりはおそろしい。
翻訳家瀬川千秋さんは、家庭も顧みず熱中する、中国の男たちの生態を10年以上もじーっと観察、そのこだわりを「闘蟋」(大修館書店刊)にまとめた。
たとえて言えば、コオロギ版のレスリング、いや、けっ飛ばしもあるから「K−1」か。8月末に捕ったり、買い求めたりしたコオロギを育て、9月に練習試合で闘わせる。そこから強いコオロギを選び、10〜11月の「虫王」を決するチャンピオン大会に持ち込む。
闘いは「闘盆」というアクリル製のリングで始まる。慎重な計量を終えた戦士はネズミのひげなどを植えた筆で触角や脚をなでられると、興奮して戦意をかき立てられる。ひげだって生け捕りしたネズミから抜いたのに限るのだ。
つかみ合い、投げ飛ばし、頭突き、かみつき。何でもあり、である。勝者は「リリリリリ」と翅(はね)を打ち振るわせながらリングを一周、敗者は逃げまどう。
闘いは数分とあっけないけれど、「その瞬間までの道のりを楽しむのです。そうして、美術工芸、昆虫学、文学など独特のコオロギ文化をつくりだしてきました」。
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「牙」をむいて闘うコオロギ=上海で、瀬川さん撮影
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90年9月、北京のはんこ屋のおじさんが秘密の試合場に連れて行ってくれた。コオロギを飼う素焼きの容器に扇形のベッド、半月型の水皿、餌皿がちょこんと置いてある。それぞれに精密な絵や吉祥紋が描かれ、脚を痛めないように床は特殊な土で固めてある。
小学生の夏休み、宮城県・小牛田町の父の実家で見たふすまの山水画に引きつけられた。そそり立つ山々、川が流れ、橋があり、目を凝らすと小さな人間がいる。
丸い容器の中はあのふすま絵と同じ、摩訶(まか)不思議な宇宙だ。コオロギがあたかも山中に隠遁(いんとん)する文人のように見える。中国の人たちはコオロギを通して、世間の煩わしさをしばし忘れ、別天地を実感したいのだ、と得心した。
会員制クラブで成り金社長や高級役人が遊ぶゴージャス風から、カネが命の庶民のかけ試合まで様々だが、愛情を注いで育てたコオロギを仲間の家に持ち寄り、闘いを楽しむ文化人や中産階級の遊び方に、瀬川さんは親しみを感じる。勝敗ではない。手塩にかけた戦士が立派に闘ってくれれば、それで満足。道具に凝り、コオロギから自然を感じ、詩や絵を、ゆったりとたしなむ。
昨年初め、日本蟋蟀(コオロギ)協会を結成、15人の好き者で遊んでいるが、早くも会員から「日中対抗戦」の声がある。
いやいや、あちらは唐の時代から1200年、こっちは1年ちょっと。だいたい、国内で探したって、騒音と外来種アオマツムシの鳴き声にかき消され、日本の「サムライ」を見つけるのはそう簡単ではない。
(文・斎藤鑑三 写真・大越邦夫)
〈館長アラマタの講評〉
■強さのもとは何?
僕もネズミのひげの筆を持っている。コオロギを入れて運ぶヒョウタンで作った容器も。だから瀬川さんの情熱はよく分かる。実にエライ。
コオロギ遊びは共産主義、社会主義の革命騒ぎよりも根強かった。何しろ、売り手が水たまりの上に露店を出していても、客は泥水に靴を踏み入れてのぞきに来るのだ。
日本でも闘蟋が行われていたとは。僕の取材では、中国では餌に飯粒を与えていた。日本では何を食べて強くなるのだろう。日中闘蟋戦が楽しみだ。日本コオロギがんばれ!!
(作家・荒俣宏)
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