2005.04.24付紙面より
真っ白より岡田准一の色でいい
乗りに乗っている。V6岡田准一(24)。話題作の出演が相次ぎ、俳優としての魅力を存分に発揮し始めた。ジャニーズ事務所のアイドルとして順調な道のりを歩んできた印象もあるが、柔軟性のない自分にもがき苦しんでいた時期もあった。少年期の父親不在から理想の大人像を追求し続けた思春期。悩んだ末に達した岡田の結論とは。
好きな男
毎年春先に話題を集める調査結果が先日発表された。人気雑誌「an・an」恒例の読者アンケート「あなたが選ぶ好きな男」。SMAP木村拓哉が、12年連続首位を獲得したことが話題になったが、実はもう1つ“事件”があった。昨年8位だった岡田准一が、初めて3位にランクインした。草なぎ剛、香取慎吾、中居正広らSMAPのメンバーや、人気俳優の妻夫木聡、坂口憲二を抑えての堂々の上位進出。世の若い女性たちにとって、もっとも旬な存在と言っていい。
「支持されることは本当にうれしいんですけど、実感は全くないです。仕事を評価してくれたと受け止めていますが、自宅にいる時の僕なんて、ひどいですからねえ。この前も、テレビの情報番組を見ていたら、僕のことについて、いろんな方が結構いいこと言ってくれていたんです。その時ちょうど、寝転がってパンツ一丁で大股(また)広げて見ていたんです。別に誰に見られているという訳でもないんですけど、何だか申し訳なくなってきて。ちょっとずつ足を閉じました(笑い)」。
仕事の充実ぶりを見れば人気上昇もうなずける。02年に宮藤官九郎脚本のコメディードラマ「木更津キャッツアイ」のハイテンション演技で男性ファンを獲得。03年に映画化され、興行的に成功した。今年公開された主演映画「東京タワー」では人気女優黒木瞳を相手に本格的ラブストーリーに初挑戦。濃厚なラブシーンも披露して、こちらも大ヒット。現在出演中のTBSドラマ「タイガー&ドラゴン」(金曜午後10時)は、宮藤が脚本を手掛け、落語をモチーフにした話題作。昨年のカンヌ映画祭で、柳楽優弥の主演男優賞受賞が話題になった「誰も知らない」の是枝裕和監督が、これから撮影に入る時代劇「花よりもなほ」の主演の座も射止めた。今夏には主演映画「フライ、ダディ、フライ」も公開される。V6というアイドルグループの一員でありながら、こうして並べて紹介しただけでも、俳優としての飛躍には目を見張るものがある。
「周りの方々に本当に感謝しなきゃいけないですよね。正直に言うと、自分から好きでやり始めたことではないんです。むしろこういう仕事はやっちゃいけない人間だと思っていましたから」。
意外な言葉だった。今でこそ「芝居が大好きです。できることならずっと続けていきたい」と胸を張って言えるが、芸能界に入ったばかりの10代のころは、出口の見えない葛藤(かっとう)の日々を送っていた。
単身上京
小学2年の時、両親が離婚した。以来、母親のもとで育った。母親はピアノの先生だった。女手1つで姉と岡田を育てた。夜遅くまでレッスンをしていたこともあって、岡田は寂しい思いもした。中学に進学すると尊敬する先生ができた。中学や高校で歴史を教える先生か、臨床心理士になりたかった。ごく普通の中学生だった。14歳になったころ、母が真剣な顔でこう言った。「私は年をとってもあなたに面倒を見てもらうつもりはありません。だからあなたも、1人できちんと生きていける男になりなさい」。父親不在の家庭環境の中、男としての生き方を説く母親の言葉が心に強く響いた。
中学3年の夏、母親はその言葉を実行に移す。端正な顔立ち、どこか華のある存在感。可能性を感じた母親は、日本テレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!」の人気コーナー「ジャニーズ予備校」に応募する。結果は合格。
「授業中に先生にあてられても顔が真っ赤になってしまうような性格でしたから、僕には無理だと思ってました。興味もほとんどなかった。母の教育もあって精神的な自立は早かったので、決まったのなら、やってみようかと決心はしたんですけど…」。
生まれ育った大阪を離れ、単身上京した。オーディションから3カ月後。ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が素質を見抜き、デビュー直前だったグループ、V6に加える。ほかのメンバーは、デビューに向けて、何年もレッスンを積んでいた。岡田は最年少。戸惑いは大きかった。
「全然ついていけなかった。焦りましたし、悔しかった。恥ずかしかった。僕1人だけ踊れない。同じポーズをとるにしても、ビシッと決められない。体の使い方が分からない。家で練習もしました。メンバーもやさしいので教えてくれましたが、悔しかった」。
内から外
都内の高校に進学した。仕事は次々と入ってきた。
「オレはこれをやっていくんだ! と強い気持ちを持って取り組んでいる人もいましたが、僕は違いました。受動的で、やらせてもらっている感覚が強かった。一向に慣れないし、緊張はするし。性格的に向いていないとずっと思ってました。何度も辞めようと思いました。でも一歩踏み出すほど勇気もなかったし、やろうよ、と言ってくれる周囲の方々がいた。まあ、やらなきゃいけないことがとどまることなくどんどんきたというのが本当ですかね」。
仕事を離れても、気になることはあった。
「父親が突然、自分の目の前からいなくなったこともあって、乗り越えるべき存在というか、理想の大人像がなくなってしまったので、自分で見つけなきゃと思ったんです」。
周囲の人間をよく観察するようになった。いいなと思ったことはまねしてみたが、うまくいかなかった。焦り始めた。答えを本に求めるようになった。手当たり次第に読みあさり、人間について考えた。小説はもちろん、哲学本や宗教本にも手を出した。朝まで読み続け、眠ってしまい、授業に遅刻する日もあった。
「みんなが思ういい人になりたかった。理想は“クリアな真っ白い人”。染まってなくて、汚れがなくて、クセもない。包容力もある感じですね」。
芝居に興味を覚え始め、映画も大量に見るようになった。帰宅前にビデオを3本ほど借りる。これを一気に見る。気になることはメモも取った。
「寝てる時間があったら身になることをしようと。3本目なんて結局覚えていないから意味はないんですけど、筋肉トレーニングみたいなものです。毎日見なきゃって。やり始めたら続けなきゃと。強迫観念を自分で作ったようなものです」。
ミュージックビデオやドキュメンタリーも見た。自分の理想を探し続けた。極端な理想探しはやがて、ある結論に達する。世紀が変わり、岡田もちょうど20歳を迎えた時だった。
「真っ白な人、真っ白な画用紙は、面白みがないなって思えてきた。決めつけないで、いろいろな色が画用紙に描かれている方が、人間としてはずっと興味深いぞと。心の底が真っ白なら、少しぐらい汚れていても、毒があっても、その方が味があるなって。内側に向き続けていた意識が、外側に広がった感じですね」。
父親不在から生じた執ような理想像探しが、終わりを迎えた。
今が幸せ
強烈な思いこみを捨て、固く閉ざしていた心の扉を外に向かって開いた瞬間、岡田の前に次々と魅力的な仕事が舞い込んでくるようになった。21歳の時、初の単独主演ドラマ「木更津キャッツアイ」の出演が決まった。以後の活躍は前述した通りだ。
「自分はこうありたいなどと考えなくなってきた。決めつけないで、自由でいいなと。アイドルと呼ばれるか、俳優と呼ばれるか、なんて気にしていた時期もありました。今は、気にしません。芝居をしていても、自分がどう見られているかばかり考えていました。自分を見て、ほめてほしかった。今は、作品をどう面白くするか、どうかかわっていけるかと考える。意識が変わってきました」。
理想の大人像をかたくなに求め続けることをやめたとたん、不思議と自分なりの理想の父親像が頭に浮かんでくるようになった。
「自分の子供に『お父さんは20代のころ、とても格好良かったんだよ。輝いていたんだよ』と、言うような父親にはなりたくないんです。子供に向かって『お前がいるから、お父さんは今、幸せなんだ』と言える父親でいたい。昔でも未来でもなく、今が自分は一番幸せなんだと胸を張っていえる人間でいたい。自分がどうありたいかではなく、どう生きているのか。それでいいんだと。だから家族は絶対に作りたい。父親にもなりたいんです」。
かたくなに理想を求めてきた時期があったからこそ得られた自分なりの答え。「お父さんにしたいタレント」なんてアンケートで、1位をとる日も来るかもしれない。
愛犬さつまは元気?
ドラマ「タイガー&ドラゴン」で共演中のTOKIO長瀬智也(26) 8年前に初めて共演した時は事務所の後輩という意識が強かったけれど、今は1人の役者として見ている自分がいます。岡田自身の役者としての世界観が、それだけ強くなったからだと思います。そういえば、愛犬さつまは元気ですか? 僕も犬好きだけど、岡田も犬好きだよなぁ。ロケの合間は、さつまの世話をするため家に戻っているみたいだし。映画の撮影で地方に行くことが多くなるみたいだけど、さつまの世話、オレに任せてもいいんだぞ(笑い)。
◆岡田准一(おかだ・じゅんいち) 1980年(昭和55年)11月18日、大阪府生まれ。95年にV6メンバーとして、シングル「MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビュー。同年フジテレビ「Vの炎」でメンバーとともにドラマ初出演。同グループは「Made In Japan」「Take Me Higher」などシングルヒットを連発。97年TBSバラエティー「学校へ行こう!」がスタート。01年に渡哲也主演のテレビ朝日「反乱のボヤージュ」、木村拓哉主演のフジテレビ「忠臣蔵1/47」などのスペシャルドラマにも出演。169センチ。
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