川口村をでた羽州街道は、現国道7号の信号を右折し山田川を渡り、現県北木材センターから岩瀬村へ入って行くと岩瀬村の支郷代野集落へ出ます。 集落を南北に貫く街道の北側の道は、赤川・蛭沢を貫き北上し、山瀬ダム・ロケット燃料燃焼試験場、少し行って田代岳登山入り口(荒沢駐車場)前を通って、さらに奥え延び長慶金山跡そして現青森県相馬村に通じています。 途中赤川の北東にある山田村の洞雲寺には、伊多波武助が寄進したと伝えられている宝篋印塔と三十三観音像があります。 羽州街道は左側の道を南下し、国道7号を横切り、善知鳥坂を通り岩瀬集落に入りますが、直進し旧国道を横切ると横岩村へ(川口村で紹介)通じます。右側に進み、ゆるい坂道を下っていくと、右手に藩政期「長慶金山」を操業した伊多波武助の屋敷跡があります。岩瀬川を渡ります。ここの川下は徒渡りでした。 川を渡って左折し、岩瀬川沿い下流に進み、旧国道岩瀬橋たもと手前で右折して伊勢堂下の坂道を上って行きます。 さらに南西に向かって進むと、岩瀬村と早口村境の米代川近くの深沢小川に出ます。ここはJR奥羽本線と交わるところです。 街道はJR奥羽本線に吸収され、西に250mほど進みます。そして、右折し北上すると戊辰戦争の激戦地の高陣場山に出ます。そこを左折し、戊辰戦争の標柱を右手に見、左手に秋田営林局森林技術センターを見ながら、約600m進み右折します。ゆるい坂道を下り国道7号を横切って、さらに下りながら比立内川を渡ります。渡ったところの右手奥には、出口稲荷神社が鎮座しています。 ここから川渡りの難所の一つである早口川を渡って、対岸の坂地村へと進みます。ここも徒渡りでした。
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