いかりや長介さん“遺言”は「仕事頼むよ」
ドリフ40周年に「大黒柱」失う

いかりや長介さん
いかりや長介さん
 日本中に衝撃を与えたザ・ドリフターズのリーダーで俳優のいかりや長介さん(享年72)の死。昨年5月に発覚した頚部リンパ節がんとの闘病を続けながら、ドリフ40周年の今年、完全復活もかけていた。病床で事務所関係者に最後に話したのも「仕事、頼むよ」のひと言だった。

 いかりやさんが亡くなったのは、20日午後3時30分。原発不明がん頚部リンパ節転移で都内の病院での最期だった。訃報直後、「3月に入って体調が悪化したとは聞いていたが、そこまで悪いとは…」と事務所関係者は言葉を失った。

 実際、15日の入院も突然で、事務所の井澤健社長も知らせを聞いて駆けつけたが、臨終には事務所関係者は立ち会えなかった。入院中も、事務所関係者がいかりやさんに最後に会ったのは、亡くなる3日前の17日。担当マネジャーが病室を訪ねた際、いかりやさんは「仕事(入れてよ)、頼むよ」と話したという。

ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ
 「その時は元気そうだったというが、あの言葉が遺言みたいなものかも…」と関係者は再び押し黙った。

 「家族の大黒柱がなくなったみたいで非常に残念」(加藤茶)、「ドリフターズは僕の人生そのものであり、いかりやは最後の恩人でした」(高木ブー)、「仕事面での妥協を許さない厳しさを教えてくれた偉大な方でした」(志村けん)

 衝撃さめやらぬ21日、所属事務所からドリフメンバーの追悼コメントが発表された。なかで仲本工事の「一番健康管理に気をつけていたのに…」という思いはだれもが思っていたことだった。

 「たばこもやめ、酒も控え、自分で体をつくっていた。70歳を超えてあの体形を維持することは感動的だった」(映画関係者)ほど。

 それでも、病魔を退けることはできなかった。昨年7月に復帰後、秋から映画「恋人はスナイパー」やドラマ「あなたの隣に誰かいる」の演技に「声がかすれているが、体調は大丈夫か」といった声も。年末からは仕事を休んでいたが、ファンも待ち望んだ完全復帰はついにならなかった。

 通夜は23日午後6時から、葬儀・告別式は24日午後1時から、東京都港区南青山2−33−20の青山葬儀所で。喪主は長男、碇矢浩一氏。

ZAKZAK 2004/03/22