のっぽとタイムボカン

このページでは、のっぽが関わったタイムボカンシリーズの作品を紹介いたします。

 タイムボカン(1975年10月4日〜1976年12月25日)

※企画参加、脚本(1本・下記参照)、挿入歌作詞

 第6話 「海賊は オウムが好きだ ペッチャ」('75年11月8日放映) 

※ぼくが竜の子を辞める前に、「タイムボカン」で1本だけ書いたのがこの6話でしたね。で、この話がそのまま東宝系で劇場にかかったんです。というのも、劇場に何をかけるか決める際に、竜の子としては、2次使用料を払わないですむ脚本家の作品がいい、と(笑)。竜の子では、フリーになった人間が社員になった時に書いた物に関しては2次使用料を払わないでいい、という取り決めが当時あったんですよ。それで、ぼくのが選ばれたというわけです。

 [LP版]タイムボカン(1975年12月21日発売)

※脚本、構成

※75年夏に退社したあと、今は亡き吉田竜夫社長に戴いた仕事だった。今で言えば、CDドラマを二本書いた。「おじいちゃんどこにいるの」「鬼ヶ島の決斗」がそれ。
「鬼ヶ島」の方で桃太郎を演じたのが山本正之さん。これが山本さんの正真正銘の声優デビュー作になる。棒読みというか、不思議な台詞回しで、小原乃梨子さんをして「もしかしたら桃太郎ってこんなしゃべり方だったかも」と言わしめた。のっぽも海賊の手下Aで初出演。台詞は「しらねーな」の一言だった。それから特別作詞もさせて戴いた。滝口順平さんが歌った「ペラ助のぼやき節」がそれ。悪のりしてコーラスまでしている。
 後年、浅草を歩いている時、レコード店でこのLPレコードがCD化されているのを発見。愛おしくて買ってしまった。

 ヤッターマン(1977年1月1日〜1979年1月27日)

※不参加

※「タイムボカン」を一本書いただけで退社(75年8月5日)したあと、のっぽは順調にフリーの脚本家生活を送っていたが、76年の6月に肝炎のために入院。それ以降「ゼンダマン」で復帰する(78年10月)まで、長くて辛い療養生活を送っていた。唯一脚本家として挫折を味わった時期。しかし、78年10月18日、そんな状況だったが結婚。これ以降、本格的にカムバックすることになる。結局、T・Bシリーズに救われた。二年余り書けなかったこの時期に学んだことが多いのも事実だ。

 ゼンダマン(1979年2月3日〜1980年1月26日)

※文芸担当(38話以降)、脚本(9本・下記参照)

 第9話 「ボケの仙人だよ! ゼンダマン」('79年3月31日放映)
 第19話 「アパッチの宝だよ! ゼンダマン」('79年6月9日放映)
 第21話 「ジャムの長政! ゼンダマン」('79年6月23日放映)
 第22話 「ポンペイの最期だよ! ゼンダマン」('79年6月30日放映)
 第26話 「水戸紅門だよ! ゼンダマン」('79年7月28日放映)
 第34話 「ヨーローの 滝だよ! ゼンダマン」('79年9月22日放映)
 第41話 「古代オリンピックだよ! ゼンダマン」('79年11月10日放映)
 第51話 「命のもと発見! ゼンダマン」('80年1月19日放映)
 第52話 「おお命のもと! ゼンダマン」('80年1月26日放映)

※約2年ぶりに脚本を書いたわけですけど、30分物の感覚が取り戻せなくって。書けないんですよ、恐ろしかったなあ。この作品の思い出としては、あの「愛のめざめ〜」というアイデア……あれは、小平の“すかいらーく”かなんかで、笹川さんと大貫さん、それに押井ちゃんと、4人ぐらいで打ち合わせをしているときに生まれたものなんですよ。

 タイムパトロール隊 オタスケマン(1980年2月2日〜1981年1月31日)

※文芸担当、脚本(6本・下記参照)、挿入歌作詞

 第1話 「オタスケマン VS オジャママン」('80年2月2日放映)
 第4話 「新隊員 いよいよ登場」('80年2月23日放映)
 第50話 「パトロール隊の タイム遠足」('81年1月10日放映)
 第51話 「月面着陸 アポロは2番!?」('81年1月17日放映)
 第52話 「オタスケマン 大ピンチ!?」('81年1月24日放映)
 第53話 「輝け! 世界のオタスケマン」('81年1月31日放映)

※80年の2月2日に「オタスケマン」がスタートし、3月17日に長女が難産の末に生まれたんです。復帰して間もなくで十分な蓄えもなく、出産費用を「オタスケマン」のギャラで支払ったことを覚えている。
 今でも長女の誕生日になると、「オタスケマンにお助けいただいたなぁ」と家内と話すのが恒例だ。それだけに忘れられない作品ですね。
 その長女も今年成人式を迎え、現在はニューヨークのJ音楽院でピアノの勉強をしている。T・Bシリーズの歴史を感じてしまう。

 ヤットデタマン(1981年2月7日〜1982年2月6日)

※文芸担当(前半)、シリーズ構成(後半)、脚本(7本・下記参照)

 第1話 「必見! 未来からの使者」('81年2月7日放映)
 第30話 「ジュジャクの陰に なぞの影」('81年8月29日放映)
 第40話 「六周年だよ 舞台中継」('81年11月7日放映)
 第47話 「伯爵コヨミに プロポーズ」('81年12月26日放映)
 第48話 「ひょうたんに ジュジャク」【共同執筆:内田幸子】('81年2月7日放映)
 第51話 「最後の ジュジャクさがし」('82年1月30日放映)
 第52話 「甦れ! ナンダーラ王国」('82年2月6日放映)

※主人公達が探し求めたジュジャクはのっぽの命名。クジャクよりも美しい不思議な鳥ということで、9の上で10ジャクとしたんです。この辺のネーミングの妙はのっぽの独壇場ですな。ついでにのっぽのネーミングの傑作を挙げると、「破裏拳ポリマー」の車 錠探偵長と南波(なんば)テル。車は二代目シャーロックからシャ(車)ロック(錠)。テルは探偵事務所の電話番の女の子ということで、テルナンバーをひっくりかえしたもの。そこで、テルのパパ所有のビルはナンバーワンビル。良くできてるでしょう?
ちなみに「ナンダーラ」は当時流行ったゴダイゴのヒット曲の「ガンダーラ」から。
 最終回で物質文明の崩壊を描きたかった。前後編となったこの二作は、当時タツノコの企画文芸部などが入居していた国分寺のビルの隣りにあったビジネスホテルに宿を取って、夕方チェックインして翌日朝チェックアウトするまでに書き上げたことを覚えている。あの頃は馬力があったなぁ。

 [劇場版]タイムパトロール隊 オタスケマン
     「アターシャの結婚披露宴!?」(1981年3月14日/東宝系)

※脚本

※もともとLPの物語としてぼくが書いたものがベースになっている作品ですね。で、映画用の脚本をあらためて書いた記憶があまりないですねえ。構成だけやって、後は人に任せたのかも知れませんね。

 逆転イッパツマン(1982年2月13日〜1983年3月26日)

※シリーズ構成、脚本(27本・下記参照)

 第1話 「ピンチ一発 大逆転」('82年2月13日放映)
 第2話 「ライバルは すごいやつ」('82年2月20日放映)
 第13話 「豪・その出生の 秘密」('82年5月8日放映)
 第19話 「TV中継 ベーブルース」【共同執筆:海老沼三郎】('82年6月19日放映)
 第24話 「消えた ホームベーサー」('82年7月24日放映)
 第26話 「シビビーン 大変身!」('82年8月7日放映)
 第29話 「幽霊屋敷は 大にぎわい」【共同執筆:久保田圭司】('82年8月28日放映)
 第30話 「シリーズ初! 悪が勝つ」('82年9月4日放映)
 第31話 「登場! 新イッパツマン」('82年9月11日放映)
 第32話 「イッパツマンの 大秘密」('82年9月18日放映)
 第38話 「ミスターX 見つけた!」('82年10月30日放映)
 第41話 「助っ人 オタスケマン」【共同執筆:中 弘子】('82年11月20日放映)
 第42話 「暴かれた ハルカの秘密」('82年11月27日放映)
 第43話 「負傷! 狙われたハルカ」('82年12月4日放映)
 第44話 「ああ ハルカと豪の秘密」('82年12月11日放映)
 第45話 「コンドー会長の 謎の島」('82年12月18日放映)
 第47話 「初夢 コスイネン四変化」('83年1月8日放映)
 第48話 「78歳 ムンムン快調」('83年1月15日放映)
 第49話 「球四郎は 死んでいた」('83年1月22日放映)
 第50話 「ハルカの部下 ミンミン」('83年1月29日放映)
 第52話 「コルドー監督の 迷映画」('83年2月12日放映)
 第53話 「裏切ったイッパツマン」('83年2月19日放映)
 第54話 「ああ結婚 ハルカと豪」('83年2月26日放映)
 第55話 「襲われたハネムーン」('83年3月5日放映)
 第56話 「わかるか 球四郎の正体」('83年3月12日放映)
 第57話 「コルドーの 意外な正体」('83年3月19日放映)
 第58話 「大逆転! 愛ゆえの勝利」('83年3月26日放映)

※大好きな作品の一つであり、ぼくの代表する作品の一つでもあると思う。とにかく、「シリーズ初! 悪が勝つ」なんて、このシリーズならではの作品だよね。一番気に入っているギャグはコスイネンの造った、これに乗っていると心浮き浮き明るく軽めになってしまうというメカで、なんと原料が氷で造った金属で「氷金属」(ひょうきんぞく)という滅茶苦茶な物。メカ戦やっている最中に溶けちゃって、負けてやんの。

 イタダキマン(1983年4月9日〜1983年9月24日)

※脚本(1本・下記参照)

 第7話 「それを食ったら おしまいよ」('83年5月28日放映)

※この作品ではフジテレビのプロデューサーになぜか嫌われ(楯突いたかららしい)、シリーズ構成をマンネリの理由で降ろされた。「偉大なるマンネリ」を標榜しているシリーズなのに、それはないだろうと思ったが、権力を持っている者は強い。同じ理由で山本正之さんも降ろされた。二人とも、いまだにそのプロデューサーを認めないし、許してもいない。栄光のシリーズに泥を塗ったからだ。
10何話かで打ちきりになった時、山本さんと二人で「ざまぁみろ!」と思った。
行きがかり上、1本だけ書いたが、書く気にもならなかったし、話の設定が霊の実在を認めるのっぽにとって、お釈迦様の霊云々ということになってしまったこともあり、物怪の幸いで降りた。何の愛着もない作品。のっぽの中ではこの作品はT・Bシリーズではない。

 ラジオ・平成タイムボカン(1996年7月7日〜1997年3月30日)

※番組パーソナリティ【共演:小原乃梨子】、脚本(28本・下記参照)

[第1〜12話 復活! 世直しドロンボー]
 第1話 「会いたかったよ×××[チョメチョメ]」('96年7月21日放送)
 第2話 「コギャルに愛のお仕置きを」('96年7月28日放送)
 第3話 「住専のオヤジに愛の鉄拳を」('96年8月4日放送)
 第4話 「尻取り=悪い インチキ 危険」('96年8月11日放送)
 第5話 「パチンコ依存症に愛の手を」('96年8月25日放送)
 第6話 「オヤジの大逆襲」('96年9月1日放送)
 第7話 「撃退! 迷惑携帯電話」('96年9月8日放送)
 第8話 「マゴギャル VS ドロンボー」('96年9月15日放送)
 第9話 「セクハラ社長よ恥を知れ!」('96年10月27日放送)
 第10話 「ペット大いに怒る!」('96年11月3日放送)
 第11話 「世界一の花婿さん」('96年11月10日放送)
 第12話 「世直しドロンボーよ何処へ行く?」('96年11月17日放送)
[第13〜28話 カエッテキタマン]
 第13話 「復活! 悪のドロンボー」('96年12月1日放送)
 第14話 「秀吉のお宝を探せ」('96年12月8日放送)
 第15話 「猿岩石[マンキーロック]の秘密」('96年12月15日放送)
 第16話 「タダイマンじゃありません」('96年12月22日放送)
 第17話 「漂流! 特急マンモス」('96年12月29日放送)
 第18話 「エッグいコロンブスの卵」('97年1月5日放送)
 第19話 「今年は丑年牛若丸」('97年1月12日放送)
 第20話 「反省しろよボヤッキー」('97年1月19日放送)
 第21話 「金次郎さんて知ってる?」('97年2月2日放送)
 第22話 「損得抜きの尊徳さん」('97年2月9日放送)
 第23話 「もう一人のシンデレラ」('97年2月16日放送)
 第24話 「王子様の本命は誰?」('97年2月23日放送)
 第25話 「覚えているかなドレミ剣」('97年3月2日放送)
 第26話 「帰ってきたヤットデタマン」('97年3月9日放送)
 第27話 「驚異のボカンマニア」('97年3月16日放送)
 第28話 「今度はアニメで会いましょう」('97年3月23日放送)

※「タイムボカンシリーズ」復活を願って作られた番組。パーソナリティも小原乃梨子さんのおかげで楽しめた。
CDドラマも楽しく書けた。困ったのはドロンジョ様たちの三人を主人公にした前半は、話のネタが子供のものにならなかったことだ。その為に苦肉の策として三人を善玉にせざるを得なかった。そこで「世直しドロンボー」の誕生となり、住専問題やコギャル問題を始め社会性のあるテーマをネタにした。
後半の「カエッタキタマン」は従来のスタイルにし、カエッタキタマンのヒロインとその忠実な僕VSドロンボーという設定ができ、のちのきらめきマンの母胎となった。
この時、忠実な僕を演じたのが岡野浩介さん。そしてボヤッキーの娘のハッピー役が川上とも子さんだった。

 タイムボカン2000 怪盗きらめきマン(2000年4月5日〜2000年9月27日)

※企画参加、シリーズ構成、脚本(5本・下記参照)

 第1話 「お宝はゴールドアイ」('00年4月5日放映)
 第2話 「お金持ちはご用心」('00年4月12日放映)
 第14話 「新メカはフクロ?」('00年7月5日放映)
 第25話 「お手柄刑事トリオ」('00年9月20日放映)
 第26話 「ゴールドアイみっけ」('00年9月27日放映)


参考資料:リスト制作委員会編 小山高生25年史
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