このページは、様々な事についての
管理者の雑感やアキラさんの 映画に
関する新たな発見やエピソードなど
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ダイヤモンド・トリオ対談10/5
原作者&プロデューサー対談9/12

匿名記者座談会37/23
「黒いダイスが俺を呼ぶ」の頃・1964

アゲイン・日活映画と歌7/11
二人はロンリー対談6/15
松田優作さんもアキラファン6/10
日活西部劇6/3
アキラさんのちょっといい話4/1
3/11
1/3
 他社の無国籍アクション映画とは?
1/3
 雑誌記者座談会 第2弾!

 幻の企画タイトルクイズ  12/22

 旭についての雑誌記者の座談会 12/16

 日活コルトの実体を紹介! 12/14

 昭和35年のアキラ映画の新聞評12/11

 ダイヤモンドライン作品充実のお正月興行

 
渡り鳥が与えた影響について考察

 
昭和34年(1959)当時、数ある 
 ファンレターの中から笑える手紙
 を紹介します。

 
日活アクション映画の歴史を、
 石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎
 和田浩治、宍戸錠の5人のスターを
 中心として探ります。

 日活株式会社をダイヤモンドライ
 ンを中心にとらえた略史。上のも
 のとは少し違います。


 
『渡り鳥北へ帰る』の頃までの履
 歴。雑誌「日活映画」からの抜粋。

 

 


 
タイトルについて
 
『日々、さすらい』とありますが、かっこよく各地をさすらうという
 意味ではなく、その全く反対の意味で日々、何かと思いが定まらず心
 がさまよっている様を指します。

★原作者とプロデューサー
渡り鳥・流れ者シリーズの原作者とプロデューサーの対談がある。
これは全盛期の昭和35年に語られたもの。原作者は本当の意味では
シリーズのベースとなった原案を出したということになるが、プロ
デューサーの友人であり、原作者が代議士であったことから、プロ
デューサーである児井氏の気遣いが大きい。これで議員の原氏は一
躍有名人になった。しかし、この対談を読むと、旭さんご本人が怒
り だしそうな発言もある。(笑)
(9/12.02)
 

★アキラ&ジョーのコンビは欠かせなかった
後になって、よく云われることが、アキラさんとジョーさんのコンビを
なくしたことが、渡り鳥・流れ者シリーズの低迷につながったというこ
と。当時の会社の方針として、トニー亡き後、また裕次郎さんが入院中
のローテーションを埋めるのに、既に主演級昇格が決まっていた錠さん
が俄然、忙しくなって立て続けに主演映画を撮った。
映画館主やファンからは、ジョーさんのいないシリーズに不満がつのっ
た。やがてシリーズは終了。
主演クラスになって間もない忙しい錠さんとアキラさんが、やはり二人
はコンビでないとと、お互いに確認し合った。そんな話を見つけました。
(昭和36年初夏の頃、日活撮影所にて)


★故・松田優作さんも「渡り鳥」を見て育った
松田優作さんが「太陽に吠えろ」で注目された頃、一部では、遅れてきた
日活アクションスターという説があった。まさに日活の雰囲気を持つアク
ションスターだった。空手で鍛えられたアクションの動きをもっと長く見
続けていたかったという思いがあったけど、果たせなかったのが残念。
しかし、氏の残された功績は大きい。
 先日、古いファッション雑誌を見ていたら、『人間の証明』の頃の記事
が出ていて、そこには、かつて渡り鳥・小林旭さんのファンだったことが
書かれていました。(6/10.02)

★真剣に和製西部劇が企画されていた
かつて、映画館ではもちろんのこと、茶の間のテレビでも西部劇ば
かりが流れていた時期がありました。現在では考えられないことで
すね。単純なものが飽きられたのでしょうね。単純だからデイティ
ールの面白さが味わいになるとは思うのですが、ダメですか?
西部劇の新作を見ることは皆無に近いですね。ある意味では日本の
時代劇の衰退に近いものがあるのでしょうか。でも、ウエスタン・
テイストというのは、アクション映画には現在も生きていると思い
ます。昭和30年代中盤に狂い咲きしたような「日活西部劇」があ
ったことをお知らせします。(6/3 .02)


★よみがえったマイトガイ
1978年といえば24年前、この時には私も立派な大人(?)。アキ
ラさん特集の上映があったものの、すべては見ることができなかっ
た。これは未だにくやしい。一枚の真っ赤なチラシが未だに私に色
々と語りかける。これらの企画をされた方々の苦労に改めて感謝!
(3/11 2002)

★まぼろしの企画がいっぱい
昭和36年の日活ダイヤモンド・ラインのメンバーの主演企画を発掘
しました。タイトルが変更となり公開されたもの。出演者が変わった
もの。オクラ入りになったものなど色々。 (12/22)

★当時の熱気が伝わる?
小林旭さんと日活についての雑誌記者の匿名座談会を見つけました。
昭和35年の秋といえば、アキラさんの人気が上昇中の頃です。歌に
映画に大人気の頃でした。(12/16)

★今では大したことではないけれど・・・
今は本物よりも本物らしいモデルガンや性能の良いエアガンが巷にあふ
れています。かつては本物の銃についての情報も少なかった時代にアク
ション映画には欠かせないピストルが日活で生まれました。それは他社
に先がけて性能の高い精巧なものだった。「日活コルト」の名前で呼ば
れるピストルは、日活アクションスターにとって欠かせない、もう一方
のスターかも知れない。(12/14)

★1961年正月は、ダイヤモンドライン全盛?
この年の正月映画のラインナップは充実しきっています。
ダイヤモンドライン4人がずらり。助演陣も充実。今思うと凄いですね。
興行成績も『波濤を越える渡り鳥』を筆頭に好成績を収めています。
夢よもう一度・・・といっても仕方なし・・・。(12/5)


★休日はビデオを流してありし日にひたる
かつて、地上波とBSの公共放送での番組を録画したものを久々に見た。
3本分のテープで12分が2本、160分が1本。メモをとっていなかった
ので放送日は不明。一本はダイヤモンドラインの紹介。珍しい和田浩
治の和製ウエスタンに改めて喜ぶ。他の方々
のものは目にする機会は
多いものの、この方のはずいぶん以前に日活映画が頻繁に流れていた
頃にしか憶えがない。しかし、この手の内容を地上波のテレビでも特
集した番組があったとは今更
ながらに驚く。今も深夜の時間帯に流し
て欲しいもの。(10/9)


★すっかり,アキラ!
いや、すっかり秋です。哀愁を帯びたアキラの歌声が似合う季節。
ただ今、SONGSの古い時代の歌詞を物色中、2〜3は歌詞の更新ができ
るでしょう。それと、こんな計画があります。映画ポスターに使われ
ていた惹句を作品ごとに紹介します。東映では、その手の本が出てま
したね惹句集。
MOOVIEの作品紹介のところに掲載の予定です。ただ今、鋭意作業中!
左にある予告の小林旭さんの履歴書ですが、写真が使えない現在、ど
のよう に興味深いものにしようかと迷っています。もしかすると、
ボツネタかも?
ご意見を下さい。掲示板の方にでもお願いします。(10/4)


★ふらふらとまとまらず・・・BGM代わりのビデオ
アキラさんのビデオを整理中です。テレビ録画を含めてかなりありました。
最近は放映の機会も減ったようなので残念。仕方なく、レンタル落ちのビ
デオを物色中。遅れ気味のストーリー公開もなかなか進まず、ただ映画の
ビデオを回しているだけ。そろそろ、ストーリー制作にとりかからねば…

思いつつ過ぎゆく日々。昨日は『波濤を越える渡り鳥』を流してました。
兄を追いかける伸次(あれ、渡り鳥が追う立場に)、「どこへ行くんだい
兄さん…
ややあって「人の恋路を邪魔すんなよ」というラオスのセリフ
が頭に
残って…(9/15)

「滝伸次」と「沓掛時次郎」の関係
渡り鳥シリーズが生まれた背景には、プロデューサーの児井英生氏の発想
が元になったことが色々とありますが、その中の一つに「長谷川伸」の世
界を現代劇でと考えられていました。代表作である「瞼の母」を筆頭にし
た数々の股旅小説は何本も映画化されヒットしました。市川雷蔵さんが演
じた映画の『沓掛時次郎』 (1961大映)は渡り鳥の要素が一杯詰まって
います(…と管理者は思う)。

■一宿一飯の渡世の義理から何の恨みもない人を切らねばならなくなった
時次郎 は、相手の腕に一太刀あびせただけで立ち去る。しかし、その後男
は頼んだ親分に殺される。実は親分が男の女房おきぬ(新珠三千代)に横
恋慕したことから始まったこと。
 時次郎は男に頼まれたことを果たすために、おきぬと太郎坊を故郷に送
り届け るために旅に出る(*1)。夫を時次郎に殺されたと思いこんでいる
おきぬは恨み
つつも旅を続ける。一方、時次郎に恨みを抱く親分は旅先に回状を出し、
時次郎 の行方を追う。おきぬの故郷につき、単身で父親に会うが、頑固に
引き受けを拒 む。その後、おきぬが身重であることを知り、気質になって
自分一人で親子の面 倒をみると心に決める時次郎。
おきぬは、元来の体の弱さを隠しつつ時次郎と夜の町を流す (*2)。そん
なおり、悪い親分に見つかる三人。やがて、その土地の縄張り争いまでに
発展。生まれてくる子供のために金が必要になった時次郎は、一方の親分
の助っ人の依頼に承諾する。
 喧嘩は時次郎の活躍で一方的な勝利を得た。しかし、悪巧みの親分はお
きぬと太郎坊がいる旅籠を襲っておきぬを殺す。そして時次郎の怒りが爆
発。
 太郎坊をおきぬの郷に送り届けて、その後を太郎坊が「おじちゃーん」
と叫ぶ 中を去って行く。やがて、その言葉は「おとっちゃーん」に変わる。
 このラストシーンに当時の人気歌手、橋幸夫の主題歌が流れる(*3)。
映画評論家の西脇英夫氏は「時代劇版シェーン」と称している(*4)。
                           [3 SEP.01]

<脚注>
*1=子供を故郷に送り届けるはめになる(『赤い夕陽の渡り鳥』)
*2= 町を流す流し(『渡り鳥北へ帰る』他はキャバレー内)
*3= ラストシーンに主題歌がかぶる
*4= 渡り鳥シリーズも『シェーン』の影響が大きい


 

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