■ビール一気飲みの勝者が1軍!?

 モテ男といえば、故・仰木彬も負けてはいない。西鉄では大下、中西太、豊田泰光といった大物の陰に隠れていたが、端正な顔立ちとスマートさで、博多ではモテにモテたという。「夜の街に出れば、お店の女性から毎晩引っ張りだこ。当時の三原監督が“真っすぐ家に帰ってバットを振れば、必ず3割バッターになれるのに”とボヤいていたそうです」(球界事情通)

 ちなみに仰木は現役時代、一度も3割をマークすることはなかった……。指導者になっても、その夜遊びは健在だった。「仰木監督は、チームに門限や行動制限を絶対設けなかった。というのも、仰木さん自身が真っ先に破ってしまうから(笑)。試合が終わると、誰より先に街へ繰り出したそうですよ」(スポーツ紙ベテラン記者)

 仰木監督の下でプレーした経験がある金村氏も、驚きのエピソードを明かす。「近鉄時代、チームで札幌のビール園に行ったんです。そこで仰木監督がビールの一気飲み大会を開いて“一番早く飲めたヤツが1軍や”と本気であおった。当落線上の選手はもう必死ですよ。吉井(理人)なんか下戸なのに無理に飲んで、ぶっ倒れていましたからね」 これがシーズン真っ最中の出来事というからスゴイ。

 西鉄では、大エースの故・稲尾和久にも伝説が。舞台は1958年の日本シリーズ。3連敗から稲尾が4連投で4連勝を挙げ、“神様仏様稲尾様”の名言が生まれた、あの巨人戦だ。西鉄が3連敗目を喫した翌日は雨天中止。スポーツ各紙は主力選手を取材しようと宿舎に向かったが、エースの稲尾は宿を出たきり、全然戻ってこない。

「深夜になって、やっと稲尾がタクシーで帰ってきた。でも、ベロベロに泥酔していて、話を聞くどころか、歩くのだって、ひと苦労。こりゃあダメだと、取材を諦めたんです」(元記者)

 ところが翌日、14時からの試合で先発マウンドに立ったのは稲尾。9回を完投し、見事勝ち投手となった。「担当記者を通して、事前に稲尾の状態を聞いていた巨人の水原監督は、“稲尾は本当に飲みに行っていたのか”なんて、試合後、皮肉を言っていましたね」(前同)

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