青山清(あおやまきよし)

教育・文化

靖国神社の初代宮司

【生没年】文化12年(1815)- 明治24年(1891)

【享年】 76歳

【誕生地】阿武郡椿西分(萩市椿)

【墓】東京都港区(青山霊園)

萩城下の南郊に鎮座する椿八幡宮第8代宮司青山駿河守長宗の長男として生まれ、安政年間(1854~59)藩校明倫館の助教をつとめた。文久3年(1863)山口講習堂(山口明倫館の前身)で、「国風振興」の調査を始め、神道の興隆を目指した「神祇道建白書」を藩に提出した。また、吉田松陰門下の吉田栄太郎に年麿(稔麿)の名前を与えた。奇兵隊にも出入りし、高杉晋作や山県有朋、伊藤博文らとかかわり、慶応元年(1865)下関の桜山招魂社で最初の招魂祭を斎行した。慶応3年、山口でできあがったばかりの錦の御旗に祝詞をあげた。また、同年には安徳天皇御陵墓の調査を行い、翌慶応4年には仲哀天皇古陵修理方に就任した。明治になって上京し、東京招魂社の祭事掛などをつとめ、明治7年(1874)明治天皇の初めての御親拝に奉仕した。明治12年、東京招魂社が靖国神社になると、初代宮司に就任。神社境内に、就遊館の建設、青銅製大鳥居の建造、大村益次郎銅像の建立などにかかわった。

青山清

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