Vol.2-1 若月央子さん 特別インタビュー①
[教員編]

何事においても、“極めた人”にしか見ることのできない世界がある。日本最高峰の歌劇団でトップスターとして舞台に立ち、多くのファンを魅了した人にとって、この世界はどのように映っているのだろう。


2023年1月、清泉女学院中学高等学校の一室に、その人——若月央子さんの姿があった。宝塚歌劇団のトップスター時代と変わらない凛とした輝きと華やかな空気があふれる部屋で語られた言葉は、温かく優しく、そして強い信念に満ちたものだった。


今回は、若月央子さんへのインタビューを、教員編と生徒編に分けて紹介します。

*転載禁止


[プロフィール紹介]


 若月央子さん


 清泉女学院中学高等学校卒業後、宝塚音楽学校へ入学。1985年宝塚歌劇団に「稔 幸(ミノル コウ)」という芸名で入団。星組男役トップスターとして、数々の名作で主演し、2001年に退団・結婚。2002年有限会社を設立し、イベント企画等を手掛けながら、ボディコンディショニングの指導者の資格を取得し、講師を務める。現在は歌手、画家、ガラス工芸作家、等、アーティストとして幅広く活動している。


インタビュアー(以下「——」):本日は、若月さんの清泉在校時代の思い出や宝塚歌劇団でのご経験、退団後のキャリアなど中心にお伺いさせていただければと思います。よろしくお願いいたします。



清泉女学院・宝塚音楽学校在学時代


——さっそくですが、若月さんは音楽の授業はお好きでしたか。


若月さん:好きでしたね。合唱祭では指揮者を務めたこともありました。授業とは違いますが、中3の時には友だちとフォークバンドを結成して、清泉祭で演奏しました。高校ではジャンルがロックバンドに変わりましたが、活動を続けていました。私は中学でキーボードとボーカル、高校でドラムを担当していました。



——在学時から音楽に関するさまざまな活動をされていたのですね。当時の清泉女学院の印象を教えてください。


若月さん:色々な夢を後押ししてくださる学校だと感じていました。清泉で出会った友人たちは、皆それぞれバラエティに富んだ人生を送っています。スペインの修道会が創立母体ということもあって、当時は、清泉小学校でスペイン語の授業があったと聞いています(*若月さんは中学受験で入学)。それに、英語も高2で高3の教科書が終わってしまうくらい早く進んでいました。そのためか、当時から海外に意識が向いている友人が多かった印象があります。そのような中、私は卒業後に兵庫県の小さな町に住むことになりました(笑)。



——宝塚音楽学校に入ることになった経緯を教えてください。


若月さん:高2の10月ぐらいに宝塚音楽学校への進学を決めました。それまでは、東京藝術大学のグラフィックデザイン科を目指していました。準備期間約1年で宝塚を受験するというのは、今思えば思い切った決断でしたね。実は、宝塚のことをよく知っていたわけではないんです。「踊りが好き」という気持ちに正直に進路を選択したら、宝塚に行きついたんですね。当時は「花の女子大生」なんて言葉もあるくらい女子大生がもてはやされていました。そういう普通の女子大生になりたくないという気持ちも強くありました。地味な言い方ですが、何か手に職をつけられるような進路を選びたかったのです。ただ今になってみると、私の学歴は高卒。大学に行ってみたかったな、という気持ちもありますね。



——宝塚を目指すと決めた時、清泉での周りの反応はどうでしたか。


若月さん:私の在学中、演劇部が「ブリガドーン」という演目を上演したことがあったのですが、その主役の先輩がとてもカッコ良くて、ファンが多かったんです。その方が宝塚音楽学校に進学された直後だったので、清泉内には熱狂的な宝塚ファンが多くて、「私も宝塚を目指す!」ということを言い出しにくい雰囲気で……そのため、高校でそのことを伝えていたのは担任の池田先生だけでした。でも池田先生は、「今やりたい方向に向かえばいい」と言って応援してくださって、とても励みになりました。



——担任の先生にしか言えない雰囲気だったんですね…!宝塚音楽学校の印象はどうでしたか。


若月さん:清泉時代、やりたい放題やっていた反動もあるのでしょうが、宝塚は組織的で厳格に感じました。当時は常に「理不尽だ、こんなはずじゃなかった」と思っていましたよ(笑)。1年目は、「上級生による厳しい指導の中でどうやって生き延びていくか」ということばかり考えていました。その中で支えになったのは、音楽学校の同級生たちです。いずれはお互いがライバルになりますが、音楽学校の2年間は仲間としての意識が強かったですね。


音楽学校における自分の立ち位置を意識し始めたのは、コーラスマネージャーを務めるようになった頃です。役が付くと楽しく、「自分はここでやっていける」という自信にもなりました。清泉時代の合唱祭・体育祭で一致団結してきた経験が、音楽学校での生活に役立ったと思います。


宝塚音楽学校は掃除が厳しいことで有名ですが、私は清泉で掃除の習慣が身についていたので、特に大変だと感じなかったですね(笑)。そういう意味で、経験することに無駄なことはないと思っています。



——同じ高みを目指す仲間がたくさんいる中、プレッシャーを感じなかったことはないと思います。どのような意識で舞台に立たれていたのですか。


若月さん:舞台に立ったら、腐ったら負け。上手くいかない時ほどコツコツやるし、上を向く。そんな意識を持っていました。



——「上手くいかない時ほど上を向く」……とても前向きな言葉ですね!


若月さん:調子が良い時に上を向いたら足をすくわれてしまいますから。つらいときには「私は踊りが好きなんだ」という思いに立ち戻っていました。



若月さんの考える「自分らしく生きること」


——宝塚で男役を演じてこられた若月さんは、女性として男性の人生を描くことで見えてくる世界があったのではないかと思います。昨今の「ジェンダー」という言葉について、何かお考えはありますか。


若月さん:「ジェンダー」と一言で表しても、奥深く、幅広い見方がありますね。例えば歌舞伎は男性が女性を演じる芸能ですが、型という形式に沿った様式美を大切にし、継承していくことを美とします。一方、宝塚は女性が男性を演じ、ドラマチックに魅せることを大切にしています。

ですが、「男役」を演じる際に意識してきたのは、「男らしさ」を表現することではなく、「その人らしさ」を表現することでした。役の性別が男だから、女だからではなく、「人間」そのものを演じることが大切だと思うのです。



——今お話にあった「演じるときに大切にしていること」について、詳しく教えてください。


若月さん:「人間」を演じることとはつまり、「人間だったらどうするか」を考えることです。例えば「悲しくて涙が流れる」のは女性に限らず、男性でも大人・子供でも同じです。大事なのは、「その人」が悲しい時に泣くのか、どのように泣くのか、ということなのです。宝塚のレッスンでは、演じる人物と同じように感じ、考えられる心を鍛えてきました。ただ演じるのではなく、それが本当に心からあふれ出す言葉・動作であるよう心がけています。



——若月さんはトップスターとして多くの主役を演じてこられましたが、その中で感じてきたことは何ですか。


若月さん:舞台だとスポットライトの当たる主役に目が行きがちですが、主役が輝けるのは共演者がいるからです。主役と脇役の立ち位置が違うだけで、互いの演技を殺してしまうことになりかねないのです。舞台に限らず普段の生活の中でも、「自分らしさ」とは周りの人がいて初めて生まれ、輝くことができるのだと思います。

自分らしくあるためには、嫌な人を避けるのではなく、向かい合わなくてはなりません。人からの支えや影響も全部抱えて生きていることが「自分らしさ」であり、それは自分のことしか見えない頑なな「自分らしさ」よりもずっと強いものだと思います。



——組織作りについて、企業に講演されたこともあるそうですね。


若月さん:はい。3年前に一度、なぜ宝塚の組織はうまく機能しているのか、というテーマで講演をしたことがあります。宝塚には、年功序列とトップ制度という、2つのヒエラルキーがあります。そのピラミッドが崩れないのは、その組織の人々が同じ方向を向いているからです。この舞台を輝かせよう、楽しもう、良くしよう。その思いを全員が共有しているからです。

「先輩」や「トップ」という上の立場も、支える側を経験してから最後に押し上げてもらうことで立たせてもらいます。つまり、組織の全体が見えた状態で上に立っている、それが大事なのではないかと思うのです。人は地位や名誉をもらうと周りが見えなくなってしまいがちですが、そんな時に自分に下積みの経験があるかどうかは大きな違いになりますし、後輩も先輩がかつて同じ立場を経験してきたことが分かっているからこそ、信じてついていくことができます。



——最後に、宝塚ご退団後について教えてください。


若月さん:長年いた宝塚から退いてすぐに結婚したので、社会復帰は大変でした。でも落ち込むことはもったいないと思い、何事にも挑戦しています。意識していることは、楽しいことを選択するというより、何事も楽しめるところまで持っていくということです。一方で最悪のシナリオも常に考えています。例えば、今は乗馬にはまっていますが、もし落馬したらどうしよう……と常に考え、心の準備をしています(笑)。

近年は、情報を得るだけで実体験を伴わずに満足してしまう人が多いように感じ、気になっています。体験することで初めて分かること、感じられることを大切に、これからも様々なことに挑戦していきたいと思っています。


 

生徒に続きます>