シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』は、題名こそカエサルだが、主人公はブルータスである。第一次三頭政治ののち、ライヴァルのポンペイウスを倒し、独裁の道を歩み始めたカエサルが、ルビコン川を渡っての戦いに勝ち、ローマ市民の声望も高く、いよいよ「王」になると聞いて、ローマの伝統的な、元老院による共和政治を、カエサルの専制政治にしてはならぬと、キャシアスらとともに、カエサルを白昼堂々、刺殺する。「ブルータス、お前もか」と、自分の味方だと思っていたブルータスに裏切られたカエサルが発したとされる台詞は有名だが、これは別のブルータスのことらしい。

英雄カエサルが殺されたと知って、騒ぐ市民たちを前に、ブルータスは堂々の演説をして、カエサルが専制君主になろうとしていた、と述べる。だが、その後登壇した、カエサル派のアントニウス(アントニー)は、一種の弁論的(詭弁)を駆使して、カエサルがいかに立派な人物であったかを市民らに納得させ、形勢は逆転して、アントニウスと、カエサルの養子オクタウィアヌスの連合軍は、ギリシアのフィリッピの野で、ブルータスとキャシアスの連合軍を打ち破り、遂に、のちオクタウィアヌスが皇帝となり、ローマの共和制は終わりを告げるのであった。

この演説の箇所は、高校の時の現代国語の教科書に載っていて、その後に、「説得について」という文章があり、いかにアントニウスの説得術が優れているかが書かれていた。しかし、あとになって考えたら、誠実なブルータスが、言葉巧みなアントニウスにしてやられたという話であって、高校でそういう教育をしていいのか、と憤りを覚え、その後、ブルータスは私の中で、敗北した英雄となっていったのである。

ところが、ブルータスというのは、雑誌の名前にもなっているのに、この人物を単独で扱った書物というのは、日本にはない。『プルターク英雄伝』はシェイクスピアがネタ本にしたものだ。ところが、塩野七生の『ローマ人の物語5 ユリウス・カエサル ルビコン以後』を読むと、史実とはちょっと違う。カエサル暗殺は紀元前44年3月15日で、アントニウスらがブルータスらを打ち破るのは、その2年後である。カエサルを殺した後も、ローマ市民はただ狼狽するばかりで、アントニウスは逃亡し、ブルータスらも演説などしていない。ブルータスの母はカエサルの愛人だったが、妻は反カエサル派の小カトーの娘である。暗殺の首謀者はキャシアスで、これはカエサルに含むところがあり、ブルータスを利用したらしい。

恐ろしいのはオクタウィアヌスで、18歳という年齢ながら、カエサルの妹の孫で、養子に指名されていた。老賢者キケローは共和主義者だったから、ブルータスらの味方だったが、オクタウィアヌスはキケローにもしげしげと手紙を送って巧みに媚びへつらって油断させ、アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥスの第二次三頭政治が成立すると、キケローは真先に血祭りに挙げられた。つまり長い準備と多数派工作の末の、フィリッピでの戦いだったわけで、それをシェイクスピアが英雄に仕立てたということのようだ。

塩野は、ブルータスの失敗として、カエサルを殺した後、すぐに共和制宣言をしなかったこと、フィリッピでの戦いでは、キャシアス軍はアントニウスに敗れてキャシアスは自殺するが、ブルータス軍はオクタウィアヌス軍にいったん勝っているのに、20日間もブルータスが追撃をしなかったことを挙げている。もっとも塩野も、ブルータスが誠実な共和主義者であったことは認めている。私の、不器用なブルータスのほうをひいきしたい気持ちに変わりはない。