では、なぜ韓国・朝鮮籍の人たちが減っているのか。話を聞いたのは、新大久保で飲食店やグッズショップを経営する人たちでつくる「新宿韓国商人連合会」の事務総長を務める鄭宰旭さん。

鄭さんによると、まず契機となったのは2011年の東日本大震災だったという。さらに2012年以降、日韓関係が冷え込む中、新大久保ではヘイトスピーチのデモが相次ぐようになった。こうした中で災害や差別を避けたいと、1990年代に来日して店を開いた店主や留学生たちの多くが帰国したのだそうだ。

実際、韓国・朝鮮籍の住民は2011年からの1年間で大幅に減少。その後も2016年にかけて減少が続いている。

「店の数は4割も減り、客足も最も多い時と比べて2割余りにまでになりました。『怖い街』というイメージも広がって人が来なくなったんです。本当に寂しい状況でした」と語る鄭さん。そこで立ち上がったのが鄭さんのように新大久保で商店を経営する人たちだ。2014年に「新宿韓国商人連合会」を設立し、無料のシャトルバスの運行を始めた他、韓流の映画祭などのイベントも開催した。

チーズダッカルビ、ハットグが10~20代に大ヒット

こうした努力に加えて日韓関係の改善も後押しして客足が戻ってきた中、街のにぎわいを一気に取り戻したのがチーズタッカルビ・ブームだ。

鄭さんは「ブームの影響は街そのものが変わるくらい大きかったです。客層も以前は韓流ブームの影響で50~60代が中心でしたが、今やすっかり若くなり10~20代が中心になりました」と語る。

その後も「ハットグ(=韓国風ホットドッグ)」などのヒットが続いた他、韓国の化粧品も人気を集めていて、今、新大久保はかつてないほど活性化しているのだ。

街にはさらなる変化も起きている。韓国・朝鮮籍の人が減ったところにネパールやベトナムの人たちが経営する店が入ってきているのだ。

データは新宿区の外国人住民の国籍別ランキングなので新大久保の住民だけではないが、多国籍化が急速に進んでいることが見てとれる。実際に新大久保を訪れると、韓国料理の店でも東南アジアや南アジア系の従業員が働く姿が。

鄭さんは次のように話してくれた。

「コリアンタウンというより、アジア各国の料理を楽しめる非常に面白い街になっていけばいいと思います。私たち韓国人が経験してきたことを先輩として教えながら、日本社会での多文化共生の先例をつくっていきたいと考えています」