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第24週 月曜日 歴史上の人物 松田トシ

はじめに

第24週の歴史上の人物は日本の歌手、声楽家の松田トシさんです。


歌手になられるまで

松田 トシ(まつだ トシ)さんは1915年3月7日神奈川県横浜市にお生まれになりました。

トシさんは東京音楽学校に進まれまず声楽を勉強されます。

声域はソプラノだったそうです。

在学中は長坂好子さん、マリヤ・トルさんに師事されます。

卒業後、日本大学芸術科や東京女子体操音楽学校の講師になられます。


1915年3月7日 - 2011年12月7日[1])は日本の歌手、声楽家(声域はソプラノ)。松田敏江の芸名でも活動した。

NHKでの活躍


1936年、NHKにおいて「フォーレ歌曲」を歌われ、それが初放送されました。


その後は国民歌謡の歌を歌われ、「蘭花の頌」「満州帝国皇帝陛下奉迎国民歌」「日本婦人の歌」を放送されました。

戦後もラジオ歌謡で「白鳥の歌」「ブンガワン・ソロ」など吹込みヒットさせました。

初期のディズニー作品には何度か声優として参加しており、ウォルト・ディズニーと対面したこともあったそうです。

1949年8月からは、NHKで放送開始した『うたのおばさん』に約15年間出演されます。

トシさんは安西愛子さんと共に「うたのおばさん」として親しまれました。

この頃トシさんはまだ30代。おばさんと呼ばれることには少し抵抗があったようです。


この番組から日本の子どもなら皆知っているような

さっちゃん

ぞうさん

めだかの学校

などが生まれたそうです。


1954年12月31日、「村の娘」で第5回NHK紅白歌合戦に初出場されます。

この第5回トシさんの歌のラジオ中継の音声が現存し、2004年にNHKのラジオ番組で紹介されているそうです。


スター誕生での活躍

1960年代や1970年代には、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』や『勝ち抜きしりとり歌合戦』の審査員としても出演し、『スター誕生!』では約10年にわたり、出場者にアドバイスをされていました。

トシさんは、辛口審査員として出場者に厳しいコメントをすることで有名で、それが番組の売りの一つでもあったそうです。

「やめた方がいいわよ」「顔だけ美人はミス何とかに出てなさい」などの言葉を出場者に残し、中森明菜さんが出場した際は「あなた、歌は上手だけど顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」と酷評されたそうです。



1970年以降の活躍

1971年、第一回日本童謡賞特別賞を受賞されます。

1975年、上田女子短期大学副学長になられます。

同年藍綬褒章を受章されます。

1982年にラストコンサートを開き、歌手業からは引退されました。

引退後

引退後もトシさんは歌の講師は続けておられました。

90歳を越えても講師業などで多忙な日々を送っておられましたそうです。


1987年、勲四等瑞宝章を受章されます。

2007年、社団法人日本歌手協会主催の歌謡祭にゲスト出演されています。

2011年12月7日、老衰のため東京都世田谷区の高齢者施設にて死去されます。96歳没。生涯独身で、喪主は友人である観世元康氏が務められました。


2012年、松田の後見人となった観世氏が社会福祉法人善光会に松田愛用のピアノを寄贈したそうです。

東京芸術大学では、OGでもある松田の業績を称え「松田トシ賞」を創設。毎年、声楽科の優秀者に授与されているそうです。


後進の育成にも力をいれており、岩崎宏美さん・良美さん姉妹、石井健三氏、新沼謙治氏、鈴木より子さん、神野美伽さんは音楽教室の門下生だそうです。


めぐめぐがすごいと思う松田トシさんのこと

1戦前・戦後と声楽家として活躍され、日本に様々な新しい歌を広めるという役割を担われたこと

2日本の子どもの心に童謡を!という当時大切な、そして現在にも繋がっている番組で子どもたちのために歌われたこと。

3厳しい指導で、多くの日本で活躍する歌手を育てられたこと。

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