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映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』陳述書

 2023年7月25日、東京地方裁判所 中目黒庁舎308号法廷にて、証人尋問がありました。
 おかげさまで、ようやく、法廷に立たせていただけました。
 これまで応援してくださったみなさん、傍聴においでくださったみなさん、クラウドファンディングに寄付をおよせくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
 判決は、10月30日に出ます。
 ※すみません、間違っていました。20日13時10分に、308号法廷にて判決だそうです。2023年7月28日午後15時半にこの文章を挿入しました。※
 民事訴訟記録は、どなたでも閲覧できますが、記録が作成されるまでには少し、およそ一か月くらい、タイムラグがあるようです。
 なので、私が提出した 陳述書 を、以下に掲載します。
 読み返してみましたら、誤記がありました。最後のほうにある、「気に行っていただける」という記述は、「気にいっていただける」とすべきところでした。もしかすると見落としが他にもあるかもしれません。しかし、ここでは、裁判所に提出した原稿を、そのまま転記いたします。
 
陳述書

令和5年5月8日
東京地方裁判所民事第46部D係 御 中

氏名 久美 沙織こと波多野稲子  印

1 はじめに

「小説ドラゴンクエストⅤ」の著者であるところの私こと久美沙織は、映画「DRAGON QUEST YOUR STORY」に納得のいかないところがあり、上映の一か月ほど前に、話し合いをもとめたのですが、誠意ある対応をしていただけず、逆に私を不法行為を行うものとして訴訟することも辞さないと強く拒絶されました。
 以下、これまでの経緯と私の認識について簡略に述べたいと思います。

2 小説ドラゴンクエストⅤの成立と私のリュカへの思い

  映画「DRAGON QUEST YOUR STORY」は、「小説ドラゴンクエストⅤ」で私が創作した主人公の名前「リュカ」を使用し、リュカに対する公的な呼びかけである「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」を無断で「リュカ・エル・ケル・グランバニア」と改変して使用しました。

映画が製作されると発表された時、原作となるゲーム、ドラゴンクエスト(以下DQと略)のⅤ(5。DQシリーズでは、作品は誕生順にローマ数字で区別します)の主人公のビジュアルが使われ、リュカと呼ばれたため、私はたいへん喜び、光栄に感じました。私の書いた小説ドラゴンクエストⅤを高く評価してもらったのだと思ったからです。
  私の小説と、今回の映画は、おなじ原作ゲームから派生した作品で、いわば兄弟です。小説Ⅴは1993年生まれ、映画は2019年生まれです。
  原作ゲームDQシリーズでは、主人公の名前は、各々のプレイヤーが自由に任意につけます。Ⅴでリュカというのは、私の小説のオリジナル設定です。このことは詳しく後述します。

  映画化するにあたり、無限の選択肢の中からリュカを選んだのが、ただの偶然であるはずがありません。私の小説が存在し、人気があったからこそ、長年にわたり多数の読者に支持されてきたからこそだろうと思いました。また、せっかくのこのチャンスに、さらに若い新しい読者を獲得したいとも思いました。
  このような希望を小説の版元である株式会社スクウェア・エニックスに伝えたところ、映画の全体監修というお立場でもある同社の市村龍太郎氏が交渉相手として名乗り出られました。
  市村氏は、リュカがわたしの小説から来たものであることは確かにそうだとはっきりご確認くださり、何か要望があれば言ってほしいと言ってくださいましたので、そこをわかってくださるなら是非、と、ふたつお願いをしました。映画のどこか、たとえばエンドクレジットやパンフレットなどに、リュカは小説ドラゴンクエストⅤ由来だと明示することがひとつ。映画公開にあわせて、「小説ドラゴンクエストⅤ」を宣伝販売して欲しいということがもうひとつです。
  しばらくしてから、市村氏ではなく、株式会社スクウェア・エニックスの法務部より、返答がありました。名前には著作権がないので、今回の主張には根拠がない、不法な要求をするなら反訴を覚悟するようにと、ほとんど脅しのようなものでした。また、映画「DRAGON QUEST YOUR STORY」のノベライズが他社から出版予定であり、その他社に失礼なので、小説ドラゴンクエストⅤを宣伝などはできないと断言されました。

  ここで、私がDQシリーズのノベライズ担当になった経緯と、どのような仕事であったかを簡単に説明します。
  もともとDQファンだった私は、友人の漫画家らと共に、ある時、エニックス社(当時。のち、合併してスクウェア・エニックスとなる)を訪問しました。ファンブックのようなものを出させてもらえないか、気軽に尋ねにいったのです。
  断られました。DQシリーズで何か本を出すとしたらエニックス社から出す、DQにかかわる企画は他社には絶対に許可しない、とのことでした。(いまはそうではなくなったようですが)
  しかし、担当者は、私がそのころ既に書いていた別のゲームのノベライズを読んでおられ、そんなに好きなら、外伝で良かったら書いてみますか、と提案してくださいました。渡辺光比呂さんというかたです。このかたが見つかれば良かったのですが、エニックス社はずいぶん前に退社され、連絡がとれません。スノーボードの先生になって、ニュージーランドに行かれたのではないかと思います。
  かくして私は『ドラゴンクエスト精霊ルビス伝説』という本を書かせてもらいました。この作品を担当者の渡辺さんが気に入ってくださったので、ゲームのノベライズを担当させてみようと思ってもらったのだと思います。ⅠからⅢまでの小説は、高屋敷英夫さんというかたが執筆なさったのですが、Ⅳから、それまでと雰囲気が変わるタイミングでした。ゲーム機やソフトウェアの性能があがって、より長大で複雑なものになったのです。Ⅳからはじまる三部作は、のちに「天空シリーズ」というひとかたまりになりました。私はそのⅣからⅥまでのノベライズを担当いたしました。
  渡辺さんに言われて覚えていることがあります。
「これがもし久美さんのオリジナルな小説なら、もっと久美さんの個性や作家性を尊重して、なんでも好きに自由にしてもらいます。けれど、これは、ドラクエです。そして、きっと、ずっと残っていくものです。僕は担当者であるとともに、熱烈なドラクエファンのひとりとして、ここにいます。自分をふくめたくさんのドラクエファンが、なんだかへんだなと思うことや、そうじゃないと思いそうなことは、厳しく指摘させてもらい、納得がいくまでなおしてもらいます。」
  かくて正式にノベライズを担当することとなったⅣのゲームはとても素晴らしい作品でした。ダークファンタジー要素の強い部分があり、悪魔や怪物がたくさん登場します。これより先、精霊ルビス伝説を書くにあたり、センスや教養を補いたいと言ったところ、渡辺さんが「ご意見番」をつけてくださったことがありました。ダイナミックプロ所属の横倉廣さんと言うかたです。その横倉さんに、Ⅳの執筆時にも、協力・監修を担当していただくことになりました。わたしたちは暫定的なチームとして機能していました。この横倉さんに証人になっていただけると良かったのですが、既に亡くなられています。
 つまり、渡辺さんや横倉さんを納得させるような内容でないとエニックス社から出版することはできなかったのです。前述のとおり、渡辺さんからは、もともと、DQにかかわる企画は他社には絶対に許可しない、といわれています。たとえ原稿がしあがっても、他社から出すことはできません。いわゆる「お蔵入り」にするしかないのです。
 私はそのような覚悟とともに執筆を進めました。ある程度まとまった分量の原稿ができると、渡辺さんと横倉さんに読んでもらい、チェックしてもらうかたちで仕事をすすめました。
 ここは書き直し、と、命じられることもありました。たとえば、敵の魔物が攻撃を受けると変身してさらに強くなるところで、「うそ」を書いてはいけないと注意をうけました。ゲーム画面で敵は進化の証として色が変わるのですが、その色が、なんとも、文字で形容するのが難しかったので、字面として読んで迫力があれば良いだろうと事実を少し脚色してごまかして書いたのですが、これだと読者に「ちがう、そんな色じゃなかった」と思われてしまうから、もっとちゃんと正確に、と言われました。
 単行本を分厚くしすぎると定価が高くなって「小学生が買いにくくなるから」という理由で、ページ数にも厳密な上限がありました。それを越えてしまった時には、私と渡辺さんと横倉さんと、エニックス社の会議室にこもって、どこなら削れるか、ひらがなを漢字にしたり、表現を変えるなどして、すこしでも行を詰められないか、六時間ほど、知恵をしぼったこともありました。
 小説は、ゲーム原作者の堀井さんにも、かならずチェックしていただいていました。たとえば、洞窟で掘削作業をしているNPC(ノンプレイヤーキャラ。話しかけると自動応答などをする)に、「♪掘って掘ってまた掘って、堀井雄二はいい男」と書いておいたところ(ゴマすりのつもりだったのですが)却下で、削られました。ドラクエの源は堀井さんですから、堀井さんがNOとおっしゃったら、削除になるか差し替えになるかです。逆にいうと、製品として成立したものは、堀井さんがOKをだしてくださった、認めてくださった、ということになります。
 ほとんどの場合担当さんごしのやり取りでしたが、いちど、直接お電話で話したことがあります。Ⅵをおろされそうだったので、やらせてくださいとお願いしました。あれ、やりたかったんだ、もうイヤなのかと思ってた、やりたいならまあいいですよ、というようなやり取りで、許可いただいたのだったかと思います。Ⅶはコンペになり、私は破れて、ほかのかたがなさいました。ゲームはその後もつづいて新しい作品がうまれていますが、小説になったのはⅦまでです。ゲームのノベライズが流行らなくなったからか、スクウェア・エニックス社が小説部門を縮小したからか、ほかになにか理由があるかはわかりませんが。
 

 こんなふうですから、今回問題となった名前についても、思いつきで適当につけたわけではありません。
 小説ⅠからⅢまでの主人公は、アレフ、アレン、アレルという名前でした。だから、ガラッと変わった、と感じていただくために、五十音で「あ」からなるべく遠い、らりるれろ、やいゆえよ、あたりの音をつかって、想起される文化もやや違う系統の名前にしよう、と考え、いくつかの候補から選んだのです。その結果がⅣのユーリルで、Ⅴはリュカ、正式な称号まで含めると、リュケイロム・エル・ケル・グランバニア(グランバニアは出身地である国の名前)でした。
 小説のテクニックとして、ルカだとやや地味で、画数も少ないので、ともすると地の文にまぎれてしまいがちで、あまり良くないのです。リュカというかたまりは、ちいさな「ュ」をはさんで三文字あり、よく目立ち、印象的で、圧倒的にリーダビリティがあがる、つまり、読みやすくなります。また、この名はアレフやアレンに比べるとかなり中性的で、女の子であってもおかしくないものです。リュカは物語に登場するとき、五歳くらい、まだ小さく幼いこどもでした。男性性が強くはありませんでした。むしろ、頼もしく強い父親とともに旅をしたり戦ったりするので、その父の豪放磊落と、リュカの柔らかさや稚さが、たがいに相手をひきたてるものとなるようにしました。戦闘キャラクターとしては少し異端で、勇ましさよりも優しさを性格に持つ子なので、それにふさわしい雰囲気の名にもしたかったのです。
 先の渡辺さんがこの名前をたいそう気にいってくださいました。映画には出て来ませんが、ゲームではリュカは成長し結婚し、ふたりのこどもができます。男女の双子です。その名を、小説では、ティミーことティムアル・エル・ケル・グランバニア、ポピーことポピレア・エル・シ・グランバニアとつけました。親子三人の名前のニュアンスが調和していることと、子どもたちがそれぞれ父や母のさらに父の名にちなんでいるところが世界観として「それらしい」感じにうまくできていると思います。
 
  リュカがわたしの小説から来たものである、とは、このようなさまざまな事情と経緯をふまえての主張です。
  スクウェア・エニックス社は、これらのことを認識する立場にあったはずなのに、敬意を払ってくださいませんでした。

  
  
3 契約と経理の問題

  DQはエニックスの宝物でしたから、執筆時、とても慎重な取り扱いをもとめられました。
  ゲームの発売からそんなに遅れずに小説を発売するためには、発売前のゲームの内容を知ることになります。ゆえに、私は、強い守秘義務を負い、ある時点までぜったいによそに漏らしませんという誓約書を取り交わしました。これらに違反したことは一度もありません。
  またDQにかかわるあらゆるコンテンツは、ドラクエの設定の使用料として、売り上げのある一定の割合を納める必要がありました。この「ドラクエ印税」は、原作ゲームに関わった個人や会社のかたがたに分配されるものだと思います。
  ふつう小説家は定価の10パーセントの印税を受け取ります。書下ろしの場合には12パーセント払ってくださる慣習の会社もありました。小説DQの場合は、ドラクエ印税をひかれるため、これよりは低い割合でした。
  私が映画のことで訴訟をすることになったとネット上に報告をいたしましたところ、「ドラクエでずいぶん儲けただろうに、恩知らずの欲張り女め」と罵るかたがありました。確かに相応の報酬をいただきましたが、同時に、そのつど、ゲーム原作者のかたがたにも、常に大きく還元してきたのです。
  余談ですが、ずいぶん助けていただいたのに、印税のようなまとまった報酬が横倉さんにはいらないと知り、感謝をこめて、私から個人的に協力費をお支払いしていました。一作品あたり50万円お支払いしたと思います。

小説執筆時に交わした出版契約書で、二次的使用に関して、私は、株式会社スクウェア・エニックスさまに交渉を委任することになっております。
映画化にあたり、私ではないかたの書き起こされる脚本とそのノベライズで、明らかにⅤのビジュアルを持つキャラクターを「リュカ」と呼ぶことは、あきらかな二次的使用ではないでしょうか。スクウェア・エニックスさまご自身が製作委員会の一員として含まれる作品で、このように二次的な使用をなさる場合には、もともとの契約者である私にその旨お知らせいただくのが筋だったのではないでしょうか。なにかあればそちらさまから自発的にご連絡くださるものと信じて待っていた人間が、もしや私のことをお忘れではありませんか、と、おずおず申し出たときに、スラップ訴訟をほのめかすというのは、あまりに非道ではないでしょうか。

成果物が著作物であるかないかは、契約者相互で個別に確認判断するべきところかと存じます。
株式会社スクウェア・エニックスさまが著作物ではないと判断すれば、問答無用で使い放題(「名前には著作権がないので、今回の主張には根拠がない」)という解釈は、優越的地位の濫用ではないでしょうか。
また、販売営業を一任された当の版元が、他社の出版物の利益を守るために、託されている作品の営業をあえて手控えるとしたら、これは契約の信頼を損なうものではないでしょうか。

4 時期の問題

  問題提起をしたタイミングについても、申し上げたいことがあります。
  私がスクウェア・エニックス社にこの件で最初に連絡をとったのは、製作発表後、映画公開前でした。そのすぐあとに、市村さんに招待状をいただいて、ただ一回だけの試写会に行きました。その時点で、映画はほぼ完成していたのでしょう。しかし、全国公開までには、まだ多少の間がありました。
  私は、当初から一貫して、公開の中止や延期は求めませんでした。損害賠償金を請求する気もありませんでした。映画を心待ちにしておられるたくさんのファンのかたがたが嫌がることはしたくありませんでしたし、お金は「ふつうにⅤの本が売れて」入ってくればありがたいけれど、その本来のかたち以外の収入をこの件で要求したいとは思いませんでした。
  願わくば、ことが起きてしまう前に私が納得するような対応をして欲しかったのです。責任と決定権のあるかたが、最初から真剣になってくだされば、充分に間に合うタイミングだったと思います。
  推測ですが、まさにこのころ全国各地で上映するための映画が既に各都市の映画館に運ばれていて、公開を待っていたのでしょう。それらをすべて回収して部分的にさしかえるなどのことをしていたらもう間に合わなかったでしょう。そんな大袈裟なことはしたくない、みっともないし、大損害だ、到底出来ない、と判断なさるのも無理はありません。でも、たとえば、マスコミやSNSに告知を出すことならば、そんなに難しくなく、低価格でできたはずです。久美沙織からこのような指摘をうけた、確かにその通りだった、申し訳なかった、等々、ひとの目にふれるところに出していただけば、私の願いはききいれられたのです。
  公開が間近だったからこそ、「逃げ切り」を選択したのかもしれません。
  強くでれば久美沙織が黙る、公開してしまえば諦める、と思った、のかもしれません。
   
  実のところ、映画が一般公開されるまでは、権利侵害が発生しなかった。
  なんの手当もなしに公開されたことこそが、問題でした。

  映画が完成した後であり公開する前である時期の対応に関しては、製作委員会全体に責任があると思います。
  スクウェア・エニックス社から、製作委員会を構成していた各社に対して、この時期、この時点で、どのような説明があったのか、なかったのか。私の知るところではありません。しかし、著作権侵害や一般不法行為にあたるかもしれないと指摘してきた人間があり、その主張に裏付けがある可能性があったなら、なんらかの対応をしなくてはいけないと敏感に察知するのが、リスク管理であり、責任ある立場のかたのあたりまえではないでしょうか。
  少し調べていただければ、久美沙織が、この件に無関係ではないかもしれず、意味の通らないことを言っているのではないかもしれない、ということはわかったはずです。
  製作発表や映画の公開が、SNSでどう話題になっているかをチェックした関係者もいたのではないでしょうか。リュカという名への思い入れ、久美沙織の小説ドラゴンクエストⅤについてのコメントなどが、少なからずありました。見知らぬおおぜいのファンのみなさまが、私とリュカの強い結びつきの、このうえない証拠となってくれていました。
  それでも、彼らは動きませんでした。
  映画製作委員会を構成した個々のどなたかの誰ひとりとして私の小説を読んだこともなくて、久美沙織なんて無名の弱小雇われライターだとしか思わず、そんなのがなんか言ってるそうだけど、権利だとはちゃんちゃらおかしい、底辺のぼやきにいちいち取り合っていられない、無視してかまわない、そのうちあきらめる、泣き寝入りするさ、と判断なさったのかもしれません。
  だとしたら、ずいぶん失礼で尊大だと思います。
  もし、ほんとうは知っていたし、まずいかもしれないと思ったひともいたとして、それでも行動しなかったとしたら、そのひとは怠惰で思考停止です。クリエイティブなお仕事にたずさわれるかたとして、適格性を欠くなさりようです。
  そして、なにより、どちらにしろ、ファン軽視、クリエイター軽視です。
  目の前のプロジェクトを滞りなくつつがなく予定どおりに実行することのほうを優先して、ドラゴンクエストを好きで大切に思っている多くのひとたちの気持ちを尊重しないのですから。売りあげや観客動員数は気になさるでしょうに、それを支えているひとのこころを理解しようとしないというのは、まことに浅はかで、傲慢な態度です。 
  

  このように考えたため、裁判に踏み切る覚悟をきめた当初は、映画の製作委員会を相手にし、本人訴訟をしようとしました。相手方に名をつらねるのが有名な大企業ばかりで、資本力などがあまりに違うので、なるべく簡便にシンプルにしたかったのです。

  その後、アドバイスをいただき、弁護士さんを雇いました。
  また、製作委員会というような、実態が外部からはうかがい知れず、責任の所在が特定しにくく、しかも、映画が完成すれば解散してしまうものを訴えることはできないということもわかりました。

  プロジェクトが完了し、組織が解散すれば、その組織の起こした不始末には責任が問えないとしたら、それはたいへん問題だと思います。
  具体的に、すくなくとも以下のかたがたには、責任があったと考えます。
  スクウェア・エニックス社の市村さん。
  幹事社東宝の鎌田さん。
  脚本と監督の山崎さん。
  そして、堀井雄二さんです。
  このかたがたのうち、どなたかおひとりでも、真摯にご対応くださっていたらと思います。また、もし、このかたがたのどなたにも、なんらおとがめなしで「逃げ切らせてしまえば」またどこかで、同じような、失礼で傲慢なことを繰り返し、ファンとクリエイターを裏切るだろうと思います。それは日本のエンターテインメント業界にとっても、けっして望ましいことではないでしょう。

  誰かが、痛いです、あなたは私を踏んでいます、その足をどけてください、と言ったときには、すぐにきちんと対応するほうが身のためだ、というのが、今後の常識になって欲しいと切実に思います。
  踏んでいないかもしれない。
  相手が大袈裟かもしれない。
  ゆすりたかりのたぐいかもしれない。
  でも、とりあえず、自分の足がうっかりなにかを踏んでいないかどうか、虚心坦懐に、ちゃんと確認していただきたいです。
  知らずにうっかりは百パーセント避けることのできないアクシデントですが、知らされたのに聞く耳をもたず知らん顔をするのは、故意であり、能動的に悪だと思います。
  強い立場を悪用することにハラスメントという名前がついたこの時代には、立派な大きな企業であればあるほど、あってはならないことでしょう。

4 わたしの要求

はじめに書きましたとおり、もともとわたしが求めたのは、リュカという名前が小説ドラゴンクエストⅤで生まれたものである事実を認め、どなたからも、また将来にも、誤解される余地がないように明示してほしいということと、小説Ⅴをより多くのひとに読んでもらえるよう版元として当然の協力をいまもこれからも継続してほしいということでした。
しかし、この当然の願いがかくも冷酷に拒絶され、あたかも、なんの権利もないものが厚かましく不当な要求をしたかのように大きな圧力をかけられたものですから、さらなる願いもできました。

それは、個々のクリエイターに敬意を払い、気を配り、その当然の権利をきちんと守って欲しいということです。
それを怠ったら恥ずかしいことになると心得て欲しい。

大きなプロジェクトや組織が、都合の悪いものは恫喝して黙らせ、踏みつぶしてなかったことにするような風潮は、糾弾し、改めていかなくてはならないと思います。

5 最後に

 Ⅴは、自分の書いてきた100を超える小説の中でも、特別な、自慢の作品です。原作がいいことはもちろん認めます。そこに、私なりの解釈と味付けをくわえることができ、有能な担当と、博識なご意見番を得て、できるかぎり磨きをかけたからこそ、多くのひとに気に行っていただけるものに昇華できたのだと思います。あの本を、あのリュカを、この世に産みだせたことに、誇りをもっています。
 仕事などで出会う若いかたに、ドラクエ読みました、とくにⅤが大好きでした、生まれてはじめて最後まで読んだ本です、図書館で読んだけど欲しくなって、親をおがみたおして買ってもらって、なんどもなんども読みました、などなどと、言ってもらうことが、ほんとうに多いんです。
 リュカは、DQ世界にはじめて誕生した「魔物使い」でした。敵の魔物にもやさしくしてしまう、仔猫をひろうように魔物を拾ってしまう、勇敢だけど乱暴ではない、繊細だけど臆病でない、そんな彼が大好きで、とても大切に思っていました。

 だから、ちゃんと戦おうと思いました。
 
 私の小説と私のリュカを好きになってくださったかたがたに、恥ずかしくないように。
 相手が巨大すぎて、まるで蟷螂の斧みたいでも、
 やってもみないうちからあきらめたり、どうせダメだろといじけたり、めんどうくさくなって投げ出したり、したくないと思いました。

  大きな組織がそちらの論理と業績とちからで小さな個人をバカにして踏みにじることは、法の精神からいっても、もっとも忌むべきことではないでしょうか。

 裁判所に、正しい判決を下していただきたいと思います。

以上


 
 

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