ホーム活躍するOB・OGたち  第42回

第42回 悪役一筋50年、斬って斬られて2千本 この年になったら、世のため、人のためになることをしたい

俳優高崎隆二氏芸術学部演劇学科
昭和45年卒業
俳優・居酒屋「かごしま」経営
高崎隆二氏

卒業以来、俳優として悪役一筋50年。これまで2千本の映画、テレビ作品に出演し、現在は相模原市で居酒屋「かごしま」を経営しながら俳優業を続けている高崎隆二氏にお話しを伺いました。

進路はどのようにして選んだのですか。

俳優高崎隆二氏
入り口には鹿児島弁で歓迎の言葉
「ようこそいらっしゃいました、最高の夜です!」

僕は鹿児島県大隅半島にある東串良町で生まれ育ちました。当時、叔母が剣劇一座を持っていて、自分も子供の頃から舞台に上がっていました。今でいうチビ玉みたいなもので、おひねりが来たら、半分一座が取り、半分はおふくろのところに持っていきました。
小学校に上がる前から「ガマの油」が得意でした。ちなみに、ガマの油ではその後17年かけて、鹿児島県内百ヵ所を慰問しました。ですから周囲の人たちは皆、自分が演劇をやっていることを知っていました。
高校時代は剣道部と演劇部に所属。剣道に打ち込む一方で、文化祭で演劇をやり、慰問公演を行うなど、両刀使いの高校生活でした。
とりたてて演劇に対する志とか芸能界に対する憧れはなかったのですが、演劇をちょっとかじった関係で、担任の先生から「お前は日本大学芸術学部に行け」と言われ、「じゃ、そうしましょう」と学校推薦で日芸に入りました。先生は「これからはテレビの時代になるから」と、将来のことを考えてくれたみたいです。

どんな学生生活だったのですか。

劇団に所属すると共に応援団にも顔を出していましたね。寺山修司に憧れて仲間20人で劇団を立ち上げ、公演をやったりもしました。
「赤い谷間の決闘」の渡哲也に憧れ、日活ニューフェイスの試験を受けに行ったこともあります。日活で最後のニューフェイス試験でした。会場には600人位来ていましたが、学ランで行ったので受かるわけもない。廊下で名前を聞かれ、その場で帰されてしまいました。
その直後、江古田で東映に就職した先輩にばったり会って、「お前、いま、何やってる?」「いやー、日活のニューフェイスに行ったらダメでした」と言ったら、「明日、ウチ(東映)へ来い」と言われて行くと、演技課に連れて行ってもらい、東映の契約俳優となりました。70年安保で、ちょうど学園闘争のころ。映画界ではピンク映画真っ盛りでした。

卒業後は?

俳優高崎隆二氏
映画「伝説のやくざ ボンノ」では松方弘樹とともに出演

卒業して就職という感じでは全然なかったです。僕は最近まで日大を3年で中退したとばかり思っていました。日芸では在学中、どこかで拾われたり、スカウトされたり、早く辞めたヤツが勝ちみたいな風潮がある。だから僕も日芸中退だと誇りにしていました。
そうしたら数年前、残間理江子さんがパーソナリティを務める「どよう楽市」というNHKのラジオ番組に出演した際に、NHKが僕のことをもの凄く調べて昭和45年卒業ということを知ったのです。ピンク映画も10年間やっていたから100本や200本位出ているんじゃないかと言ったら、「高崎さん、600本出演していらっしゃいます」と。それも全部調べている。

これまで出演されたなかで、とくに印象に残る作品はありますか。

沢山あり過ぎてあまり憶えてないですねえ。けれど強いて挙げるなら、自分で台本を書いて鹿児島ロケをやった「暴走カージャック」という映画かな。これは昔の演劇部のメンバーや劇団メンバーとか仲間が集まってくれて、資金も同級生に宿泊費から制作費まで700万位集めてもらいましたよ。自主製作で大蔵映画で配給しました。僕は鹿児島弁が得意なものだから、田舎の刑事役をやりました。
あとは日活配給の「銀座ネオン街、女の絶頂」。この映画では、主演兼シナリオを作成しました。当時「キネマ旬報」で、シナリオ大賞を受賞しました。
最近では一昨年、BS朝日で「上泉伊勢守信綱」という2時間ドラマを放送したのですが、これには俳優でなく総合プロデュースとして関わりました。今、そのドラマの舞台化を進めているところです。

時代劇では剣道をやっていたことも役立つでしょうね。

いや、剣道の経験はかえって殺陣の邪魔になります。剣道と殺陣では足の運びから違います。僕はその癖を直すのに3年かかりました。

殺陣はどうやって学んだのですか?

殺陣の稽古場に顔を出して、一人前の殺陣師になるまで10年かかります。剣道と殺陣は全然違います。殺陣の場合、30センチ目の前の人間を斬らなければなりません。剣道では斬れない。30センチ前にあってもその人に刀が当たってはいけないのです。
難しいですよ、殺陣は。ポイントはやはり刀の持ち方、使い方ではないでしょうか。先日、自分の俳優生活50周年記念パーティをやり、座頭市を演じたのですが、刀を鞘から抜きもしないで相手を斬っていましたね。皆、大笑いしていました。

なんで悪役を?

やはりワルの方が魅力を感じるからです。世間で普通にワルをやったら警察がくるじゃないですか。自分の中のワルを世間に出すわけにはいかないけれど、ドラマの中だったらいくらでも出せる。何回死んでも次はまた生きてくる。これが悪役の魅力じゃないですか。台本で死んでなかったら監督に頼んで、「監督悪いけど、どこかで死なしてくれ」と。
これまで映画、ドラマ併せて2千本位出演しました。すべて悪役一筋で50年の俳優生活を送ってきました。

芸能活動をしながらお店も経営されているのですね。

居酒屋「かごしま」店内
味わいある手づくりのカウンター

この店は5年程前に始めました。建物は2カ月かけて、すべて自分でつくりました。ですから材料から何から金をかけていない。芸術学部で2年間、舞台美術をやり、NHKの大道具のアルバイトをやった経験もあるので、こういう大工仕事もできるのです。
学生時代、飯も家賃もいらないということで、池袋の焼鳥屋で3年位住み込みしていたことがあります。その店には職人さんが8人いて、焼き鳥は焼かせてくれなかったですけれどね。学校から帰ったら、親方とおかみさんと3人で串に刺しているだけです。ですから焼き鳥に対する想いがあるのです。
以前は、相模原の大沼というところで焼鳥屋をやっていました。売れる、売れないではなく、塩やタレをどうすれば上手くなるか、一所懸命、研究していました。
ここは居酒屋なので酒が主ですが、鹿児島の地鶏を取り寄せています。お客さんは若い人が多いです。昼間から空けているので、年配の方もたまには来ますが、夕方以降は若い人がいつもひしめいています。

居酒屋「かごしま」店内
店内には芝居や「ガマの油」で使う模擬刀が

今後に向けて何か展望がありましたら、お話しください。

この年齢になったら、出演するよりも地域の人と知り合って、人の出会いを大事にしたいです。人と人をつないだり、地域のためにとか、慰問で喜ばれるとか、そちらの方がいろんな意味で楽しいし、生きがいを感じます。
東映時代は、自分が目立てばという輩ばかりでした。今は黒子に徹するような感じで動くことが多いです。ドラマ「上泉伊勢守信綱」では、主人公の出身地である前橋市から名誉市民賞と金一封をと言われたが、僕はカネが欲しくて動いているわけではないので、丁重にお断りしました。このドラマに関わったきっかけは、前橋市上泉町の偉人で、剣聖といわれた新陰流の創始者、上泉伊勢守を日本中の人に知ってもらいたいという熱い思いに取りつかれた地元の建築会社の会長との出会いからです。彼は、なんとか上泉伊勢守のテレビ番組を作れないかと僕に依頼があり、上泉伊勢守に関する資料もドンと送られてきました。その想いにほだされ、少しでも手助けしたいと思ったからです。前橋には5年間で30回行きましたが、すべて自前です。僕は地域が活性化していくことが一番大事なことではないかと思っています。
地域といえば、僕はガマの油が得意だから、今、神奈川県内の神社や夏祭りなど20カ所から声を掛けていただいています。ある神社から「高崎さん、今年で11年経ちますよ」と言われました。やはり人の出会いを大事にすれば、他の歌い手さんが入っているのに呼んでいただけます。今はあまりお金を掛けないで、地域の太鼓連が入ったりコーラスグループが入ったり、中学校の吹奏楽部を持ってきたり、ああいう神社のお祭りはすごくいいですねえ。

俳優高崎隆二氏
今年、歌手生活15周年をむかえる

最後に日大校友に対して

日大に入学した誇りは持っていますよ。来年の箱根駅伝も気になるし。僕の後援会副会長を引き受けてもらっているエクシオジャパンの但野さんも学部は異なりますが、日大OBです。卒業生もお店にきますよ。

訪問を終えて

芝居では悪役一筋の高崎様ですが、実際にお会いすると気さくで温かいお人柄です。手づくりの店内には出演した映画のポスターや芝居やガマの油で使う摸擬刀がおいてあり、昭和の雰囲気を醸し出しています。お酒と焼き鳥をいただきながら、テレビや映画の裏話を伺ってみるのも楽しそうです。

店舗紹介

かごしま
住所:相模原市中央区千代田6-1-20
電話:090-2933-2639
営業時間:12:00~24:00
定休日:不定休

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