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セインツQBブリーズが引退を正式表明、20年の現役生活に別れ

2021年03月15日(月) 07:16

ニューオーリンズ・セインツのドリュー・ブリーズ【AP Photo/Brynn Anderson】

後に大成功を収めることになるキャリアの初期段階では小柄な体格的にも知られざる存在だったが、歴史に名を刻む成績を残し、その右腕と並外れた才能でニューオーリンズ・セインツを優勝に導いたドリュー・ブリーズが現地14日(日)、正式に引退を表明した。

ピンポイントの正確さ、素早いリリース、20年間の現役生活の中で抜群の活躍を見せたブリーズの去就発表はセインツのシーズンが終了して以来、長らく待たれていた。ブリーズの『Instagram(インスタグラム)』アカウントに投稿された動画には4人の子どもたちが登場し、「僕たちともっと時間を過ごせるようになるんだ!」と喜ぶ姿が収められている。

ブリーズは動画に添えて「NFLでプレーヤーとして20年、セインツで15年、フットボールの試合から退くときがきた。毎日、みんなのクオーターバックでいるために心と魂を注いできた。最後の最後まで、セインツの組織やチーム、偉大なるニューオーリンズの街のために自分にできる精いっぱいを尽くしてきた。ともに素晴らしい時間を共有し、その多くは僕らの心に刻まれ、永遠に僕たちの一部であり続けるだろう。みんなに鍛えられ、強くしてもらい、刺激を与えてもらったし、一生の思い出ももらった。この15年の目標はみんなが与えてくれたすべてのもの以上を返せるように努力することだった。フットボールを引退するだけで、ニューオーリンズから退くわけじゃない。別れではなく、新しい始まりなんだ。これからが自分の本当のライフワークの始まりだ!」とメッセージを投稿している。

史上最高のクオーターバックと称される1人がキャリアを終えることは多くの人が予想していたこととはいえ、数々のレコードブックにその名が刻まれ、セインツに与えた影響は永遠に続いていくことを考えれば、その重大さは計り知れないものがある。

ブリーズが残した記録は多く、13回に及ぶプロボウル出場、2度のAP攻撃部門年間最優秀選手賞受賞、2006年ウォルター・ペイトン・マン・オブ・ザ・イヤー受賞に加え、NFL記録となる8万0,358パスヤード、タッチダウンパス571回、そしてパス成功率は彼のトレードマークである正確性を強調する67.7%をマークしている。当然ながら、セインツに史上初のスーパーボウル制覇をもたらし、自らもスーパーボウルMVPに輝いた2009年シーズンの活躍は永遠に語り継がれるだろう。

セインツのヘッドコーチ(HC)を務めるショーン・ペイトンは声明の中で次のように述べている。

「2006年にヘッドコーチとしてセインツに雇われたとき、最初の目標は機能的で勝利のカルチャーを確立することだった。そのためには選手に何を求めるかが重要だった。才能、労働意欲、気質、知性、リーダーシップなど、すべての素質をドリュー・ブリーズに見いだした。加えて、勝利に熱い思いを持った選手であることも分かった。1年と経たずして、彼はチームにとって初となるNFCチャンピオンシップ出場へと導いたのだ」

「彼のキャリアを通して一貫性と卓越性に献身的だったことは他に類を見ない。非常に短期間で地域を復興に導き、チームをスーパーボウル優勝に導いた。フィールドの内外で彼は非常に素晴らしいリーダーだった。彼の細部にわたるこだわりと競争心は多くの人に伝わった。彼をコーチする機会を得たわれわれ全員にとって、特権であり、そのおかげでわれわれはさらに良くなっている」

42歳のブリーズの20年にわたるNFLキャリアは2001年ドラフトで2巡目ながらロサンゼルス・チャージャーズ(当時はサンディエゴ・チャージャーズ)にとっては最初の指名を受けてスタートした。パデュー大学では多くの記録を残したブリーズだが、6フィート(約183cm)の体格や肩の強さに疑問が残っていたこと、ボイラーメーカーズ(パデュー大学のスポーツチームの愛称)のスプレッドオフェンスからNFL基準に切り替えられるかどうか、その力が疑問視されて1巡目指名を見送られたのだ。チャージャーズは2005年にブリーズをフランチャイズタグ指定しつつ、2004年ドラフトで1巡指名したフィリップ・リバースを起用する方向を計画しており、ブリーズは5年を過ごしたチームを去った。そのリバースもブリーズと同じく2020年シーズンをもって現役生活に終止符を打っている。

2006年にセインツと6年契約を締結したブリーズはその後、今日に至るまでルイジアナ州に根を張った。

セインツオーナーのゲイル・ベルソンは「ドリューはニューオーリンズ・セインツで過ごした15年のキャリアと、NFLでプレーした20年のキャリアを通して彼が積み重ねてきたありとあらゆる記録、賞、称賛では語り尽くせぬほど価値のある存在であり、NFL史上最も偉大な選手です。ドリューが初めてセインツに加わった2006年当時、亡き夫であるトムは、ハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオーリンズに、フィールド上での優勝をもたらし、地域のリーダーとなるようなチームにまとめ上げると決意していました。その卓越したパフォーマンスのみならず、ドリューはセインツファンやフットボールファンにとどまることなく私たちのコミュニティ全体を共鳴させる決意、情熱、意欲を示す象徴となったのです。試合では最高レベルのプレーを披露していましたが、それと同じくらいに重要なのは最も素晴らしい形で私たちの組織と地域を代表する存在だったことです。リーダーシップを発揮し、決意と努力を示すことで達成できるものを示すなど、チームや地域全体にさまざまなものをもたらしてくれた彼への感謝は永遠に続くことでしょう。私たちが地域として、フットボールチームとして成長していく中で、彼もまたブリタニーの夫として、4人の素晴らしい子どもたちの父親として成長していく姿を見られたことは光栄でした」と語っている。

ブリーズのラストゲームはタンパベイ・バッカニアーズと対戦したNFC(ナショナル・フットボール・カンファレンス)ディビジョナルラウンドとなり、同じクオーターバックとして活躍を続ける同世代のトム・ブレイディに敗れて終わった。

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