みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.16

青学の学園祭でヘビメタ禁止。もっと智恵を使え

2015/6/19

先日、青山学院大学の相模原キャンパスで10月に行われる学園祭「相模原祭」の実行委員会が、ツイッターで今年の屋外ステージについて「デスメタルやヘビーメタルなどのジャンル以外でのバンド演奏を募集」とし、反発が殺到したということがありました。

これは一体どういうことなのか、青山学院大学学生生活課を通じて、相模原祭実行委員会に詳しく取材したところ、次のような回答が得られました。

「相模原祭は地域に根付いた学園祭を目指しております。昨年、メタル系のバンドが屋外ステージで演奏をし、見に来ていた子供やお年寄りが怖がってしまったため、今回は屋外ステージではそのような演奏を行なわないと決めました。屋内では従来通り可能です」

宮台さん、子供やお年寄りに配慮するのが常識なのか、それともヘビメタだけ差別しないのが常識なのか。いったいどちらなんでしょうか?

まさに屋外だからこその爆音ロックでしょう、轟音ノイズでしょう!…などという個人的な好みは後にまわしましょうか。今回の件について言えるのは、明らかに実行委員会側の過剰反応、簡単に言えば常識の足りなさです。最初のキーワードは「多摩化」です。

多摩化がもたらした大学と近隣の疎遠さ

1977年の中央大学の多摩移転を皮切りに、東京近辺で大学の郊外移転が始まります。旧キャンパスと違って新キャンパス周辺に学生街がないので、学生と商店街を中心とする地域住民の交流が消え、たむろできなくなった学生同士の仲も疎遠になりました。

青学の相模原キャンパス。もともと青学は1980年代に「森の里」という厚木の外れにキャンパスを移転したのが、あまりに交通の便が悪くて不人気になり、偏差値も下がったので、駅近くを探して再移転して出来ました。やはり郊外移転の流れの中にあります。

こうした郊外移転は中央大や法政大や都立大や共立女子大の流れを受け「多摩化」と呼ばれますが、大学と近隣住民の関係を疎遠にしました。僕が務める首都大学(旧・都立大学)も、学園祭の18時終了予定が5分過ぎただけでも110番通報された事実があります。

僕は93年に着任して近隣住民の神経質さに仰天しました。学園祭での通報にも驚きましたが、加えてもう一つ。新キャンパスは八王子市南大沢にありますが、90年代半ば時点で予定人口の半分に留まり、トゥナイトⅡという番組で「平成の廃墟」と呼ばれました。

都は急遽、新キャンパスに隣接する住宅都市整備公団(当時)の展示場跡地利用を検討する「南大沢活性化協議会」を設置。僕がメンバーになってショッピングモール化を提案したら、住民メンバーが「知らない人が来ちゃいますよ!」と抗議。椅子から転げ落ちた。

僕は「賑わいのない場所を賑わいをもたらすのに、知らない人を呼び込まないないでどうするんですか」と答え、結局はショッピングモール化が決まりました。これが三井アウトレットモール(旧・ラフェット多摩)。かくして賑わいのある場所になりました。

いずれにせよ、学園祭の終了が数分延びるだけで110番通報するような「神経質な新住民」がいるのは、郊外移転したどの大学も同じで、昔のような後夜祭が出来ません。大体どこもかしこも18時か19時終了で、1時間以内に完全撤収の決まりです。

後夜祭のキャンプファイヤーと眩暈

祭りは元々、集合的な変性意識状態の共有を通じて新たな「我々」を作り出し、或いは従来の「我々」を再活性化するもの。頽落した日常(ケガレ=気枯れ)を、ハレ(祭りの混沌)を通じて、活気ある日常(ケ=気)に戻す。変性意識状態とは眩暈。眩暈と言えば火です。

ケルトでもネイティブアメリカンでも日本各地でも、一年の或る時期、先祖が地(水)平線の向こうや遠くの山からこちらに来て、暫く一緒に過ごし、帰って行くという観念があって、迎えや送りに火を使う。Haloweenもそうしたケルトの習俗がルーツでした。

火は集合的な変性意識状態を呼び込む古来の装置です。だから僕が中高生の時も後夜祭と言えばキャンプファイヤー。校庭で巨大な炊火を囲んで大勢で歌を唱ったた。古来の祭り同じく男女が出会ってカップルになる場所(ナンパ場・ハッテン場)だった訳です。

当時は消防も警察も寛容でした。僕は眩暈系の人間です。スピードや性愛や火が大好き。東大助手の頃(1980年代後半)は花見の時に代々木公園に学生院生を集めて大きな焚火をしました。その頃は公演に来ているグループがたいてい焚火をしていたものです。

公園内を小型パトカーが巡回してアナウンス。「公園内の焚火は禁じられております。おっと、そこの君たち、ちょっと火が大きすぎるな」(笑)。僕たちは慌ててバケツの水をかけて(ちゃんと用意してある!)火を小さくすると、お巡りさんたちが通り過ぎます。

行政当局の現場も、「祭りには火がつきもの」という共通感覚(コモンセンス)を持っていたのが分かります。火があるから眩暈が呼び込まれ、次第に無礼講に近づく。かくて集合的な変性意識状態が極点に達した時、気の枯れた状態に気が充填される、という回路。

社会の発生点と、変性意識状態

「ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→・・・」という、頽落した日常に変性意識状態を用いて活性を呼び込む回路が長らく継承されてきたのも、祭りに普段は差別される非定住民が聖なる存在として登場するのも、社会(定住)の発生点における社会以前の記憶があります。

祭りに被差別定住民が「芸能の民」として呼ばれたのと、祭りの屋台をヤクザ系のテキ屋が呼ばれるのも、機能的に等価な現象です。屋台のやりとりを例にとりましょう。目黒不動では毎月26日に不動祭りがありますが、テキ屋がたくさんデミセを出しています。

子供がヨーヨー釣りをするとすぐに糸が切れる。子供が泣くと「お嬢ちゃん、これはどうだい?」と風船大のヨーヨーをくれる(実話)。射的をしたとき、妻が5発撃ち尽くすと「はい、これ」と再び5発。当たるまでくれた(実話)。妻がすごい美人なんでね(笑)。

テキ屋が気に入った相手にだけこれをする。差別です。テキ屋を排除した町内会の祭りではレンタルから調達した屋台道具で近隣住民が頑張るけれど、こうした差別は御法度。だから祭りなのに何か足りない。やはり祭りにはテキヤがいなきゃダメです。

「頽落した日常に変性意識状態を用いて活性を呼び込む回路」を失うという意味に於て、地域から祭りが失われることと、夫婦がセックスレスになることは、酷似します。祭りにも性愛にも「雨降って地固まる」等価な機能があります。昔は誰もが知っていた事です。

[社会以前/社会][遊動民/定住民][社会以前の遊動民/社会以降の遊動民][祝祭/性愛]・・・と祭りを巡っては話が尽きないけど、ひとまず区切りをつければ、祭りを巡る豊かなあれこれを知っていれば、青学の学園祭実行委員会はあんな決定をしなかったでしょう。

知り合いが出す音は騒音だと感じにくい

昔ながらのものには智恵が集積しているけれど、そんな智恵がどんどん失われる昨今。そんな中でも智恵の伝承に成功しているところがある。例えば早稲田大学。今も高田馬場付近に古い学生街があります。新キャンパスが出来てもここに本尊を残したわけです。

早稲田大学では学園祭の実行委員会の学生たちが事前に近隣を個別訪問するんです。「うるさくなりますが、よろしくお願いします」と。人は知り合いが出す音を騒音とは感じにくい。アカの他人が出すから騒音に聞こえる、という社会心理学的な傾向があります。

だから事前に挨拶して回るのはすごく大事なんです。昔はマンションに引っ越すと上下左右に菓子折を持って挨拶に回ったでしょ? これも同じなんです。普段から知り合いになって仲良くしていれば、たまの無礼講に目をつぶってくれるようになるんですね。

普段から知り合いになって仲良くする。移転や新設がなくても、どこの大学でも近隣住民との関係は疎遠になりがちです。近隣住民が新住民化しているからです。高い流動性ゆえに住民が入れ代わるので、大学と地域の関係が遠くなってしまうということです。

では、どう対処すればいいかのヒントを考えます。学園祭の挨拶回りの時だけ大学生と近隣住民が関わるのでは足りない。僕が東大駒場キャンパスにいた頃「自主管理講座」があり、大学周辺の人々と学生・教員が一緒になってゼミを運営していました。

これは、大学主催のカルチャーセンターみたいな市民講座やオープンキャンパスと違い、大学周辺の人々が運営に関与していることがありました。今は制度としては難しいかもしれないけど、市民講座に「自主管理講座」的な要素を導入していくことも一案です。

そうした交流を通じて今時の大学生のライフスタイル・考え方・価値観などを周囲の人々が知ることができます。そうすれば学生・教員と周辺の人々との間の相互理解が深まるし、普段から深い関係を結んでいれば「学園祭くらいは大目に見ようか」となります。

つまり、学園祭でだけ近隣住民に対して優しくするのではなく、普段から近隣住民に優しく接して仲良くしておくことで、学園祭ではむしろ「なんでもアリ」にするのです。「なんでもアリ」の時に来て貰ってこそ、更に大学や大学生への理解を深めて貰えます。

近隣住民をたえず包摂するという智恵

もう一つ、ミュージシャン/プロデューサーの小林武史さんと僕はとっても親しいのだけれど、彼がやっているロック・フェスap bank fesでは、今申し上げてきたような「智恵」が総動員されているんです。そのやり方には敬服します。皆さんの参考になります。

まず、半年前から近隣を回ってフェスの説明をします。内容だけじゃなく、これぐらいの音が出るのでここまでこれぐらい聞こえますと説明します。そして説明した相手全員にフェスへの無料招待券を配ります。それでも「私は音楽は苦手」だという人がいます。

その場合には、「遠いところにホテルを取ります。そこでゆったり過ごして下さい」とホテルの宿泊券を渡したりしているんです。実にうまくやっているんですよ。彼のフェスにはヘビメタだとかノイズはほとんどないけれど、それでもそこまでやっています。

こうした智恵を使えば、大音量で爆音ノイズのヘビメタを、学園祭の野外ステージでやることくらい出来ます。ここでのキーワードは「包摂」です。近隣住民を絶えず包摂していく、近隣住民は絶えず包摂されていくという、密な関係性を築いていくんです。

学園祭って「お祭り」なんでしょ? だったらやはり「異常な高まり」が必要なんですよ。世の中クレージー・クレイマーだらけ。些細なことに噴き上がる輩が増えた時代背景も分かるけど、まさにそうした時代背景にこそ抗わねばならないのが、学園祭であるはず。

宮台真司を涵養した轟音ノイズ体験

最後に、冒頭で後回しにした部分。個人的には、爆音ノイズの経験自体が大切だと思います。僕は小さい頃から轟音ノイズを経験しまくった。建築現場でのハンマーによる破壊やパイルの打ち込み、厚木基地での戦闘機離発着、中高の野外ステージでの演奏…。

その結果、ノイズ系と呼ばれる──スラッシュ系とかインダストリアル系とか呼ばれることもある──分野が好きになりました。まもなくメルツバウ=秋田昌美(あきたまさみ)さんとのコラボレーションCDまで出すというほど、今でもノイズ好きなんです。

小さい時からノイズに慣れるってことは実は重要なことです。ノイズのような未規定なもの・理解不能なものに触れることに意味があるんです。それが昂じて喋りがノイジーなったんじゃないかって? それもまあ、ありえますけれどもね(笑)。

いや、そうじゃなくて、宮台真司という希有な個性(笑)を涵養するのに、あまたのノイズ体験が役立ってきたという話です。だから僕は子供たちに「細かい奴はクソである」「パパの言うことは大体間違ってる」と言い続けて来ています。自画自賛ですかね。

(構成:東郷正永)

<連載「みなさんの常識は、世界の非常識」概要>
社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景をわかりやすく解説します。本連載は、TBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

■月~金 15:30~17:46

■番組HP:http://www.tbs.co.jp/radio/dc/

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