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窮地に陥った首相に政権延命の策を指南した記者がいた 21年を経て元NHK記者らが語った「指南書問題」

立岩陽一郎InFact編集長
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

支持率が急落する中、菅総理が辞任を表明。「衝撃が走る」と騒ぐ政治記者。仮に菅総理に、「繰り返しで切り抜け、決して余計なことは言わずに、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません」と記者会見の対応を指南して政権の延命に手を貸す政治記者がいたらどうだろうか?実は、これは21年前に起きたことだ。

記者が権力の側に立って物事を考えるという衝撃の事実だった。その真相は?政治権力と記者の関係とはどうあるべきか?政治が混迷を深める今、敢てこの問題を通してメディアの在り方を問う。(写真は筆者撮影の「指南書」)

元NHKエース記者が口にした「指南書問題」

かつて政治部のエース記者と言われ途中でNHKを去ったOBに会ったのは2019年の夏だった。品の良さを感じる小料理屋の奥座敷で、OBと向き合った。政治を取材するとはどういうことか。そういう話をしている時に、OBがふと口にした。

「指南書問題、あれは駄目だと思った」

驚いたが、それをあまり顔に出さず、「指南書問題の時ですか?」と確認した。

「ああ。あの時は、これはNHKは駄目だと心底思った」

私は口を挟まずにOBの言葉を待とうとしたが、やはり待てなかった。

「あれは、NHKは関係無かったということになっていますよね?」

そう言葉を投げてOBの顔を見た。

「NHKだよ」

「一部で指摘された記者ですか?」と尋ねてみた。

「そう。みな知っていた。しかし部会でも何の説明も無かった」

OBは続けた。

「自分も政治記者である以上、全く無縁ではないが、あれは一線を越えていた」

「無縁ではない」とは、政治家との駆け引きということだろう。既にメディアから離れているOBだが、その表情は政治部のエースと言われた時代のそれになっていた。

「(NHKは)何らかのケジメをつけるべきだった。ギリギリのところで情報取材を行っている現場の記者に対して、守るべき一線はどこで、改めるところは改めるという総括を、組織として行わなければならなかった」

私は思いもかけず「指南書」という言葉を耳にした。21年前、NHKに激震が走った「指南書」の問題。NHKはその関与を否定したが、実際には、NHKの政治部内部で「指南書」がNHK記者によって書かれたことが共有されていたということだ。

「指南書問題」とは

「指南書問題」。この問題を知らない読者も多いだろう。しかし、これほど政治記者と政権との密な関係がクローズアップされたエピソードは無いかもしれない。それは2000年5月に起きた。

時の総理大臣は森喜朗氏。2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会に出た森総理は、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と発言。いわゆる「神の国発言」だ。その戦前の国体を思わせる発言が報じられると、政権に激震が走る。野党の追及の声が高まり、その年の4月5日に発足した政権に早くも黄信号が灯り始める。

そして「指南書」事件は起きる。それはある新聞社のコラムがきっかけだった。それは次の様に書かれていた。

「森喜朗首相が「神の国」発言の釈明記者会見を開く前日の朝、首相官邸記者室の共同利用コピー機のそばに「明日の記者会見についての私見」と題した文書が落ちているのを見つけた。ワープロ打ちされた感熱紙。一読して、首相周辺にあてた翌日の記者会見対策用の指南書と分かった」

そして「指南書」の内容の一部を書いた上で、「取材現場で、政治家との距離感をどう保つか、悩むことは多いが、そこにはおのずと越えてはならぬ一線がある。この文書の筆者はそれを大きく踏み越え、報道人として背信行為を犯したと言わざるを得ない。国民が注視し、報道の力量が問われた記者会見だったことを思えばなおさらだ」と、指南書を書いた記者を厳しく批判した。

コラムは西日本新聞の「直言・曲言」。インターネットが全国の新聞記事を誰もが読めるような時代ではない。ブロック紙の雄とされる西日本新聞にしても、記事が読まれる範囲は限られている。しかし、この記事は大きなうねりとなって政権と政治報道を襲うことになる。

その日の夜にはテレビ朝日のニュースステーションが取り上げ、続いてTBSのニュース23で筑紫哲也氏が問題を指摘。

当然、指南書を書いたのはどこのメディアだ?どの記者だ?との関心が高まる。間を置かず、NHKではないか?官邸記者クラブのNHKの政治部記者ではないか?との観測が流れる。

それを受けてNHKは当時の海老沢勝二会長が会長会見で「内部調査を行ったが、そうした事実は無かったと聞いている」と否定。NHKの記者ではないとのNHK政治部の判断が貫徹された。その会見内容が事実ではないことを明かした冒頭のOBの発言だった。

その後、複数の政治部OBからも、NHKの公式な発言を否定する言葉を得た。その中には、「それって、政治部記者なら誰だってやるだろう」と、指南書を書いた記者を擁護する言葉も聞かれた。

「ニシビ(西日本新聞)の奴ら、あれを書くかね?うちとニシビは特に仲が良かったんだ。それをあいつら、よりによってあんな記事を書いて、許さんね」

こう話すNHKの政治部OBもいた。そのOBによると、NHKと「ニシビ」は記者クラブの席が背中合わせで「互いに持ちつ持たれつでやっていた」という。

西日本新聞東京支社の記者たち

こうなると西日本新聞でこの記事を書いた記者に会わないといけない。知り合いを伝って当時の記者を探し、博多へ向かった。

2021年7月16日。私は博多駅からタクシーで海沿いに行ったところにあるテレビ西日本でその人に会った。宮崎昌治氏。スラリとした体躯をスーツに身をまといつつも物腰の柔らかなところが、如何にも敏腕記者を感じさせるが、役職は「取締役編成制作局長」で、「解説委員室長」も兼務するテレビ局の幹部だ。

西日本新聞で社会部長を務めた後、同新聞社の系列テレビ局であるテレビ西日本で報道局長となり、最近の異動で編成制作局長になったという。「解説委員室長」の肩書は、今もニュース番組の解説に出るので、「編成局長じゃ変だろうということで、取り敢えず・・・」と笑った。

とは言っても、宮崎氏はテレビ局の幹部だ。あまり時間は無い。直ぐに会議室に移って「指南書」について話をきいた。

冒頭、宮崎氏は言った。

「うち(西日本新聞)は官邸記者クラブにキャップ、官房長官番、総理番の3人、いわゆる官邸記者クラブの常勤幹事社の中では最も規模の小さい社です」

常勤幹事社とは言葉通り、常に記者クラブに記者が駐在しているメディアのことで、全国紙、通信社、NHK、民放の東京キー局に、西日本新聞や北海道新聞などのブロック紙がそれだ。

宮崎氏は野党担当で、官邸記者クラブの所属ではなかった。その宮崎氏が、否、宮崎記者と書こう、その宮崎記者がこの問題を世に問う役割を担う。それはなぜなのか?

「あの『指南書』を見つけたのは、官房長官番の記者でした」

その記者は朝の取材から戻ってメモを打ち、その内容を社内の各担当に送る為に官邸記者クラブでコピーをしようとしたという。その時、1枚の感熱紙がヒラリと舞って床に落ちた。それが「指南書」だった。

これは今になっては説明が要るだろう。当時、まだパソコンは普及しておらず、皆、ワープロに打った。それ故、取材した結果をメモにしたものをメールなどの通信で送るということもなく、ワープロからプリントアウトされた感熱紙をコピーしてファクスでデスクや同僚に送るという作業が必要だった。感熱紙のままでは消えてしまい読めなくなってしまうからだ。

そして、まさに「指南書」もコピー機で消えないための作業がなされていたということだ。その記者は感熱紙を戻してコピーだけとって社のブースに戻った。

「指南書」には何と書かれていたのか。冒頭、「明日の記者会見についての私見」と大書されている。以下、その中身だ。

▼今回、記者会見を行うことによって、「党首討論はやらなかったが、森総理は、この問題で逃げていない」という印象を与えることはできると思います。ただ、今回の会見は大変、リスキーで、これまでと同じ説明に終始していると、結局、民放も含め各マスコミとも、「森首相“神の国発言”撤回せず 弁明に終始」といった見出しを付けられることは、間違いないと思ってください。官邸クラブの雰囲気をみますと、朝日新聞は「この問題で、森内閣を潰す」という明確な方針のもと、徹底して攻めることを宣言していますし、他の各マスコミとも依然として「この際、徹底的に叩くしかない」という雰囲気です。

▼「間違ったことは言っていないし、これまでの国会答弁などとの整合性を考えると、発言の撤回はできない」という意見は、よく判ります。また官房長官も昨日、会見で「撤回は考えていない」と言っているので、官房長官発言との整合性もあるでしょう。しかし、会見する以上、総理の口から「撤回」と言わないまでも、「事実上の撤回」とマスコミが報道するような発言が、必要だと思います。そうすれば、マスコミも野党もこの問題をこれまでのような調子で追及することはできなくなります。その場合、「なぜ、これまでの発言と変えたのか?」と質問されると思いますが、その時は、「真意を分かってもらえば、誤解は解けると思ってきたが、その後も現実に、多くの方に誤解を与え、迷惑をかけたので」と言えばよいと思います。

▼「事実上の撤回」と受け取ってもらうための言い方ですが、「私の発言全体を聞いてもらえば、決して間違ったことを言っているのではないことは理解してもらえると思ってきたが、一部、発言に舌足らずのところがあり、現実に、多くの方に誤解を与え、また迷惑をかけたことは事実だ。従って、発言全体の趣旨について撤回するつもりはないが、『日本は天皇を中心にしている神の国である』と発言した部分については、取り消したい」などと冒頭で言明した上で、神崎代表が言っているように、国民主権と信教の自由を堅持することを明確に説明すればいいと思います。いすれにしろ、こうした発言は、冒頭で明確に言った方がよいと思います。また、こうした方針の転換をするのであれば、事前に官房長官と幹事長に了解していてもらうことが不可欠だと思います。公明党から直ちに歓迎の声をあげてもらうことも必要です。

▼会見では、準備した言い回しを、決して変えてはいけないと思います。色々な角度から追及されると思いますが、繰り返しで切り抜け、決して余計なことは言わずに、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません。先日、総理自身が言っておられたように、ストレートな受け答えは禁物です。それと、朝日などが騒いだとしても、くれぐれも時間オーバーをしないことです。冒頭発言も短くし、いくつか質問を受け付けて、二十五分という所定の時間がきたら、役人に強引に打ち切らせるようにしないと、墓穴を掘ることになりかねません。(広報官にそれが出来るかどうか心配ですが)総理就任の会見の際も、最初は好評だったのに、予定をオーバーした際の質問に、総理が丁寧に答えていた部分が、逆に大変、不評でした。くれぐれも、会見を長くしないよう、肝に銘じておいて下さい

(西日本新聞が報じた内容から)

以上がその内容だ。一部誤りと見られる記述や固有名詞については修正・削除している。「神崎代表」とは当時の公明党の神崎武法代表のことだ。勿論、この紙に「指南書」などとは書かれていない。しかし、まさに「指南書」だ。

「会見では、準備した言い回しを、決して変えてはいけないと思います。色々な角度から追及されると思いますが、繰り返しで切り抜け、決して余計なことは言わずに、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません」や「所定の時間がきたら、役人に強引に打ち切らせるようにしないと、墓穴を掘ることになりかねません」といった部分には唖然とする。

この感熱紙を西日本新聞の記者が見つけたのは朝だ。それは文面にある森総理の「記者会見」の前日だった。

どう記事にするか?

「指南書」は記者から官邸キャップに渡された。現在、西日本新聞で編集委員を務める長谷川彰氏だ。長谷川氏は当時を振り返った。

「紙を見せられた時、『何これ?』と驚きました。普通では遭遇しないような問題に直面したんだと」

長谷川氏は直ぐに問題だと認識したと言う。「しかし」と続けた。

「しかし、どう記事にするのか?東京支社の政治デスクとも話したんですが、『新聞じゃ書きにくいから週刊誌に出すか』なんていう話にもなりました」

政治デスクは長谷川氏の前任の官邸キャップで、長谷川氏との入れ替わりだった。ざっくばらんに話せる仲で、「そういう記者、確かにいるなぁ」と話したという。勿論、週刊誌に渡せば飛びついただろう。しかし長谷川氏はその選択は取らなかった。

「書くなら新聞社の責任で書くべきで、それができないなら書かないという考えでした」

それが新聞記者としての責任だと長谷川氏は考えた。ただし、翌日にその問題の「記者会見」を控えている。全ては記者会見が終わってからの判断とする。

「記者会見で『指南書』通りのやり取りとなるか、それも確認したかったんです」

そして問題の森総理の記者会見。会見を途中で打ち切ろうとする広報官。しかし各社が応じなかったため、会見は1時間余り続いた。長谷川氏は会見の感想を次の様に話した。

「必ずしも『指南書』通りにはなりませんでしたが、森総理の発言や対応から見て『指南書』の通りに持ち込もうとしようとした感じは見られました」

やはり、「指南書」は記事にしないといけない。長谷川氏はそう考えたという。会見後に西日本新聞東京支社報道部の政治担当記者とデスクが国会記者会館3階の記者室に集まった。そこに長谷川キャップから宮崎記者も呼ばれる。宮崎記者の記憶では、「相談したいんだけど」という話だった。

「永田町政治部村の掟」

再び、宮崎記者の回想に戻る。そこで長谷川キャップから「指南書」を見せられる。

「落ちとった」

キャップはそう言って紙を宮崎記者に手渡す。

「これは面白い」

宮崎記者はそう思った。そしてキャップに言った。

「預けてくれんですか」

キャップは「よろしく」と言った。それが取材の始まりだった。宮崎記者は言った。

「恐らくキャップは東京支社の政治デスクとも話をしている筈なんですよ。しかし、あまり乗り気ではない。しかし埋もれさせて良いのか?そこで、宮崎はどう思うかきいてみたかったんじゃないかとおもんです」

それには理由が有る。宮崎記者はいわゆる政治記者ではなかった。もともと本社では社会部の記者だ。これはブロック紙である西日本新聞だからということも有るかもしれないが、社会部記者が東京で政治を取材するチームに入ることもある。しかも、特ダネ記者だ。東京で政治を取材する前は、民放テレビのCM間引き問題を特報している。

「これは、いわゆる政治記者だと、記事にするということは考えられなかったと思います」

宮崎記者はそう言って、続けた。

「政治記者っていうのは、政治家にアドバイスしてなんぼというインナーサークル(内輪)に入って(政治家の)信頼を勝ち得て、食い込んで・・・そういうアドバイスをしてなんぼという『永田町政治部村の掟』が有る」

「永田町政治部村の掟」。宮崎記者はそう言った。つまり敏腕社会部記者が東京に出てきて政治報道の世界を垣間見た時の違和感が、この「指南書」に凝縮されて見えたということだ。

その宮崎記者にこの問題を取材しないという選択肢は無かった。同じ社会部から東京に来て防衛庁(当時)を担当していた先輩記者に声を掛けて2人で取材を始める。2人とも東京で政治の現場を取材しているが、社会部記者だ。東京での取材経験から「永田町政治部村の掟」についてはその存在を感じていたが、「これはとんでも無い話だ」と思った。そして、誤解を恐れずに言えば、「面白い」。そう言って始まった取材だった。

ワープロを特定 「ビンゴ」

当然、「誰が書いたんだ?」となった。ここで「奇跡が起きた」(宮崎記者)という。

「ある電気メーカーに『指南書』を持って行って、どこの社のどの機種のワープロか特定できないか依頼してみたんです」

広報を通じての正面からの取材だったという。結論が出ると期待していたわけでは無いという。ところが、わかったのだ。

「メーカーから連絡が有って、『わかりましたんで』と。メーカーと年式がわかったんです」

それが「ビンゴ」だった。ここで宮崎氏は私に言った。

「私は記事でも、どこの社のものとは書いていませんし、私の口からどこの社とは言えません。それは理解して欲しい」

だから私が書く。それはNHKが使うワープロと「ビンゴ」だったということだ。その機種をNHKが使っているという確認は実は難しくはない。NHKは政治部だけでなく私のいた社会部でも同じ機種を使っていたし、それは西日本新聞が本社を置く福岡県のNHK福岡放送局の記者もそうだ。誰かを通じて確認するなら、全国のどこかのNHK記者にそれとなく確認すれば良いだけのことだ。

実は、「指南書」を見つけた記者も長谷川キャップも、その文面からNHKのものだろうとは推測していた。文面に「民放」と「朝日新聞」いう文言があったからだ。朝日新聞と民放の記者が書いたとは思えない。では朝日新聞以外の新聞社や通信社か?これも推測は可能だ。以前にも書いたが、文章に読点が多いのは放送記者の癖だ。例えば次の文章。

「色々な角度から追及されると思いますが、繰り返しで切り抜け、決して余計なことは言わずに、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません」

これはその典型だろう。放送原稿はアナウンサーに息継ぎの場所を伝えるため、無駄に読点が多くなる。これは癖になってしまい、私も今もって文章に読点が多い。

私の癖はさておき、2人は更に取材を進める。

では誰が書いたのか?それは特定はできないがNHKのある記者だろうとの疑いは持っていた。実は、「指南書」を見つけた記者は、その朝早い時間帯にあるNHKの記者を記者クラブで見かけていた。さて、どうするか。報告を受けた長谷川キャップは、「今度は僕が預かる番」だと受け止めた。

NHK官邸キャップと対峙する

官邸記者クラブの夜。長谷川氏がNHKの官邸キャップに声を掛けた。珍しいことではない。キャップ同士、しかも常勤幹事社のキャップ同士は様々なケースでやり取りをする。加えて、西日本新聞とNHKは特別な関係でもある。常勤幹事社は新聞社と放送局とでペアを組む。その際のペアがNHKと西日本新聞だ。加えて、NHKと西日本新聞は記者クラブの席も背中合わせ。ある意味、最も近い間柄に有るとも言える。

官邸記者クラブに所属する記者が少ない西日本新聞にとってNHKは有難い存在でもある。長谷川氏は言う。

「例えば、政治日程や急な記者会見の変更などあらゆる情報がNHKには集まるわけですが、NHKのキャップは意図的に後ろの私に聞こえるように電話口でNHKの関係部署に伝えるんです。それは人数の少ない我々に事実上、情報を教えてくれていたものでしょう。持ちつ持たれつ?圧倒的に、こっちが助けられていたというのが本当のところです」

そのNHKと対峙する瞬間とはどういうものだったのか。その時のやり取りを長谷川キャップの記憶から再現しよう。長谷川氏は次の様にNHKのキャップに声をかけた。

「ちょっとお耳に入れたい話と、それに関連してご相談したい話が有ります」

当時のNHKキャップは後にNHK日曜討論の司会も務めるベテラン記者だ。キャップ同士で私的な会話をする仲でもある。

夜の早い時間は記者も夜回りに出ているのでキャップも時間に余裕ができる。官邸を出て坂を下りた溜池山王の喫茶店に入った。

「お耳に入れつつ、お話ししたいことが有ります」

道すがらのよもやま話を止めて長谷川氏が切り出した。

「何ですか?」と応じるNHKキャップ。長谷川氏は「指南書」のコピーを手渡して言った。

「記者室内で、こんなものを見つけたんですよ」

紙に目を走らせた後、NHKのキャップは言った。

「いやぁ、実は、うちに森派に刺さっている記者がいるんです」

「刺さっている」とは取材現場では「情報源を持つ」という意味で使われるが、この場合は、「取材先に通じている」といった意味だろう。長谷川氏は畳みかけた。

「読まれて、どう思われますか?」

表情が一変したNHK官邸キャップ

NHKキャップは居住まいを正して言った。

「いやぁ、まぁ・・・長谷川さん、お気遣いありがとうございます。これは、こういうことをしでかすような者が出ないよう、しっかり管理監督しろとご忠告を頂いたのですね。本当に感謝します」

その瞬間、長谷川氏は「認めた」と受け止めた。そして、間髪入れずに発した。

「そういう話じゃなくて、こういう行動を取ること自体、記者の倫理として問題だとは思いませんか?」

「えっ」とNHKのキャップが発して、その表情が一変したのを長谷川氏は今も覚えている。NHKのキャップはこう発した。

「長谷川さん、ひょっとして、これ、記事としてお書きになるということですか?」

長谷川氏は努めて冷静に、大事な一言を伝えた。

「はい、そのつもりでここにおります」

NHKキャップは次の様に言ったという。

「・・・長谷川さん、そちらがそのおつもりならどうぞ。ただし、そういうことでしたら、こちらは事実関係の有無も含めて、徹底して戦います」

激した言葉ではなかった。「決して激することなく、最小限の言葉を選びながら余計な言質は与えないという胸の内が伺えた」と長谷川氏は振り返る。

NHKキャップは、「指南書」のコピーを長谷川氏に返して、「では」と席を立った。コピーを返された長谷川氏は会話の内容から「指南書」を書いた記者の予想も当たっていたと思った。しかし、それ以上はNHKキャップに言葉をかけなかった。書いた記者個人を問題にする話だとは思わなかったからだ。

NHKキャップが席を立って暫くして長谷川氏も店を出た。

「確認はとれた。さて、どう出すか」

後編にあたる「「記者が首相に政権延命の方法を助言した『指南書問題』 21年を経て問われる政治報道の『守るべき一線』」で、その後について書く。

NHKには今回、あらためてこの「指南書」について質問した。その結果、以下の回答があった。

2000年(平成12年)の会長会見で、『内部調査を行ったが、そうした事実は無かったと聞いている』とお答えしています

(「記者が首相に政権延命の方法を助言した『指南書問題』 21年を経て問われる政治報道の『守るべき一線』」につづく)

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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