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ロンドンから見た新国立競技場の騒動 「カブトムシ」と「100円ショップ」化する日本

木村正人在英国際ジャーナリスト
新国立競技場建設問題 安藤忠雄氏が会見(写真:ロイター/アフロ)

「なんで2520億円になったのか私も聞きたい」

新国立競技場のデザインを決める国際コンペで審査委員長を務めた建築家の安藤忠雄氏が16日、沈黙を破って都内で記者会見した。建設計画の総工費が当初の1300億円から2520億円に膨張したことについて、「なんでこうなったのか私も聞きたい」と首を傾げた。

筆者作成
筆者作成

「1300億円でいけるのかどうかという話。調整で1625億円というのが聞こえてきた。それが2520億円となった。なんでこうなったのか。私も聞きたい」

「ザハさんの人を選んだ。国際公約として人は外せない。ザハさんはダイナミックです。シンボリックだった。1人の人間として言えることはザハさんの案は残しておいてほしいなあ。ただ値段が合いませんから」

新国立競技場を設計するイラク出身の女性建築家ザハ・ハディド氏のコンペ案について、安藤氏は記者会見で配布した資料でこう評価している。

ザハ氏のコンペ案(日本スポーツ振興センターHPより)
ザハ氏のコンペ案(日本スポーツ振興センターHPより)

「スポーツの躍動感を思わせる、流線形の斬新なデザインでした。極めてインパクトのある形態ですが、背後には構造と内部の空間表現の見事な一致があり、都市空間とのつながりにおいても、シンプルで力強いアイディアが示されていました。とりわけ大胆な建築構造がそのまま表れたアリーナ空間の高揚感、臨場感、一体感は際立ったものがありました」

「一方で、ザハ・ハディド氏の案にはいくつかの課題がありました。技術的な難しさについては、日本の技術力を結集することにより実現できるものと考えられました。コストについては、ザハ・ハディド氏と日本の設計チームによる次の設計段階で、調査が可能なものと考えられました」

「消費税増税と物価上昇にともなう工事費の上昇分は理解できますが、それ以外の大幅なコストアップにつながった項目の詳細について、基本設計以降の実施設計における設計プロセスについては承知しておりません。更なる説明が求められていると思います」

「いちばん」をつくるにはカネがかかる

新国立競技場のデザインを決めた責任者の安藤氏にすべての罪を負わせるのは間違いだ。2020年東京五輪・パラリンピック招致の切り札として、審査委員会がザハ氏の案を選んだのは正しい判断だった。

その証拠に日本は東京五輪・パラリンピック招致に成功した。それほどザハ氏の構想力は突出していた。新国立競技場のコンセプトは「『いちばん』をつくろう。」だ。ただし、世界の「いちばん」をつくるにはカネがかかる。日本にはその自覚も認識もなかった。

世界中の才能とカネと情報が渦巻くロンドンの最高級レストランに入り、一番高い料理を注文しておいて、今さら「高い」と言っても始まらない。安倍晋三首相の経済政策アベノミクスのおかげで、2012年1月には1ポンド=117円だった為替相場は195円近くまで円安が進んだ。

予算不足で見直された後のザハ案(同)
予算不足で見直された後のザハ案(同)

単純計算でも66%超の輸入インフレとなる。東日本大震災の復興に加え、東京五輪関連の建設工事で資材、作業員の需要が増え、コストはハネ上がる。それでなくても「団塊の世代」の退職とアベノミクスによるにわか景気で日本は労働不足に陥っている。

消費税が5%から8%に引き上げられ、17年4月から10%になる。コストがかさまない方がおかしい。米連邦準備制度理事会(FRB)や英中銀・イングランド銀行がいずれ利上げに踏み切れば、一段と円安が進むだろう。日本はロンドンの最高級レストランではなく、ガード下の立ち飲み屋がふさわしい国になってしまったのだ。

「宇宙船」から「カメ」、「カブトムシ」に

ロンドンでのある会合で、東京五輪が開かれる2020年の日本について、英国人の有識者に質問され、筆者は「アベノミクスの柱となる日銀の異次元緩和がこのまま続けば、日本全体が『100円ショップ』化している恐れがある」と自分なりの見方を示した。

新国立競技場を例にあげ、「当初のザハ案は宇宙船みたいで迫力満点だった。それが予算の制約で見直され、端が切り取られてカメみたいになってしまった。それでも予算が足りず、再び見直される恐れがある」と説明すると、出席者から「次はどうなるの?」と質問が出た。

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Jon Zander撮影

筆者には答えようがなかったが、著名な知日派ジャーナリストは「宇宙船からカメになったのなら、それより小さくなるとカブトムシだね」とユーモラスに言った。今回の騒動を見ていて、「カブトムシ」ならまだ良いと思った。

このまま円安が進んだら「カブトムシ」どころか「コガネムシ」になる恐れがある。

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vuhlser撮影

五輪は災い

しかし、日本にもようやく納税者意識が出てきたのは朗報だ。「ザハ氏を選んだのは国際公約だから、外すことはできません」(安藤氏)というのは正論だが、東京五輪で見得を張りすぎると、アテネ五輪のツケに今も苦しむギリシャと同じ轍を踏みかねない。

アテネを訪れるとわかるが、道路や鉄道、空港などのインフラはやたらと立派なのに、肝心の人はくすんでいる。その意味で、新国立競技場を建設する前に騒ぎ出した日本国民はギリシャ国民より少しは賢明と言えるかもしれない。

04年にアテネ五輪を開催したギリシャ。その年、対国内総生産(GDP)比の財政赤字は1.5%とされていたが、実際は8.2%に達した。ギリシャの予算担当相は「予算をやり直す必要がある」と考えたものの、五輪開催が目前に迫っていたため、目をつぶらざるを得なかった。

1996年アトランタ五輪が65億ユーロ、2000年シドニー五輪が56億ユーロかかったのに比べ、アテネ五輪の費用は110億ユーロ(約1兆4850億円)。このうち82億ユーロが空港、地下鉄、高速道路、最新の通信施設などのインフラ整備に使われた。

ギリシャ経済は7年間にわたって4%の成長を遂げた。五輪開催は無駄ではなかったが、使われることのない五輪用巨大施設の多くがそのまま放置されている。

カナダのウィルフリッド・ローリエ大学でスポーツの歴史と五輪の競技場を研究しているスティーブン・ロリエ教授によると、アテネ五輪の負債は140億~150億ドル(1兆7300億~1兆8600億円)にのぼるという。

1976年モントリオール五輪で、モントリオール市はその後、30年間も負債に苦しんだ。

14年サッカー・ワールドカップ、16年リオ五輪の開催国ブラジルで13年、サッカーのコンフェデレーションズカップが開かれた。が、大会期間中、抗議デモが吹き荒れた。競技場の中まで、警官隊がデモ制圧のため使用した催涙ガスが流れ込んだ。

ブラジルでは00年以来、合計インフレ率が130%近くに達し、バス料金やプライベート医療の代金が185%近く上昇。サッカーの入場券にいたっては280%も値上がりした。(13年当時)

東京と並んで20年五輪・パラリンピックを招致していたトルコでも、エルドアン首相(当時、現大統領)の強権的な政治手法が若者の反発を受けて大規模な抗議活動が起きた。

58億円の黒字出したロンドン五輪

12年に開催されたロンドン五輪の予算は当初、24億ポンドだったが、最終的には3倍以上の87億ポンド(約1兆6800億円)にまで膨らんだ。しかし大会運営費は収入24億1千万ポンド、支出23億8千万ポンドで3千万ポンド(約58億円)の黒字になった。

英政府の調査によると、ロンドン五輪で投資・売り上げ・契約増など99億ポンド(約1兆9100億円)の経済効果があり、ロンドンだけでも「40億ポンド(約7700億円)の経済活動が生み出された」(ボリス・ジョンソン・ロンドン市長)。

20年までには「400億ポンド(約7兆7400億円)」の経済効果を見込んでいる。

五輪公園など施設の再利用も進められている。5億ポンド(約967億円)以上かけた五輪スタジアム。15年にラグビーのワールドカップ、17年に世界陸上が開催される。

五輪スタジアムは16年からサッカーのイングランド・プレミアリーグ、ウェストハムの本拠地として使用される。

しかし英BBC放送がロンドン五輪1周年の13年7月、世論調査会社ComResとともに実施した五輪レガシー調査を見てみよう。

Qロンドン五輪後、運動する機会が増えた?

はい11% 何も変わらない88%

Qロンドン五輪は地域経済にいい影響があった?

はい22% 何も変わらない67%

Qロンドン五輪は公共サービスを向上させた?

はい21% 何も変わらない69%

国民はロンドン五輪のありがたみをそれほど実感していないというのが実態だった。

「日本の建築家は偽善者だ」ザハ氏

当のザハ・ハディド氏は昨年12月、日本の建築家たちから自分のデザインに批判が相次いだことについて、オンラインの建築マガジン、dezeenのインタビューにこう語っている。

ザハ氏(ザハ・ハディド建築事務所のHPより)
ザハ氏(ザハ・ハディド建築事務所のHPより)

「新国立競技場を私が設計することに決まったのは日本の建築家たちを困惑させているのだと思います。私が言えるのはそれがすべてです。私は東京が彼らの町であることを理解しています。しかし、彼らは偽善者です」

「彼らは外国人が東京に新国立競技場を建設することを望んでいません。その一方で、彼らは海外で仕事をしています」

「彼らがコンペに敗れたという事実は彼らの問題です。もし彼らがその場所に競技場をつくるというアイデアに反対なら、コンペに参加するべきではなかったんだと思います」

「彼らの多くは私の友人でした。以前、私がサポートした人々もその中に含まれています。本当に長い付き合いの人もいるのに。悲しい。私に何ができるのでしょう。彼らは敬意を示さないで突き進んでいます」

「計画見直すべきだ」94%

新国立競技場の建設計画をめぐり、日経新聞電子版読者の94%が「計画を見直して建設費を縮小すべきだ」と答えている。政府はアーチ構造の中止や6万人規模への縮小で見直しの検討に入った。

第二のギリシャにならないよう、新国立競技場を「コガネムシ」にしてしまうのは賢明な判断かもしれない。しかし、国際公約であるザハ案を破棄すれば、日本は2020年に向け、「100円ショップ」になりますと宣言したも同じだと思う。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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