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「ホビーパソコン」とは何だったのか? その歴史をその言葉の始まりから調べてみた

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玩具市場にも進出した低価格パソコン


これと対照的にホビーを前面に押し出すケースが見られたのが、MSXよりも一足早く登場した、玩具メーカーのパソコンだ。
たとえば1982年9月にトミーが発売した「ぴゅう太」(59,800円)は、ある広告の冒頭で「ご家庭のテレビに「ぴゅう太」を接続すれば、そこは、コンピュータホビーの世界。」と述べている。

肩書こそ「16ビットグラフィックコンピュータ」とややいかめしかったが、ゲームソフトやお絵描き機能をアピールし、知育玩具に近い売り込み方を模索していた。

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(画像はI/O. 1982-11, トミー広告より)

トミーにやや遅れて同年11月に発売されたタカラの製品は、さらにストレートに商品名を「ゲームパソコン」(59,800円)とした。
ハードウェアは、1970年代からベンチャーでパソコンを手掛けていたソードが初めて家庭向けを志向した「M5」(49,800円)と同じで、セット内容や販路を変えてほぼ同時に発売する戦略をとったものだった。

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※画像はソードの「M5」
(画像はjmho, Public domain, via Wikimedia Commonsより)


そのため、プリンターポートを標準で備えるなど、拡張性や実用性ではぴゅう太を上回る面もあったが、タカラはあくまでゲームを強調したわけだ。
タカラは、このころの玩具業界を席巻していた電子ゲームブームには完全に出遅れており、それを挽回したいという意図もあったのだろう。

また日本の玩具市場には、コモドールも1982年に本格的に進出。
有力百貨店や大手玩具店のキデイランドなどでVIC-1001を販売していたが、タカラの製品とほぼ同時期に、玩具市場向けに「マックスマシーン」(34,800円)を発売している。
シンセサイザーやコンピューターなどの用途を掲げた中でも、チラシに「MAXの第一の顔、それがゲームマシーンだ」とあるなど、やはりまずはゲームを中心に売り込まれた。

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(画像はWilliam Ward, CC BY 2.0, via Wikimedia Commonsより)

これらの、ROMカートリッジでのソフト供給を前提にした玩具市場向けのパソコンが、「ホビーパソコン」と呼ばれるようになったのは当然の成り行きだろう。日経新聞のデータベースで確認すると、「ホビーパソコン」という表現が最初に見つかるのは日経産業新聞1983年4月28日付

セガが3万円前後の「ホビーパソコン」を7月にも発売するという記事で、おわかりのとおり29,800円での発売となったSC-3000のことだ。
またこれと同じ4月に、矢野経済研究所が『ホームビデオゲーム・ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開』と題する市場調査資料を出版している。
この資料における「ホビーパソコン」の定義は明確には示されていないが、調査の内容からは、玩具市場向けのほかに10万円未満の家庭向けパソコンも一応含んでいるように読み取れる。

パソコン専門店にとっての「ホビーパソコン」

ではファミコン登場前後には、「ホビーパソコン」のイメージが、このような玩具市場向けを含む10万円未満の家庭向けで固まっていたかと言えば、必ずしもそうではない。
それを示すものとして挙げられるのが、パソコン大型専門店の草分けとして知られた上新電機の「J&P」の広告だ。

J&Pの1号店は大阪・日本橋に1981年10月に開店したが、当初1階で取り扱っていた電子部品などを他店舗に移転して、1982年夏には1階のフロア名称を「ホビーのパソコン」としていた。
そして1982年10月には1号店を「J&Pテクノランド」に改名し、同じ日本橋に「J&Pメディアランド」を開店。
このJ&Pメディアランドの2階も「ホビーのパソコンフロア」とされ、年末発売のパソコン雑誌には、この階の取扱品目に「ホビーパソコン」を掲げた広告が掲載されている。

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(画像はOh! MZ. 1983-01, 上新電機広告より)

ところがこの広告の「ホビーパソコン」は、玩具メーカーのパソコンのことではなかった。
というのも、J&Pメディアランドの1階は「電子ホビーのフロア」で、その取扱品目に電子ゲームやキーボード楽器などと並んで「ゲームパソコン」が挙げられていたからだ。

これはタカラの商品名のことではなく、玩具メーカーの、また玩具市場向けのパソコン全体を指していたと考えられる。
このような形で「ゲームパソコン」と「ホビーパソコン」を分けたのは、双方が排他的だという趣旨ではなく、売場構成上の都合だろう。
小売店で販売されるパソコンのうち、明らかにビジネスが主目的のものを除いた広い範囲が「ホビーパソコン」で、そのうち玩具市場がらみのものを「ゲームパソコン」としたわけだ。

どうしてJ&Pの広告の「ホビーパソコン」が、広い範囲を指すことになったのか。
考えられる理由としてはまず、販売店の実感としてはやはり、ゲームソフトの需要が低価格機種に限らず根強かったからだろう。

1982年ごろといえば、アドベンチャーゲームがパソコンゲームの新しい潮流として、日本でにわかに注目を集め始めた時期だ。
アドベンチャーゲームはもともと、場面の状況が文章で示され、プレイヤーが行動を1~2語程度で入力するとまた文章で応答が返ってくるという、文字での対話がベースのゲームだった。
しかし1980年に発売されたAppleⅡ用の『Mystery House』を皮切りに、北米ではグラフィック付きのアドベンチャーゲームが続々とヒットを飛ばしていた。

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(画像はRoberta Williams and Siera, Public domain, via Wikimedia Commonsより)

日本でもこれらが輸入されて遊ばれる中で、1982年には独自に作られたアドベンチャーゲームが市販され始めている。
こうして日本の場合、輸入ものを除けば、グラフィック付きとそうでないアドベンチャーゲームが、ほとんど同時に市場に登場する形になった。

そのため視覚的なインパクトの強いグラフィック付きのアドベンチャーゲームがたちまち優位に立ち、ゲーム目的であっても高精細なグラフィック機能が重視されていく。
さらに日本では、パソコンで漫画やアニメのキャラクターを描くことが、販売店の店頭や学園祭のパソコンクラブなどの展示のアイキャッチャーとして盛んに行われていた。
当然、高精細で色の制約が少ないことが重要なため、グラフや漢字の表示のためのグラフィック機能を持つビジネス向けの機種こそが、この手の利用目的に合っていることになる。

中でもFM-8やPC-8801は、「640×200画素、1画素ごとに8色から選択【※】」のグラフィック機能を持つ機種としては割安な価格設定で、マニアからの人気も高かった。

※光の三原色の青・赤・緑をそれぞれオン・オフして得られる「黒・青・赤・マゼンタ・緑・シアン・黄・白」が、当時の8色の基本的な組み合わせだった。

しかも1982年末商戦に向けては、富士通がFM-8のグラフィック機能など大半を受け継ぎサウンド機能も加えながら、価格を126,000円に抑えた戦略機種「FM-7」を投入。

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(画像はFM-7(1982年) : 富士通より)

またシャープは「パソコンテレビ」と銘打ち、テレビとの融合を目指した映像機能にサウンド機能も備えた「X1」(155,000円、テレビ機能付きディスプレイは113,000円)を発売している。

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(画像はパソコンテレビ|商品ヒストリーより)


このように1982年には、ゲームも含め従来よりも高度なパソコンホビーの分野が形成されつつあり、加えて明らかにそこにターゲットを据えた機種までもが登場するに至った。
その状況を踏まえれば、大型専門店として顧客の動向に敏感なJ&Pが、高級ホビーに向いた機種まで含めた広い範囲を「ホビーパソコン」と呼んだこともうなずける。

この後、日本のパソコンで隆盛するシミュレーションゲームやRPGも、これら高級ホビー機に位置づけられた機種を中心に発展していくことになる。
つまり「ホビーパソコン」という呼び方は、ホビーの印象を引きずっていた「マイコン」から、指向性のある製品が要求され始めた「パソコン」への脱皮の中で生まれたと言える。

そして、ビジネス向けの機能であろうとホビーに利用するマニアたちの貪欲さが、ホビーパソコンの範囲を低価格機種にとどめず、より高級な機種にまで押し広げたわけだ。

8ビット機はみな「ホビーパソコン」へ

さてでは、玩具メーカー製と玩具市場向けのパソコンはどうなっていったのだろうか。
1983年にはSC-3000に加え、バンダイの「RX-78」(59,800円)【※】やカシオの「PV-2000」(29,800円)が登場している。
タカラがゲームパソコンのセット内容を変更して「ゲームパソコンM5」と改称(49,800円)したほか、翌年にはトミーが29,800円に価格を切り下げた「ぴゅう太mkⅡ」を投入するといったテコ入れも見られた。

※バンダイはRX-78について、あえて玩具市場とは異なる販路を採用し、同社のゲーム機との住み分けを図っていた。

しかしこれらは、ファミコンを筆頭にした家庭用ゲーム機市場の拡大の中で、急速に競争力を失っていった。
加えて電機各社のMSXパソコンが5万円前後からの価格で1983年末以降多数登場し、1984年になるとタカラやバンダイはこのMSX用ソフトの発売にも踏み切った。
またカシオは1984年末、価格をPV-2000と同じ29,800円とした「PV-7」でMSX本体の市場に参入している。
こうして日本の玩具市場向けパソコンは、家庭用ゲーム機のSG-1000との間でソフトの互換性を持たせていたセガを除いて、1985年前半までにほぼ壊滅した。

代わりにMSXが、主にROMカートリッジでソフトを供給する“使い勝手が家庭用ゲーム機に近いパソコン”でもっとも目立つ位置に立つことになる。
その結果MSXは、アスキーや電機メーカーの思惑をよそに、主に玩具市場向けを指して言われていた意味での「ホビーパソコン」のイメージまでも受け継ぐことになったわけだ。

この1985年には、高級ホビー分野のパソコンにも大きな変化が起きている。
その象徴として挙げられるのは、1985年初頭に発表されたNECの「PC-8801mkⅡSR」(FDD2台内蔵モデルは258,000円)が、発売済みのPC-6001などの新機種と同様、ヤマハの「FM音源【※】」を新たに採用したことだ。

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(画像はマイコンBASICマガジン. 1985-06, 日本電気グループ広告より)

※正弦波などの単純な波形をかけ合わせて音色を合成するサウンド用LSI。少ないデータ量で金属音などの複雑な音色を表現できるのが特徴。1980年代から1990年代にかけてはシンセサイザーやパソコン、アーケードや家庭用のゲーム機に、2000年代には携帯電話に使われた。

ビジネス向けとして始まったPC-8801はサウンド機能が弱く、これを家庭向けの機種と同等にしたのは、位置づけを家庭向けの高級機に変更したことのあらわれだった。
ビジネス市場では、1982年秋発表の「PC-9801」とその後継機が、約2年のうちに国内の16ビットパソコンのトップに立っており、そこでのPC-8801の役目は終わったと判断したわけだ。

これに敏感に反応したのが、3.5インチFDD採用の「FM-77(セブンセブン)」を8ビット機の主力としていた富士通だ。
漢字表示能力をPC-8801と同等レベルに強化した「FM-77L4」を春商戦向けに投入していたが、5月には実質的にFM-77の価格引き下げモデルにあたる「FM-77L2」を発売。
このFM-77L2にはNECと同じFM音源を追加したほか、ジョイスティックも添付されており、広告で「3.5インチ時代のホビーパソコン」をうたったのだ。

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(画像はマイコンBASICマガジン. 1985-07, 富士通広告より)

FM-77L2のカタログ価格は193,000円で、かつての玩具市場向けのパソコンとは明らかに別クラスの製品だった。
つまり1985年時点でも、「ホビーパソコン」には「使い勝手が家庭用ゲーム機に近いパソコン」と「それより高級な機種を含み、ビジネス向けを除くパソコン」のふたつの意味があった。

しかしビジネス向けが16ビット機にほぼ移行している以上、教育向けなどの例外はあるにせよ、「8ビットパソコン=ホビーパソコン」と大雑把にくくっても支障がなくなっていた。しかもこの1985年には、アスキーがMSXとの互換性を持つ上位仕様「MSX2」を発表している。

MSX2は映像機能が高級ホビー分野の機種に匹敵するレベルまで強化され、年末にかけて電機メーカーが発売したMSX2の中には、FDDを2台搭載して20万円前後の機種もあった。
こうして、8ビットパソコンというくくりの中では、「ホビーパソコン」に内包されたふたつの意味の違いが次第に曖昧になっていった。

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ライター
コンピューター文化史研究家。2013年より約2年間、ブログにて 「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」を連載。その際、1999年末まで約20年分の日経産業新聞縮刷版にヘトヘトになりながら目を通した。
Twitter:@Kenzoo6601

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