第20回:佐藤スーツ博之氏(ダンデライオンアニメーションスタジオ)のアニメ「履歴書」《その2》

■動画チェック~原画
最近は人手不足もあって、良くも悪くも、昔に比べるとアニメーターの昇進・昇格がかなりスピードアップしてきました。才能ある人にとっては早くメインの仕事に携われる時代ですね。自分の頃も、もちろん腕の良いアニメーターは早い段階で原画や作監へと進んでいきましたが、平均して2~3年は動画の修行を積んで、動画チェック、原画へと進むパターンが多かったです。自分も確か2年ちょっとくらいで動画チェックになりました。

動画チェックの仕事は、名前の通り、動画マンが仕上げたものを確認する作業です。中割りがうまくできているか、線抜けや影抜け、線の途切れは無いかなど、様々な確認を行います。スタッフ構成にもよりますが、新人動画マンの指導をすることもあります。自分も駆け出しの動画マンの頃、できあがった動画を担当のチェックさんに見てもらいに行った時、その場で中割り修正を2時間くらいして頂いた覚えがあります。当時はずっと立たされていてしんどかったのですが、後から思えば丁寧に作業を見せて頂くという、ありがたい環境でした。

今回の記事の読者は、アニメーターを目指す高校生や専門学校生を想定しているので、この辺りから先はもう少し簡潔に書いていきたいと思います(もし要望があれば、別の機会に詳しく書きます)。

動画チェックを1~2年やった頃から、徐々に原画の仕事へと移行していきました。最初にやったのは当時、仕事の半分以上を占めていた「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」の新シリーズ「爆走兄弟レッツ&ゴーMAX」でした。
原画になるとこれまで(動画)の作業内容とは一変するので、今後アニメーターとしてやっていけるかどうかの分かれ道になると思います。基本的には、絵コンテから担当シーンを割り振ってもらい、作打ち(作画打合せ)をしてレイアウト作業に入ります。
演出や作監のOKが出たら、今では2原(第二原画)と呼ばれる作業に入って原画を完成させます。これまで(動画)は、原画の絵と絵の間を中割りしていれば良かったのですが、今度は自分でその元となるキーの絵を描かなくてはなりません。作品を理解し、自分の担当シーンを理解し、そこでどんな演技や表情が必要なのかを考えて絵にしていきます。また前後のバランスもあるので自分のシーンだけ特殊なことをするわけにもいきません。手を動かすだけではなく、今まであまりなかった“考える時間”というものも必要になってきます。

そうした中で2~3作品もやると、いろいろと周りの状況も変わってきました。すでに入社して4年ほど経っており、少しずつ周りの同期や後輩が少なくなっていき、最終的には専門学校からの同期が全員いなくなりました。仕事自体を辞めた人もいますが、実はほとんどが他社へ行っていました。

自分自身も先の見通しや、環境の変化を求めて知り合いの会社へ入れてもらうことになりました。その後、引き続き原画をやりつつ、韓国へ動画チェックとしてしばらく出張したりしましたが、正直なところ行き詰まりを感じていました。そんな中、会社自体も作画部署を縮小するという話になり、かなり小さな部屋へと移ることになりました。今思うと、明らかに窓際というか「辞めさせ部屋」的なところで、部屋が冗談抜きで傾いており、椅子が部屋の端から端まで勝手に転がるほどでした。

誰もが、ここはもうヤバいだろうと感じている中、自分もこの先どうすべきかを考えました。
そこで何故か目に留まったのが、アニメの専門学校の担任募集でした。

■アニメ専門学校の担任
何故アニメーターからいきなり専門学校の担任に応募することになったかと言いますと、1つ大きな目的がありました。それはデジタル化への対応です。パソコン関係は個人的にも昔から好きだったので、古い機種には多少触ったことはあったのですが、アニメーターをやっている間は、世界が「作画と、日曜のカラオケと、たまに友人とキノコ鍋」くらいしかありませんでした。その期間が長すぎて、世間ではやれウィンドウズ95だの、携帯電話の普及だのと進歩しており、だいぶ取り残されてる感が強くなっている時期でした。
「学校で教えながら、自分自身も学ぶ」ということを目標に据え、ちょうどタイミングよくアニメ学科の担任が寿退社するので、担任枠なら空いているとのことで、あっという間にアニメーターから、アニメ学科の担任をやることになりました。

実際やってみて、狙い通り、デジタル彩色の初期の段階で、ペイントソフトや編集ソフトがまだ完全には確定しておらず、いくつかのソフトで様々な会社がテスト的に取り組んでおり、自分もそういった知識を入れつつ、学生たちにもその情報を伝えるようにしていました。
割と性分に合っていたのか、4~5年も勤めていました。
自分はどちらかというと学生を増やすことより就職先を決めることに力を入れるタイプだったので、正直アニメ学科の人数はなかなか増えず、また自分自身も「このままだとアニメの仕事に戻れなくなってしまうかもしれない」と思い、またアニメ業界に戻ることにしました。

■個人制作、CGや演出
学校を辞めたあと、子供向け作品の個人制作なども幾つかやりました。デジタルでの制作が一通りできるくらいにはなっていたので、2分前後のショートアニメを絵コンテから作画、仕上げ、撮影まで行いました。これは大変でしたが、とても楽しかったです。
その後、小学館ミュージック&デジタルエンタテイメントで、絵コンテ、3Dでのモデリングとアニメーションなどを行いましたが、モデリングは本当に向いていなかったです……ろくに完成できたモデルは無かったと思います。アニメーション付けは少なからずアニメーターの経験が活かせたので楽しかったですね。「ZOIDS」ではカット制作やDVD特典用のアニメーション付けなどもやらせて頂きました。
そして「劇場版とっとこハム太郎 ふしぎのオニの絵本塔」ではCGパートの絵コンテを担当させて頂き、当時の監督・出﨑統さんにもチェックして頂ける機会をもらうことができました。唯一、悔やまれるのは、音楽制作の遅れにより自分の作業期間が全て潰れ、実質2~3日程度で絵コンテを描かなければならなかったことです。大ベテランの方ならともかく、まだ経験の少ない自分は、もう少しじっくりこだわりたかったですね。

■新しいアニメ会社の立ち上げ
その後、アニプレックスが新会社を立ち上げるという情報を聞き、その魅力に惹かれ応募して入社しました。A-1 Pictures という会社です。
当時、制作スタッフとしては3人目でした。まだ自社ビルも完成しておらず、これからアニメ業界を変えていくぞという気概で、最初の1年間はいろいろなことをやりました。原画作業をして頂いた方へのお礼としてポイントを貯めて商品と交換できるシステム「アイポカード」や、制作進行で必ず問題となる夜間を含めての車での回収作業などをどうやれば減らせるかを考え、複数の外部宅配業者に相談をして、外部委託回収体制を整えたりもしました。
5年ほど勤めましたが、この間の話を書くとめちゃめちゃ長くなってしまうので、申し訳ありませんが割愛します。また何かの折にお話しできればと思います。

次回は、音楽制作会社を経て、ダンデライオンでプロデューサーになるまでをお話しします。

佐藤スーツ博之(ダンデライオンアニメーションスタジオ

さとう すーつ ひろゆき
株式会社ダンデライオンアニメーションスタジオ チーフプロデューサー
代表作:マクロス7(動)、爆走兄弟レッツ&ゴー(動・検・原)、劇場版とっとこハム太郎(CGパート絵コンテ)、ゾイドジェネシス(CG)、おおきく振りかぶって(制作)、ゆゆ式(CD)、ACTORSシリーズ(企画・原案・CD)、ロボマスターズ(P・宣)、あかねさす少女(制作統括)、神巫詞-KAMIUTA-(企画・原案)