第5章 1956- 第二期黄金時代からさらなる挑戦へ
最終回 初の外国語版『ナショナル ジオグラフィック日本版』創刊!
今月(2013年10月)号やこのサイトをご覧になっている方はもうご存じのとおり、今年は『ナショナル ジオグラフィック』創刊125周年。つまり、1888年の船出です。
で、ちょうど100年たった1988年には、発行部数は1000万部を超えていました。米国でトップではなかったものの、見事な数字です。
『ナショナル ジオグラフィック』がはじめて大台に乗ったのは1980年でした。編集長がギルバート・メルビル・グロブナーからウィルバー・ギャレットに交替した年です。その後はほぼ横這いで推移し、順風満帆に見えていたそのちょうど10年目、突如として協会に嵐が吹き荒れます。
発端はウィルバー・ギャレットの突然の解任劇でした。
解任したのは当時の会長であるグロブナーです。1990年4月16日、事前になんの予告もなく、グロブナーは自分のオフィスでギャレットを呼んで解雇を通告します。ギャレットはそれを受け入れて、グロブナーのオフィスに入った30分後にはもう協会の職員ですらなくなっていました。
ビジネスに関してはいくらドライな米国とはいえ、この突然の幕引きに多くの人が驚いたようです。『ワシントンポスト』をはじめ、解任劇を多くのメディアが書き立てました。運営方針の対立、出版理念の違い、財政面や経費削減をめぐる長期的な抗争の結果、歴史ある雑誌を若者向きに変えようとひたすら努力した編集長との衝突、そして、性格の不一致など、さまざまな要因が挙がりました。
コトの真相はともかくとして、これが協会にとって大きな転換点になったことは間違いありません。
「そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』」最新記事
バックナンバー一覧へ- 第5章 1956- 第二期黄金時代からさらなる挑戦へ
- 最終回 初の外国語版『ナショナル ジオグラフィック日本版』創刊!
- 第27回 実はボツ写真だった史上もっとも有名な「アフガンの少女」
- 第26回 ナショジオに登場したもうひとりの日本人冒険家
- 第25回 1970~80年代の野生動物の記事“勝手にベスト5”
- 第24回 世紀の大発見「タイタニック号、発見!」のウソ
- 第23回 深海生物の“世紀の発見”です!(動画あり)
- 第22回 植村直己、ナショジオにドーン!
- 第21回 1000万部を超えをもたらしたナショジオ90年目の編集方針
- 第20回 コン・ティキ号と『ナショナル ジオグラフィック』
- 第19回 祝!世界遺産ほぼ決定 ナショジオが伝えた富士山