私たちは政治グループ「未来への協働」として本日ここから再出発します。
 「未来への協働」とは何者であり、何を目指すのでしょうか。
 私たちはこれまで、「反帝国主義・反スターリン主義世界革命」を掲げる新左翼党派(革命的共産主義者同盟・中核派、その後、革共同再建協議会)として、共産主義社会の実現を目指してたたかってきました。日本の労働者人民として戦争に反対し、搾取を憎み、差別を許さないがゆえに、その根源たる資本主義社会の転覆を目指したのです。
 戦後日本の人民にとって、国内外に癒やしがたい傷を残した侵略戦争、これを推進した軍国主義の清算、戦前回帰への危惧といった問題は、天皇制の評価を含む巨大なテーマとして一貫して存在してきました。一九四七年二・一ゼネスト、四九年中国革命、五〇年朝鮮戦争の勃発と続いた内外の激動のなかで、当時、多くの人々にとって共産主義という選択肢が現実的で有力な回答の一つだと思われていました。
 さらに一九六〇年代になると、米ソ核開発競争、日韓条約、沖縄復帰運動、ベトナム解放戦争といった一連の動きは、日本の植民地支配と戦後処理もいまだ終わっていないというのに、日米安保体制を通じて日本が「兵站基地化」「参戦国化」している現実を衝撃的につきつけました。急速な工業化に伴う社会編成の大変動が進んだこととも相俟って、誰もがこの社会の是非にかんする態度表明が迫られました。全共闘は近代科学と大学教育システムに疑問を呈し、反戦青年委員会は「物とりだけでいいのか」と既成労働運動を批判、三里塚の農民は開発の犠牲となる農業の意味を問うていました。公害の顕在化と環境問題、民族差別、部落差別、「障害者」差別、女性差別—近代日本とは何か、戦後世界体制とは何かという根底的な問題が、あらゆる角度から生活次元で問い直されたのです。
 こうした問いにたいして、「レーニン主義の継承」を掲げる革共同は「安保粉砕・日帝打倒」という選択肢を社会に示しました。六七年一〇・八羽田闘争に始まる一連の大衆的実力闘争を通じて、ベトナム侵略戦争への加担を日本国内での内乱に転化し、一斉武装蜂起から社会主義プロレタリア権力を樹立することによって日米安保体制を破棄し、戦争と貧困をはじめとするあらゆる差別問題を一挙に解決できるとしたのです。さまざまな紆余曲折を経ながらも、私たちはこの「レーニン主義」革命路線を堅持し、その後も一連の武装闘争をたたかってきました。革マル派との党派間戦争も、権力奪取にいたる不可避の試練だと位置づけてきました。
 しかし結党から六〇年を経た今日、「レーニン主義」が戦後日本社会のつきつけた問いへの真の回答たりえなかった事実を私たちも認めないわけにはいきません。そのままでは黙殺されかねない諸問題への「異議申し立て」という意味で、私たちが労働者・住民とともに担った闘争の意義は否定できないし、それぞれの闘争を担った当事者としての誇りは今も全員の胸の内にあるとはいえ、党派として私たちの運動が日本の社会運動にもたらした負の影響もまた甚大でした。その反省と総括は、世界認識に関わる「帝国主義」論、暴力革命の根拠ともなった国家論、抑圧的なスターリン型組織の原因とも言われる前衛党組織論など多岐にわたりますが、いずれにせよ、労働者が階級として暴力革命路線に決起・合流することは基本的になかったという一点で「レーニン主義」の破綻は明らかです。その一方で、名もなき多くの人々は「前衛党の指導」と関係ないところで様々な領域の闘争を担い、運動を継承・深化させてきました。
 沖縄問題、日韓問題が典型なように、「七〇年」の重い問いかけは形を変えて今も私たちを問い続けていますが、私たちはその全面的な回答をいまだ持ち合わせていません。「未来への協働」が依拠する思想、めざす運動は、現段階では「レーニン主義」をいかに乗り越えるかという形でその基本的な方向性を示すことができるにすぎませんが、二〇世紀を一面で規定した「レーニン主義」の批判的検討は私たちの中で今ようやく始まったところで、先に挙げた論点をとっただけでもその一つ一つが容易に回答できない大きなテーマをはらんでいます。
 しかし、私たちがすべてに答えきるまで資本主義の攻撃が待ってくれるわけではありません。辺野古新基地建設をめぐる沖縄の島ぐるみのたたかいは今も続いています。新自由主義・グローバリゼーションがもたらした矛盾はこの日本でも顕著で、非正規雇用労働者の奴隷的状態はとうてい耐えがたいほどです。コロナ禍で多重な困難をしいられた女性の自殺が増加しています。格差と貧困、ヘイトやレイシズムの横行、経済成長を前提とした福祉システムの破綻、福島原発事故問題などの事象が示すように、社会が社会として自らを再生産すること自体が困難になりつつあります。市場経済の原理が労働力(人間)、土地(自然)、あるいは通貨までを覆い尽くせば、社会そのものを破壊するところまであっという間に行き着くことを、これまでの歴史は示しています。
 ここで私たちは、かつて「レーニン主義者」だった自分たちの失敗と敗北をきっぱりと認め、これまでの在り方にけじめをつけたいと思います。私たちは、ここからあらためて、資本主義に代わる搾取と格差のない社会、戦争と差別のない社会の実現を目指します。私たちの限界や弱点にもかかわらずこれまで苦楽をともにしてきたみなさんとともに、そして新自由主義・グローバリゼーションの惨禍に苦悶するすべての労働者・住民とともに、私たち自身もその構成員として、その生活と権利を守ってたたかいます。資本主義の市場原理に対抗するコミュニティの共同性・共有財産を取り戻し、守り、創造していきます。従来の「前衛党」的在り方と決別し、現場組織が決定と行動に責任を負うことで、労働者・住民の政治的利害を的確に表現できる組織をめざします。その渦中で「レーニン主義」の総括を深め、私たちの「何をなすべきか」—未来社会への道筋を見出したいと思います。
 「未来への協働」は、地方的・世代的な条件に規定された、あくまでも過渡的な組織です。新自由主義・グローバリゼーションとのたたかいはあまりにも広く深く、私たちのように小さな一地方グループがすべての回答を出すことはできません。しかし、いかに小なりといえども、どんな困難な状況におかれようとも、私たちは資本主義の下で苦闘するすべての人々とともにありたいと思います。
 新自由主義・グローバリゼーションの下で苦闘するすべてのみなさん。資本主義に代わる新たな社会をめざすすべてのみなさん。これまでの闘争経験、組織経験をあらゆる角度から討論し、総括し、新たな運動、実践を積み重ね、相互に学び合うなかから、私たちが向かうべき方向を共に見出していきましょう。自らを解放する新しい運動のつながりをともにつくっていこうではありませんか。