8月16日、大原麗子さんの実母・俊子さん(享年95)の納骨式が東京・三鷹市にある観音寺で行われた。俊子さんは7月27日、老衰のため息を引き取った。

「昨年、姉の三回忌を済ませたころは、母もとても元気だったんです。自分でも『105歳まで生きる!』と、言っていましたからね。ですから、こんなに急に逝くとは思いもよりませんでした・・・」

 納骨式を終えた実弟・政光さん(63)が母と娘の“因果”を打ち明けた。

「母は父・大原と離婚した後、旧姓の飯塚姓に戻りました。その飯塚の菩提寺がこちらの観音寺で、姉も本当はこちらのお墓に入るつもりだったんです。実は、姉は父の墓には入りたくなかったんですね」

 俊子さんが離婚したのは、大原さんが小学校6年生のときだった。離婚の原因は、父親の女癖の悪さだったという。

「父は都内で和菓子店を営んでいました。女にだらしないところがあって、5回結婚しています。僕と姉の母親・俊子は4番目の妻でした。父は男の子の僕だけ手放したくなかったようで、母は姉だけを引き取って離婚。姓は母だけが飯塚姓に戻り、僕と姉は大原のままでした」

母親に引き取られた大原さんと父親の間にも、かなり根深い確執が――。

「姉が幼いころから、なんだかんだと言っては、父は姉を殴っていました。姉の鼻の骨は右側がほんの少し盛り上がっていますが、父親に殴られた痕なんです」

大原さんは父を憎んでいたという。

「森進一さんと離婚後、大原姓にしか戻れないということがわかったのですが、わざわざ家庭裁判所へ行って、母と同じ飯塚姓にしたくらい、父を嫌っていたんです。ですから、姉が亡くなったときの本名は、どの報道でも『大原麗子』となっていましたが、本当は『飯塚麗子』だったのです」

 大原さんが飯塚姓を名乗ったとき、父は激怒。一度は『二度と大原姓を名乗るな!』と言ったそうだ。

「ですが、後にけっこう無理をして世田谷の北烏山にある妙壽寺に、自分と姉が一緒に入るための墓を新しく建てたんです」

 その父親が亡くなったのは93年10月。90歳だった。

「姉の本心は、父が用意していた墓には入りたくなかった。実際、いろんなお墓を探しましたが、亡くなるのがあまりにも急でしたし、いざとなると姉が女優だったために、難しい問題も出てきたわけです。そのため、姉は結局、大原の墓に入ることになりました」

 母・俊子さんの菩提寺の墓は、共同供養塔になっている。そこに、大原さんの知人から異論が出たという。

「やはり、女優・大原麗子の墓としては供養塔ではいかがなものかという話が出てきたんですね。それで結局、姉は大原家の菩提寺・妙壽寺の墓に入ることになったんです」

実は大原さんは生前、自身の自伝的ドラマを、自分でプロデュースし、主演して作りたいという夢があったそうだ。

「母の存命中に姉の生涯がドラマ化される話を報告できたのは何よりでした。墓は別々ですが、きっと天国で母と姉は会うことができたと思います」

 自伝ドラマ『大原麗子 炎のように』(テレビ東京系・今秋放送)は、大原さんの自宅リビングなどを使って撮影を行うなど、リアリティを追求したものになるという。父との確執ゆえ同じ墓には入れなくとも、母娘の絆は天国で永遠に続く――。

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