ポップカルチャーの通信社を目指す
ナターシャ 大山卓也社長(後編)


ナタリー、そしてナターシャ立ち上げ

ナタリーを運営する株式会社ナターシャ社長の大山卓也氏

 しばらくは、フリーで書き物や編集、インタビューなどをしていたのですが、結局、フリーで活動していたのは1年くらいでした。個人でやれることにも限界を感じていましたし、ミュージックマシーンのような二次情報を集めたサイトではなく、自分で取材をして一次情報を発信したいという気持ちも大きくなってきたんです。

 そこで、音楽ファンの視点に立って、きめ細かいニュースを流すメディアがあれば面白いんじゃないかと思い、新たなメディアを立ち上げることにしました。

 まずは友達数人を集めて、媒体の名称を決めるための合宿をしました。結局、「Windowsメッセンジャーでメッセージが来た時の『♪ピロリン』という音が、フリオ・イグレシアスの『♪ナタリー』に似ている」ということで、「ナタリー」に決まりました(笑)。

 深夜の2時頃でテンションおかしくなっていて、「ナタリー、それだ!! Web経由で情報が送られてくる感じも伝わるし!」と盛り上がって決まったんですが、冷静になって考えたらまったく伝わらない(笑)。

 ナタリーは法人化することにしたのですが、その会社名も悩みました。ナタリーと同じにしなかったのは、僕がなんとなくブランド名とサービス名は分けたいと思っていたからなんです。それである時、風呂で「ナタリーをやるための会社なんだから、『ナター社』で『ナターシャ』、これだ!」と。

 興奮して風呂を飛び出して全裸のままメンバーにメッセンジャーで「どうかな!」と送ったのですが、返事がこなくてシーンとしている。単純にパソコンの前にいなかったらしく、数時間後に「いいんじゃない」とそっけない返事がきて(笑)。

お金にならない日々

ナタリー
http://natalie.mu/
ナタリーのトップページ。3カ月で開発するはずだったが、あれもやりたいこれもやりたいと盛り込んだ結果、サイト開設まで1年を要した

 会社名とサービス名を分けたかったのは、正直ナタリーだけで会社としてやれるかどうかの確信がなかったからという理由もあるんです。お金はないし準備も整わないしで、実際、会社を立ち上げてからナタリーのサービスを開始するまでに1年かかっています。

 スターティングメンバーは4人で、常勤は僕も入れて3人でした。それだけの人間を何とか食わしていかなければいけないし、ナタリーの開発費を捻出して外注のエンジニアとデザイナーにお金を払わなくてはいけない。そこで、まずは編集プロダクション仕事を片っ端から受けることにしました。音楽とまったく関係のない、PC系のムックを作ったりと、下請けでやれる仕事は何でもやっていました。

 社長とはいっても、給料はほとんどなく、前の会社の退職金を資本金に充てたのですが、あっという間になくなり、自転車操業になりました。

 その後、1年かけて何とかナタリーを開発しました。3カ月で作るはずだったのに、話しているうちにあれもこれもやりたいとなって、延び延びになってしまったのです。ようやく、2007年2月にオープンしました。

 書き手もいなかったので、自分が「この人面白いな」と思った友達に声をかけて商業原稿の書き方を覚えてもらい、記事を書いてもらいました。ところが朝から晩まで書いても終わらない上、余裕がないので媒体の色も出せず理想的な形にはなりません。開始からの3カ月は、すっかりくじけそうになっていましたね。

 そんな時、ナタリーのオープニングパーティを開いたんです。一次会の終わりに、みんなから「二次会に行く前に挨拶してよ」と言われたので「パーティに来てくれてありがとう。我が社はあと2カ月で資金が完全に尽きます」と言いました(笑)。

 社員は真っ青ですよ。冗談かと思って僕を見ると、二次会の席でも居酒屋の隅でPCを開いて懸命に下請け仕事の原稿を書いていて、「あ、冗談じゃないんだな」と。

 実際、当時は泥船を漕いでいるようでした。開発費やデザイナーのギャラが払えなくて自腹で払ったりと、日々個人の資産を切り崩していました。会社設立から2年経っても給料は手取り8万円しかなかったので、ミュージックマシーンのアフィリエイト収入や、手持ちのCDや本などを売って賄っていました。

 そこまでうまくいかなかったのは、それもこれもビジネスモデルが一切なかったからなんですよね(笑)。収入といえば、アフィリエイトとGoogleアドセンスだけ。始める時は、「いいものを作ったら結果はついてくる」と思っていたんですよ。うまく回り始めれば面白いものができるという確信はあった。

 ところが、実際にサービスを始めてみると、日銭を稼ぐための仕事に追われて、自分がいいと思えるメディアを作る余裕がない。一番つらい時期で、よく「面白くないし、もう辞めちゃおうか?」とメンバーに相談をしていました。働いてもお金は入ってこないし責任はあるしで、しんどい日々でした。

ニュースを販売して収益化へ

 そんな時、メンバーの1人が「ニュースをどこかに買ってもらおうよ」と言い出したのです。その方法があったかと、買ってくれそうなIT系の会社に地道に営業をかけていきました。よくある方法なのに、思いつかなかったんですよね。サービス開始から半年くらい経って、ちょうど記事の質と量が安定してきたタイミングだったのもよかったと思います。

 7月くらいからモバゲータウンを運営するディー・エヌ・エーに買ってもらえるようになりました。「自分たちがやっていることにお金を出してくれるところもあるんだ」と自信がつき、会社も回り始めるようになりました。

 だから、僕らの土台は編プロなんですよね。毎日取材をして記事を書き続けるという泥臭い仕事をしています。ただ、技術やネットは好きですね。早い時期からiPod touch用のサイトを作っていたし、TwitterやTumblrなど新しいサービスにはいち早く対応しています。ニュースをIT技術の力を借りてもっと面白くしたい。ブランド力がない分、そういうところで勝負するしかないんですよね。

 ニュースが売れて、希望が見え始めました。見えてくると、今は給料がなくても「この後はもっとよくなる」と思えてくる。受託仕事をやめることはできなかったし今もやっていますが、自分たちにとってメインの事業であるナタリーでお金が入ってきて、やっとやりたかったこととお金が結びついてきました。モバゲー、GREEなどへのニュースの二次配信が進んで媒体の認知度が上がり、広告も少しずつ入ってくるようになったのです。

 オープンして約1年、会社設立から2年でやっとナタリーが軌道に乗り、財務体質が改善しました。今は月に1200本の記事をすべて内部のスタッフで書いています。

 社内にエンジニアもデザイナーもいるので、フットワークは軽いです。常勤スタッフは現在21名おり、PVはコミックナタリー、お笑いナタリーもあわせて月1000万に上ります。現状、モバイルとPCのアクセスは半々。どちらも伸びていますが、とくにモバイルはプロモーションもしないのに順調に増えていますね。

 「スタッフはライターだけじゃなく、エンジニアもデザイナーも音楽や漫画、お笑いが好きな人にしよう」というポリシーがあるんですよ。いくら仕事ができても、対象に愛がない人はこんな泥臭い仕事はやっていられないと思うんです(笑)。好きではない人には「こういう機能がほしい」と言っても伝わりづらいし、シンパシーを感じてもらいにくいと思いますしね。

コミックナタリー、お笑いナタリー

 ベンチャーキャピタル(VC)の資本提供は受けていません。会社設立当初は、VCに散々屈辱的なことを言われましたね。成長プランを見せたら「売上の桁が1つ少ないんじゃないの?」とか、うちのサイトを見て「手作り感あふれるサービスでいいね(笑)」とか。ただ、あるVCの担当者に「成長戦略はどうなの。音楽メディアには限界あるよね」と言われて、そこは確かにうなづける部分でもあったんです。

 それが頭にあって、別のナタリーを作ろうと考えるようになりました。ただ、ナタリーのシステムやノウハウはあるものの、音楽畑スタートのメディアなのでいきなり違う分野には動きづらい。そこで、別ジャンルに詳しい人を呼んでやってもらうことにしました。

 以前から友人だった唐木元を編集長に呼んで始めたのが、漫画のニュースを扱う「コミックナタリー」です。漫画のニュースサイトがなかったためと、自分でもこんなサイトがあったら便利だろうと思っていたからです。これも、開始後しばらくして次第にアクセスが伸び、オープンから半年で300万PV近い規模になりました。

 今年8月には、やはり友人の遠藤敏文に編集長になってもらってお笑いニュースサイト「お笑いナタリー」も始めました。これも、お笑いの話題を所属事務所の枠を超えて伝えるニュースサイトがなかったからです。また、ニュースが芸人さん主体なので、ナタリーのアーティスト登録システムと親和性が高いと感じたためでもあります。

コミックナタリーお笑いナタリー

 2つのジャンルで新しいナタリーをやってみて、思った以上に音楽のナタリーとは違う個性が出てきたように感じています。それぞれのサイトの読者はあまりかぶっていませんが、ナタリーならではの記事の切り口はあると思うし、今まさに新しいものを作っている実感がある。

ポップカルチャーの通信社を目指す

 ナタリーのニュースがきっかけになって、CDを買う枚数が増えたり、ライブに行く回数が増えたりするといいなと思うんです。たとえば、コミックナタリーを読んで、それまで知らなかった漫画を買ってみたり、お笑いナタリーの影響でお笑いのライブに足を運ぶようになったり。僕らが情報を伝えることで誰かがどこかで新しいものに触れてくれたらいい。

 僕らは「あの雑誌・メディアにこういうものが載っている」という記事も配信したりしています。既存の媒体と競合するつもりはなくて、それぞれが盛り上がっていくためのハブ的な存在になれればいいなと思っています。出版社というより、“ポップカルチャーの通信社”になりたい。

 じょじょに、最初に思い描いていたようなメディアの形ができてきました。ただ、相変わらずお金はあまりついてこなくて、スタッフの給料と事務所の家賃を払うので精一杯ですね。たまに、「非営利的なスタンスでやっているのですか」と言われますが、単にうまくいっていないだけです。「儲けたい!」と強く言いたい(笑)。

 儲けたいのですが、どれだけお金を積まれてもやらないことはあります。VCからの資本提供を受けていないのも、メディアとしての方針に口を出されるのが嫌だからです。やりたいことがやりたいし、やりたくないことはやりたくないんです。

「キモい」は誉め言葉

詳しすぎてキモい、と読者から言われたことも。「“キモい”という形容詞がついたメディアはあまり聞かないし、それがナタリーの独自性につながっているんじゃないか」という

 僕らは、アーティスト、漫画家、芸人を尊敬しています。だから、彼らが嫌がることやゴシップなどは載せたくない。以前、岡村靖幸の覚醒剤初公判を報じたのですが、扱いは「容疑者」ではなくあくまで「アーティスト」としてリスペクトを持って報じました。

 僕らはクリエイターたちからたくさんのものをもらっているので、犯罪を犯したからといって手のひらを返すような報道はしたくないんです。

 スタンスといえば、最近、僕が「他のメディアがナタリーの記事をパクっている」とブログに書いたのが、思ったより話題になってしまいました(笑)。他企業を名指しでDISった自分も大人げないとは思いますが、それでも越えてはいけない一線があると思うんです。著作権ではなく倫理の問題だし、志の話です。うちのライターが一生懸命書いている記事を簡単にパクられるのは、許せないんですよね。

 人として下品なことはしたくないんです。そのせいで儲からないかもしれませんが、下品なことをするくらいなら貧乏してもいい。下品かどうかはナタリー基準ですが(笑)。 

 読者から、「記事が詳しすぎてキモい」と言われたりしますね。実際に僕らが音楽やマンガやお笑いが大好きでやっているので、ファンならではの視点がついつい記事に入ってしまうんでしょうね。でも、「キモい」は僕的には誉め言葉かな(笑)。「キモい」という形容詞がついたメディアはあまり聞かないし、それがナタリーの独自性につながっているんじゃないかと思っています(笑)。

 今後は、もう既にみんながやっているジャンルに飛び込んでいって、新ナタリーを始める可能性もあります。これまではコミック、お笑いのように既存の専門ニュースメディアがインターネット上にないジャンルのナタリーを作ってきました。

 音楽のナタリー、コミックナタリー、お笑いナタリーと3媒体を創刊して運営してきた中で、映画とかゲームとか競合のある確立されたジャンルでも、ナタリーの方法論とブランドでやれば色が出るという自信がついたんです。だから、隙間だけをねらわなくてもいいかなと。いい形でやっている先輩はいても、ナタリーならではの存在感は出せると思うんですよね。

(おわり)


関連情報

2009/9/29 11:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。