「阪急梅田駅で泣いていた少年」 恩師・土井指導棋士七段が語る豊島将之新名人の原点

スポーツ報知
名人獲得から一夜が明けて晴れやかな表情を浮かべる豊島将之名人

 将棋の第77期名人戦7番勝負が17日に閉幕し、豊島将之新名人(29)=王位、棋聖=が誕生した。3連覇中だった佐藤天彦前名人(31)に挑戦し、4勝0敗と圧倒。平成生まれ初の棋士が平成生まれ初の名人、そして令和初の名人となった。史上9人目の3冠にも輝いた男の原点とは―。恩師の土井春左右(はるぞう)指導棋士七段(83)に聞いた。

 本当に昨日のことのように覚えています。豊島君と初めて会った日のこと。私が指導を担当していた関西将棋会館の道場に見学に来た時、彼は5歳でした。豊島君は体が小さかったので、もっと下かと思いました。

 会った日から普通の子ではなかった。数百人の子供たちに教えて来ましたけど、豊島君のような子と出会ったことはありません。将棋が強かった、という意味ではないです。普通の子が持っていない何かを、豊島君は持っていました。

 最初の日、お母さんに「この子に将棋の対局を見せてあげていただけませんか?」とお願いされたので「もちろん大丈夫ですよ」とお答えしましたけど、正直に言うと5分もすれば帰るだろうと思っていました。普通、5歳の子は人の将棋を長く見ていられるものではありませんから。

 1時間くらい他の指導をした後、アルバイトさんに「さっきの子、もう帰ったよね?」と聞いたら「それが…まだいるんですよ」って。驚いて見に行くと、豊島君は有段者同士の将棋をずっと立って横から見ていました。あの小さな体で。

 どんな将棋を指すのかな、と興味を持ったので指してもらいました。ルールを覚え立ての初心者でしたけど、指し手にはもう一貫性があった。向いている子、強くなる子だと思って、お母さんに「もしよろしかったら通わせてみませんか?」とお誘いして、週2回の子供スクールに通ってもらうようになりました。

 6枚落ち(上位者が飛角桂香を落とすハンデ)の端攻め定跡から始めて、教えたことを次には必ず身に付けてくる子でした。手合(対局)を待つ時間が5分あれば将棋の雑誌や本を読み込んでいた。他の子とは将棋への思いが違いました。

 10級から9級に昇級する時でした。あと1局、2枚落ち(上位者が飛角を落とすハンデ)で勝てば上がる規定でしたけど、ちょうど良い棋力の相手がいなかったので6枚落ちにしたら、当然のように勝った。9級の認定証を渡そうとすると、豊島君は「先生、僕は6枚落ちで勝っただけなので9級には上がれません」と受け取りませんでした。

 ある時、タイトル戦の大盤解説会を道場で開催して「次の一手問題」(棋士の指し手を予想し、的中すると賞品などがもらえるサービス)をしたんです。難しい手だったので正解者が1人も出ず、抽選で賞品をプレゼントすることになりました。すると、偶然にも豊島君が当選者になったのですが、彼は「僕は正解できませんでした。もらう資格はありません」と言って聞かなかった。代わりにお母さんに贈られました。

 奨励会に9歳で入った時、史上最年少と話題になってNHKが取材に来たんです。重荷になってしまったのか、初日の例会(対局日)は3連敗。その後、1勝9敗でいきなり降級しそうになって、豊島君は帰りの阪急梅田駅で立ち尽くして泣いてしまった。人前で泣くような子じゃないのに。後でお母さんから聞きました。体も小さいから駅員さんが迷子かと心配して「どうしたの? おうちはどこ?」と聞いたら、あわてて電車に跳び乗ったようですけど…。

 奨励会時代、私がなんとなく「例会の結果は連絡して下さいね」とお願いした約束を彼は守ってくれて「先生、2勝1敗でした」「3連勝で昇段しました」という電話が四段(棋士)になるまで続きました。あ、名人になった翌朝も電話をくれましたよ。「名人になることが出来ました」と。

 棋聖、王位と防衛戦が始まります。渡辺明さんに勝って棋聖防衛、さらに王位も…となったら一気に豊島君の時代になっていってもおかしくないと思います。

 尋ねたことに誠実に答えることは記者さんならお分かりかと思います。ただ、自分から進んで自分について話すような性格ではありません。名人にも、いろんな名人の在り方があります。豊島君には、ただひたすら将棋に勝つことで自分を表現するような名人になってほしいと思っています。(構成・北野 新太)

 

 〇…豊島名人は6月4日開幕の棋聖戦5番勝負で挑戦者に渡辺明2冠(35)=棋王、王将=を迎える。昨年度、勝率8割と無双状態だった第一人者。対戦成績でも5勝12敗の苦戦しているだけに「防衛というより挑んでいく気持ち」と決意。7月開幕の王位戦7番勝負は挑戦者未決定だが、羽生善治九段(48)ら実力者ばかり4人が残る。3冠堅持か後退か。真価を問われる夏になる。

 ◆豊島 将之(とよしま・まさゆき)1990年4月30日、愛知県一宮市生まれ。29歳。桐山清澄九段門下。4歳で将棋を始め、5歳で大阪府豊中市に転居。99年、奨励会入会。07年、四段昇段。平成生まれ初の棋士に。10年度の王将戦からタイトルに4度挑戦するも届かず。14年、電王戦でコンピュータソフトに完勝。18年、棋聖と王位を連続奪取。最近の愛読書は、人類の進化を追ったベストセラー「サピエンス全史」シリーズ。

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