衝撃の結末…!17年間逃亡を続けた猟奇殺人犯がコロナ禍に劇的逮捕された「全真相」

国境を越えて…警視庁捜査一課事件簿③

2020年9月24日、コロナ禍の最中、一人の男が「再逮捕」された。男の名は紙谷惣(46)。2003年に東京都奥多摩町の山中で男性の切断遺体が見つかった猟奇殺人事件の容疑者だったが、事件直後から南アフリカ共和国に逃げ、殺人容疑で国際手配されていた。

17年にわたる国外逃亡の裏で繰り広げられていた、警視庁捜査第一課との度重なる「駆け引き」。日本警察の面子を掛けた国際捜査の全貌を、当時事件を担当した警視庁捜査第一課元刑事、原雄一が明かす――。

著者の捜査チームが国際捜査の際に付けていたバッチ
 

交渉のテーブル

O・R・タンボ国際空港に到着したのは12月12日朝だった。ムッとする暑さと独特の臭いのする空気に包まれた空港は、朝からたくさんの人で混雑していた。長旅の疲れもあり、私たちは汗だくになって雑踏をかき分け、在南アフリカ日本国大使館職員と落ち合うと、アーリーチェックインのため、首都プレトリアのホリデイ・インに向かった。車中から見える街並みは雑然としたもので、道路端で散髪している光景に、「あれは床屋ですから」と大使館員が説明した。

続いて大使館員は、「夜間、一人で外出することは危険です。東洋人は強盗のターゲットになりますから、必ず団体で行動してください」と付け加えた。

私たちは、夜間、出歩くほど余裕のある日程で渡航したわけではない。大使館員の忠告は、有り難く聞き流していた。

ホテルにチェックインすると、早速、日本国大使館を表敬訪問し、午後から大使館の会議室を借りて、南アフリカ法務省と国家警察の各幹部と協議に入った。

まず、日本側から、事件概要の説明と不法滞在状態にある逃亡被疑者2名の国外退去強制をリクエストした。要するに、「南アフリカ国内で不法滞在している日本人被疑者2名を南アフリカから追放してくれ」ということである。

それに対する法務省幹部の回答は、「ノー」だった。

そして、幹部は、「今回の要請は、非常に重要な案件と理解した。ただし、逃亡被疑者2名を国外に退去強制することはできない。死刑が科される可能性がある殺人罪で手配されている日本人を国外に退去させることはできない」と、いかに不法滞在であろうと、死刑廃止国としては、死刑の可能性のある手配犯を国外に退去させることはできないと説いた。

その上で、「唯一の選択肢は、身柄引渡し要請である。日本とわが国は身柄引渡しの条約を締結していないから、大統領の同意が必要になる。日本の法務省からわが国の法務省に対し、身柄引渡しを要請していただきたい。その要請に基づき証拠を精査して、引渡し可能と決定すれば、逮捕状をもって日本人2名の身柄を拘束する。死刑になりうる犯罪の被疑者を引き渡すには、死刑を科さないという保証と死刑判決が出ても執行しないという保証が必要である。それも、総理大臣の保証である」などと淡々と話し続けた。

“総理大臣から保証を取るには、どんな手続きが必要なんだよ”
“警察庁長官に決裁に行ってもらわなければならないのか”
“総理大臣と言っていたけど、はったりではないのか”

私たちが、顔を見合わせて返事しあぐねていると、それを察知したのか、法務省幹部が、「日本の法務省の保証でも……、まあいいかな」と大幅に折れてくれた。

私たちは、一瞬呆気にとられたが、それならばと、間髪を入れずに代替案を示した。

「(1)検察官が死刑を求刑しない誓約、(2)検察官が死刑を求刑しなかった場合、裁判官が死刑判決をした例がないことを示す書面、(3)近年、死刑判決が出た事件のリストを提供する」

すると、法務省幹部は「それで十分である」と即座に回答してくれた。

さらに、幹部は、「過去、二国間条約のない国から殺人被疑者の身柄引渡しの要請を受けた際の関係書類の写しを提供するので、まずはそれを参考にしてドラフトを作成して送付していただきたい。また、日本の法務省の担当者も紹介して欲しい。正式に身柄引渡しが受理されれば、60日以内に日本人被疑者2名を拘束する」と前向きな回答に変わってきた。

私たちは、南アフリカ法務省から身柄引渡しに関する参考資料の提供を受け、帰国後、日本の法務省のコンタクトポイントを連絡する旨を快諾した。

取り敢えずは南アフリカ側の前向きな回答を得て、初日の交渉は成功裡に終了することができたものの、予想以上に身柄引渡しのハードルが高いことを実感した。それと同時に、「この法務省幹部の話は、本当に信じていいのだろうか」と、やや疑念を抱いたのも事実だった。

その夜は、国家警察の幹部とディナーを取りながら、南アフリカ国内の犯罪や警察の実態について情報を交換して、信頼関係の構築に傾注した。

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