2019.06.09
# 学校・教育

私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々

ある大学教授の告白

国立大の教員が私立に移るケースが増えている

私事で恐縮なのだが、私河野はこの新年度に、昨年度まで勤めた一橋大学大学院経営管理研究科(旧商学研究科)を退職し、専修大学法学部に着任した。

大学教員がキャリアの間に何度か大学を移ることは珍しいことではない。だが、私の今回の移籍のニュースを聞いた知人の中には「なんで?」という反応をする人もいた。

そう反応した人の言いたいことはなんとなく分かる。つまり、言いにくいことをはっきり言えば、一橋大学といえば研究者が望みうる最高の所属先のひとつであり、なぜわざわざ中堅どころの私学に移籍するのか、と考えたのだろう。これから私が勤める専修大学に対してとても失礼な話だが。

一橋大学の兼松講堂〔PHOTO〕Wikimedia Commons・wiiii氏撮影

しかし、そのように考えるのも無理はないかもしれない。というのも、私の今回のような移籍は、確かに一昔前であればあまりないことだった。

かつて、国立大学から私立大学に移るケースと言えば、国立を退職した教員、もしくは退職直前の高齢の教員が、国立よりも定年が遅い私学に移って、キャリアの最後を過ごす、というのが大勢だったし、今でもある程度はそうしたケースがある。一方で、40代半ばの働き盛りとも言うべき年齢の人間(私は今44歳だ)が同じ異動をするのは、かつてであれば珍しいことだっただろう。

しかし現在においては、私の例はかなり典型的で一般的な現象の一部なのだ。私の直接知る範囲でも、一橋だけではなく東大や東京外国語大学といった国立大から都内の中堅私大(中堅、という言葉が何を意味するにせよ)への異動が多く起きている。今年度、一橋から私大へと「流出」した若手〜中堅の教員は私だけではない。そしてそれは、国立大学と、さらに広く大学一般や学問が直面している危機をよく表している。

 

本稿では、国立大学から私立大学へと移籍した私の体験から出発しつつ、その私個人の体験がここ30年ほどの大学の変化の表現となっていることを示したい。私の異動など非常にローカルな話に聞こえるかもしれない。しかし、これは大学と学問研究一般の危機の問題に、ひいてはこの国の高等教育がどこに向かうのかという由々しき問題につながっている。

この後、具体的に一橋大学の状況を述べ、批判的な視点を提示する。だが、私は一橋とそこで今も働いている人たちを断罪したいわけではない。問題は歴史的かつ構造的であり、一橋大学だけに当てはまるものではないのだ。

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