ジャニーズはなぜ肖像権を囲い込むのか
矢野 柴さんは、今のジャニーズについてどう思いますか?
柴 僕のスタンスから明確に言えるのは、マネージメント事務所が肖像権や著作権を守ることは当然ですが、インターネットにオフィシャルな形で写真や音源や動画を公開しないのは時代にそぐわないし、日本の「エンターテイメントの基準」を壊している存在だとすら思っています。
ジャニーズだけの問題ではないですよね。たとえば、出版社がdマガジンに雑誌の表紙を白抜きで出さなければいけない。あるいは、Amazonや楽天のようなEC事業者がシルエットでものを売らなければいけない。これは日本のエンターテイメントの産業構造そのものを歪めていると思います。
シンプルな言い方をすると、いち企業、いち事務所の方針だけで、それを歪めるのは本当によくない。
ただ一方で、ジャニーズがコンテンツとして持っている強さ、持っている世界観や楽曲の面白さ、スターの育成方法にはものすごい可能性を感じてもいます。
それは国内だけでなく、アジア各国、ヨーロッパ、アメリカにも進出しうるポテンシャルを持っている。けれども、その機会をみすみす逃している。もっといける。そういうことも思います。
矢野 面白いことをやっているのに、制限を過剰にかけているからもったいないな、と。
柴 そうですね。
矢野 ほぼ同感ですし、特に肖像権に関する部分はちょっと異様な気がしています。『ジャニーズと日本』では、肖像権を強固に囲い込むのは、ジャニーズがそもそもファンを非日常の異世界に行って楽しませるからだ、という見方をしています。
ジャニー喜多川はカリフォルニアのロサンゼルス出身、日系二世のアメリカ人として生まれました。その出自となるカリフォルニアは、そもそも砂漠を開拓するところから始まった土地です。そういう西海岸の気風、カリフォルニアのエンターテイメントにジャニー喜多川は魅了されています。
たとえば、ウォルト・ディズニーが砂漠の中にディズニーランドをつくったように、彼らのエンターテイメントのあり方は日常とのつながりを全て断ち切って、外の世界と関わらないユートピアをつくることにある。そういうあり方をこじらせて、ジャニーズのタレントもネット上には出てこないわけです。
その非日常を表現する姿勢は、現代においては覚悟がいることであって、稀有でいいものだと思うんです。この裏表の感じが、自分としては評価のしづらいところでもある。肖像権云々の囲い込みに関しては批判すべきだと思いますけど、ジャニーズの歴史から見れば「ジャニーズらしさ」を支える要因にもなっている。
柴 今、お話を聞いていても思いましたが、やはり『ジャニーズと日本』のポイントは、ジャニーズが戦後それぞれの時代の、それぞれのアメリカに憧れ、体現していると捉えたことですね。
ブルース、ジャズ、ミンストレル・ショー、ヒップホップ、ディスコ……彼らの音楽を追っていくと、「グッドオールド・アメリカ」ではなく、「トレンド・アメリカ」をちゃんと翻案して体現しているという。
つまり、ジャニー喜多川はもともとアメリカ人であり、アメリカの民主主義を日本に持ち込んでいるという根本からジャニーズを捉えているところが、他のジャニーズ論とは一線を画するものだと思っています。
矢野 ジャニーズを挟むと、日本とアメリカにおける音楽の関係性が、急にねじれていくところがあるんですよね。そもそも、アメリカで流行っている音楽を日本に取り入れるとき、ふつうは言葉を翻訳したり、日本人向けにメロディーをアレンジしたりするのだけれど、ジャニーズはそれをやっているのか、やっていないのか、わからなくなるんです。そこは個別に検証すべきだと思いますが、立ち位置が捉えにくいといいますか。
柴 少なくともジャニーズのエンターテイメントが、日本をアメリカ化する営みの中で戦後50年続いてきたのは疑いようのないことに思います。
<第二回「国民的スター星野源とジャニーズ、対照的だからこそ圧倒的支持を得た」はこちら>