三味線橋

三味線堀探訪に乗じて、東京近郊に「三味線」の名がつく場所が他にないかと探したところ、中野に「三味線橋」という橋があるというので行ってみた。JR中野駅の南口ロータリーから中野五差路交差点まで歩き、少し超えたところを左に入ると暗渠化された桃園川の上が遊歩道になっている。遊歩道のところどころに橋の欄干が残っていて、確かにここが暗渠であると確かめながら足を進める。まずは橋場橋を通ると右手に新渡戸記念中野総合病院が見えてくる。この病院は旧五千円紙幣の肖像になっている新渡戸稲造氏と賀川豊彦氏らの主唱によって創設された病院だそうだ。さらに歩みを進めると、北ハタ(火へんに畠)橋、上宮橋に続いて、御伊勢橋。ぐっと粋な名前の橋が登場した。箱堰橋(はこせきばし)、上町橋(かみちょうばし)。そして紅葉山公園下交差点から来る鎌倉街道と交差するところにかかっているのが、目標の三味線橋だ。車や自転車の往来が頻繁で、殆どの人は無関心で橋の部分を通っていく。もう少し暗渠沿いに歩くと、タイルで制作されている中野区による「三味線橋の由来」が道端にはめ込まれていた。「三味線橋は、江戸時代中ごろから盛んになった新井薬師参詣のための「薬師みち」にかけられた橋として、村人はもとより近在の人々に頻繁に利用されました。橋の名前は、このあたりを通るといつも近くの家で弾く三味線の音が聞こえてきたからだと言われています。」と解説されている。鍋屋横丁から新井薬師を目指す参詣道であるこの鎌倉街道沿いには、茶屋でもあったのだろうか。それとも近くに五目のお師匠さんでも住んでいたのだろうか。三味線橋の名前が付くくらいだから、参詣する人たちをよほどに魅了したのだろう。