作詞家の秋元康(C)朝日新聞社
作詞家の秋元康(C)朝日新聞社

 6月20日、ネットニュースにこんな見出しが躍った。

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「秋元康の『すごい』黒歴史を告白」

 何かと思えば、タレントのYOUがラジオ「TOKYO SPEAKEASY」(6月9日放送・TOKYO FM)でこんな発言をしたという。

「私、間違って19歳ぐらいのときに1回デビューしているんだけど、なんと『坂系の長』に(歌詞を)書いてもらったの。でも、全然売れなかった……。長のすごい『黒歴史』。このことは隠しておきたいことだったと思う。だって、まったく『汚点ゼロ』な感じでやっているじゃん? あとで長に怒られる(笑)」

 坂系の長、とは、乃木坂46などのプロデューサー・秋元康のことだ。そして、若き日の彼女が書いてもらったのは「ちょっとだけ」(1985年2月21日発売)という曲。彼女がアイドル「江原由希子」として歌手デビューを飾った記念すべきシングルのA面である。

 ただ、個人的に意外だったのは、YOUが自分からこの話をしたことだ。というのも、彼女は88年結成のバンド「FAIRCHILD」のボーカルとしてブレークを果たしたが、それ以前のアイドル時代については「なかったこと」のようにしてきた。つまり、これはむしろ彼女にとっての黒歴史なのだ。

 では、秋元にとってどうかといえば、それほどの黒歴史でもないだろう。なぜなら、どんなに優秀な職業作家であってもヒット曲を生む率は、野球の好打者より低い。せいぜい、1~2割というところだ。その点、彼は82年に「ドラマティック・レイン」(稲垣潤一)83年に「GOOD-BYE青春」(長渕剛)を大ヒットさせ、84年からは菊池桃子やとんねるずでも当てていた。

 しかも「ちょっとだけ」の発売から6日後に発売された「卒業-GRADUATION-」では、菊池桃子に初のオリコン1位を取らせている。また「ちょっとだけ」の発売2日後には スタッフとして関わった「オールナイトフジ女子高生スペシャル」(フジテレビ系)が放送された。これは85年4月にスタートする「夕やけニャンニャン」のパイロット版であり、そこからオリコン1位は当たり前というおニャン子クラブが誕生するわけだ。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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「アニメの曲とかどうかと言われ、もうヤダ、耐えられない」