広島の栄光を支えた北別府学はスライダーで相手打者を翻弄した(c)朝日新聞社
広島の栄光を支えた北別府学はスライダーで相手打者を翻弄した(c)朝日新聞社

 昨季、日本最速の165キロを記録した大谷翔平を筆頭に、近年は150キロ超の速球を武器とする投手は珍しくなくなったが、投手の武器はそれだけではない。スピードはなくとも、多彩な変化球や絶妙な制球力など、いわゆる投球術で勝負する投手は、見ていて楽しいものだ。今回は力と力の真っ向勝負だけではない、ある意味、野球の醍醐味を感じさせる投球術を駆使した歴代の投手を振り返る。

 戦前の職業野球の時代、大阪タイガースには「七色の変化球」を投げると言われた若林忠志がいた。若林は日本で初めてナックルを投げた投手とも言われている。阪神でその系統を受け継いだのが渡辺省三。1952年にプロ入りした渡辺は、抜群の制球力と打者心理を読んだ投球術に秀でており、参考記録ながら9回を70球で無失点に抑え、9回完投時の最少投球の日本記録を更新した。

 その渡辺に影響を受けたと言われているのが、「投げる精密機械」と呼ばれ、NPB歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明(阪神など)だ。無四球試合の通算73試合は歴代2位の記録で、バックを守った吉田義男に「針の穴を通すコントロール」と言わせた。「精密機械」と言えば、70年代後半から80年代に黄金時代を築いた広島カープのエースだった北別府学の名前も思い浮かぶ。内外角に「ボール半個分出し入れする」スライダーを武器に、球団初の200勝投手となった。

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