跡津川断層は,安政飛越地震(1858年)の震源断層とされ,地震に伴って同断層の東端付近で地震断層が出現したとする考えがある.筆者らは断層の東端付近の真川流域において,「真川露頭」の斜面上方で,新たに断層露頭を見い出した.断層面の傾斜は,斜面上方へほぼ鉛直から北西側に向かって緩傾斜となる.露頭と周辺地形を観察した結果,(1)この傾斜した断層面の一部を利用して真川側へ滑動する地すべりが存在すること,(2)この地すべりの頭部には断続的な地すべり運動に伴って形成された開口亀裂を埋積する堆積層が複数認められ,いずれも断層に切られていないことが判明した.これらの堆積層のうち,もっとも新しい腐植土層の14C年代値は1,040±70yrsBP(AMS)である.これは,少なくとも安政飛越地震(1858年)の際に,跡津川断層東端付近において地震断層が出現しなかったことを示す.