仏教弾圧への暴動「大浜騒動」 愛知・西尾で企画展 31日まで

柏樹利弘
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 愛知県三河地方で150年ほど前、「大浜騒動」と呼ばれる暴動事件が起きた。近代化を推し進める明治新政府のもと、地元の役所が寺院の統廃合を発令。反発した浄土真宗の門徒らが集まり、役人を殺害する事態に発展した。歴史の転換期に起きた事件を多彩な史料によって問い直す企画展が、西尾市の博物館で開催中だ。

 西尾市岩瀬文庫で開かれている企画展は「三河大浜騒動150年~近代化の光と影~」。展示室には、当時の社会状況を伝える史料や騒動の経緯を描いた絵巻物、門徒が使ったと伝わる竹やりなどが並ぶ。騒動を主導したとされる蓮泉寺(安城市)の僧侶石川台嶺(たいれい)が処刑された際に着ていたという装束もあり、血の痕や刀の傷が生々しく残る。

 大浜騒動は1871(明治4)年に起きた。きっかけは明治政府の宗教政策にある。神道を国教化する神仏分離の方針は、寺を破壊したり仏像を焼却したりすることで仏教を排斥する「廃仏毀釈(きしゃく)」の動きに発展していた。そのなかで、西三河の一部を飛び地支配する菊間藩(現千葉県)が、寺院の統廃合と神道儀礼の強要を発令した。

 西三河に多い真宗寺院の僧侶や門徒らにとって、受け入れられるものではなかった。3月9日、29歳の台嶺らは藩の大浜出張所(現碧南市)の役人と交渉するため、現地に向かう。一説によると、約3千人の門徒が集まってきたという。

 交渉が難航するなか、群衆が会談場所の庄屋宅を襲撃。下級役人(当時20)1人が殺害された。翌10日に群衆は鎮圧され、関係者が逮捕された。台嶺と門徒1人が処刑された。

 企画をまとめた文庫長の林知左子さん(53)によると、大浜騒動は「政府の弾圧による殉教」、「近代化に取り残された民衆の暴動」という両極の評価をされてきた。「ステレオタイプな決めつけではなく、何があったのかていねいにたどり直そうと思った」

 廃仏毀釈の打撃を受けた寺院側の状況だけではなく、新政府の政策実現に力を尽くす役人の視点や、藩側に立った僧侶の苦悩などを、当時の日誌や手紙などからたどった。

 林さんは企画展に向け、関係者の子孫らに会い、話を聞いた。殺害された役人の子孫は「先祖が亡くなったことで台嶺らが弾圧された」と複雑な心境を打ち明け、処刑された門徒の子孫は、展示に氏名を明記することを断ったという。

 林さんは「関係者にとって大浜騒動は風化していない。歴史の大きなうねりの中で、自分だったらどう行動したかを展示を通して考えてもらえたら」と話した。

 展示は31日まで(月曜休館)。入場無料。(柏樹利弘)

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