3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪急はシリーズ情報本部を立ち上げ
今回は『1972年10月2日号』。定価は100円。
セが巨人、パが阪急で、ほぼ決まったペナントレースの行方。日本シリーズに向け、早くも互いのスパイ合戦が始まっていた。
特に熱心なのは、幾度となく苦汁をなめている阪急だ。この球団は、球団代表の渓間秀典が元航空隊の情報将校とあって、もともと情報収集に熱心。シリーズ情報本部(正式名称かは謎)を立ち上げ、8ミリカメラ、秘密兵器のテレカ(と書いてあったが、テレビカメラか)なども駆使し、巨人の情報を収集していた。
スパイ合戦というと捕手のサイン盗みがある。
阪急は、それをかなりやっていた言われる球団で、もちろんウワサの範囲の情報だが、西宮球場ではスコアボードから望遠鏡でのぞいている者がいて、電話で捕手のサインをベンチに伝え、ベンチの控えが「カーブ」「
シュート」と叫ぶ、外野席で赤、黄、緑のようなカラーシャツを着た人間が立ったりしてサインを伝えていた、という。
これらはバッターから「1球1球面倒くさくて、打席に集中できない」となって立ち消えになったようだが、ほかにも
スペンサーというサイン、クセ盗みの天才が三塁コーチに立って打者に指示を送ることもあった。
巨人の捕手・森昌彦が日本シリーズの前に南海・
野村克也の家まで行き、パの情報を根掘り葉掘り聞いたのは有名だが、阪急ではスペンサーがセの外国人から、
上田利治コーチが古巣の
広島から、
本屋敷錦吾コーチが、これも古巣の
阪神から情報収集をしていた。
一方の巨人には
小松俊広という伝説的な先乗りスコアラーがいて、相手のクセの研究はかなり徹底してやった。キャッチャーのサインまではやっていなかったようだが、三塁コーチやベンチのサインの研究は当然していただろう。
断っておくが、外野からの組織立った捕手のサインの覗き以外については、当時であれば「プロの凄み」となる。
小松は、
「投手なら最低4試合、打者なら40打席以上見ないと正確な資料はつくれません」
と話すが、逆に、それだけ見れば大丈夫という自信からの言葉でもあろう。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM