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検索結果 547 件

  • 明治初期に日本の地方自治制度を建議したカール・ルードルフの研究

    眞鍋, 貞樹, Manabe, Sadaki 拓殖大学政治行政研究 14 19-35, 2023-03-10

    ...それは,ルードルフのみならず当時のプロイセンのエリートに見られる価値である。彼らの自治の思想は,騎士団的あるいはユンカー的な「自治の精神」の発露であった。彼らはプロイセンの東方へ移住していった先で農村地区を経営し,マックス・ヴェーバーが指摘したように,プロイセンにおける裕福な農民資本主義の先駆けだった。明治初期に日本がプロイセンから学ぼうとしていたのは,この「自治の精神」だったのである。...

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  • 教員養成に関する国際交流研究 ―フランスとドイツ(プロイセン)の事例―

    尾上 雅信, 小林 万里子 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 182 59-73, 2023-02-24

    ...本稿では,教員養成の思想,具体的には教育方法をめぐる「ペスタロッチ主義」と「ヘルバルト主義」と制度,すなわち「師範学校」という教員養成のための専門養成機関が,ヨーロッパ諸国および日本にどのように受容されたか,具体的な検証を行なう作業の一環として,師範学校にかかわる事例としてフランス七月王政期の,いわゆる「クーザン報告」を,そして思想の事例としてはドイツ(プロイセン)本国における「ヘルバルト主義」について...

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  • ドイツにおける教育の本質:

    池田 真利子 日本地理学会発表要旨集 2023a (0), 59-, 2023

    ...兄の言語学者でありプロイセンの内相・教育相であったヴィルヘルム・フォン・フンボルトとは異なる道を歩み,また博物館学者でもあったフンボルトは,数年におよぶ調査旅行を経て,動物学や鉱物学,生理学,化学,民俗学,人口学,様々なディシプリンの研究者・専門家らと交流し,独自の科学ネットワークを構築した人物としても知られる。そのなかには,画家やレタリングアーティストも含まれていた。...

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  • ブックス

    森林科学 95 (0), 44-46, 2022-06-01

    ...p><p>上原巌・高山範理・竹内啓恵 著、全国林業改良普及協会、2022年2月1日、293ページ、価格1,452円(税込)、ISBN: 987-4-88138-428-2</p><p>林業遺産 保全と活用に向けて</p><p>柴崎茂光・八巻一成 編、東京大学出版会、2022年2月15日、288ページ、価格6,930円(税込)、ISBN: 978-4-13-076031-7</p><p>農場と森林のプロイセン...

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  • 連邦国家における邦(ラント)の外交権

    大西 楠テア 年報政治学 73 (2), 2_42-2_59, 2022

    <p> 北ドイツ連邦およびドイツ帝国において、外交権は連邦に一元化されず、部分的に邦の外交権が留保された。これはアメリカ合衆国やスイスが邦の外交活動を禁じたのと対照的である。</p><p> 北ドイツ連邦憲法の成立過程においては、可能な限り邦の主権を維持する形式での統一が目指され、邦が外交使節を派遣し、接受する権限は廃止されなかった。そのため、北ドイツ連邦およびドイツ帝国においては連邦と邦の複線的…

    DOI Web Site 参考文献4件

  • 「教職実習年」に携わる国民学校教員に向けた教育アカデミー主催の研修会

    藤井 利紀 名古屋高等教育研究 21 207-226, 2021-03

    ...本稿の目的は、ヴァイマル期ドイツのプロイセンにおける「教職実習年」に携わる国民学校教員に向けた教育アカデミー主催の研修会を俎上に載せて、研修会の内容を明らかにした上で、研修会参加者が教育アカデミーに対してどのような認識を持つようになったのかを検討することである。1931年以降の教育アカデミー卒業生は、「教職実習年」と呼ばれる学校実習に参加する必要があった。...

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  • 教員養成に関する比較発達史研究の試み(1)― フランスの事例を中心に ―

    尾上 雅信, 髙瀬 淳, 梶井 一暁, 小林 万里子, 平田 仁胤 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 176 1-7, 2021-02-24

    ...本稿では,教員養成の比較発達史研究の一環としてフランス第三共和政初期の初等教員養成にかかわる思想と制度に,同時期のドイツ(プロイセン)から如何なる影響関係が見られたか,個別事例的に検討した。その結果,第三共和政初期における教育改革のキー・パースンとなる人物を通して,ドイツを含む近隣諸国から試補教員制度が導入・実施されたことが確認された。...

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  • J. J. ライン著「東京から京都への旅」邦訳

    山田 直利, 矢島 道子 伊那谷自然史論集 20 (0), 11-20, 2019

    ...ドイツの地理学者,ヨハネス・ユストゥス・ライン(1835-1918)は,1873 年〜1875 年の2 年間,プロイセン王国政府からの委嘱により日本各地の工業・商業を調査したが,個人的興味から日本の地形・地質・植物・気象等の自然についても熱心に観察した.今回,数あるライン博士の日本旅行記のうち,1875 年夏季,東京を発って中山道沿いに武蔵,上野,信濃,美濃の国々を旅行したときの記録「東京から京都への...

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  • ドイツ語圏の世襲財産 : 比較史研究序説

    加藤 房雄 廣島大學經濟論叢 42 (1・2), 1-10, 2018-11-30

    ...[本稿は、平成29年度~平成32年度日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究(C)「一次資料に基づく世襲財産制の実証研究―プロイセン・ザクセン・南ドイツの比較地域史」(課題番号17K03842)による研究成果の一部である]。...

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  • 明治初期フランス地図測量技術の導入とその後

    細井 將右 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000091-, 2018

    ...明治10年代半ば、フランス式の迅速測図が関東地方で作成される中で、全国的な地形図作成には、三角測量が不可欠ということで、ドイツ、プロイセン陸地測量部の方式を採用した。...

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  • 和歌山藩の兵制改革とカール・ケッペン

    二橋, 依里子 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 45 119-134, 2017-03-01

    ...軍隊はプロイセン式に統一され、弾丸や軍服の製造が行われていた。このような和歌山藩の兵制改革は、後の明治陸軍に影響を与えたとされる。本稿では、特に最初のお雇い外国人カール・ケッペン(CarlJosephWilhelmKoppen一八三三〜一九〇七)と、和歌山藩において施行された徴兵制を中心に考察する。...

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  • クラクフの歴史と文化遺産

    飯島 康夫 聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University 29 (2), 15-30, 2017-03

    ...ドイツ騎士修道会,モスクワ公国,時代を経て,プロイセン,ロシア,オーストリアによるポーランド分割と国家の消滅,更には近現代ではナチズムと共産主義による弾圧と圧迫に苦しめられてきた。...

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  • マルチエージェントシミュレーションによる“モルトケの法則”の有効性検証

    礒部 大 経営情報学会 全国研究発表大会要旨集 2017f (0), 313-316, 2017

    ...しかし、19世紀プロイセンの軍人モルトケ(Helmuth Karl Bernhard Graf von Moltke)は、やる気のない有能な人物こそを組織にとって最上の人材とした(“モルトケの法則”)。本研究では、マルチエージェントシミュレーションを用いて、“モルトケの法則”の有効性を検証する。...

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  • 境界地の作家ポール・ジェラルディーとドイツ語詩

    三田 順 北里大学一般教育紀要 22 (0), 1-15, 2017

    ...現在ベルギー王国の公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語の三カ国語となっているが、今日ドイツ語圏となっている地域がベルギーに編入されたのは第一次世界大戦後のことで、ジェラルディーの生地マルディンゲンは当時プロイセン帝国領であった。...

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  • シュライアマハーの使徒信条理解 : プロイセン式文論争を中心に

    加納 和寛 基督教研究 78 (2), 93-108, 2016-12-14

    本論文では、式文論争に対するシュライアマハーの意見を、おもに後の使徒信条論争の観点から検討する。結果的に、シュライアマハーは世俗権力が礼拝式文改訂に介入することに反対したが、使徒信条を重視することに関してはフリードリヒ・ヴィルヘルム三世に賛意を示したと言える。式文を巡る激しい論争にも拘わらず、この過程を通じて使徒信条はプロテスタント教会の礼拝において最重要教理文書としての地位を獲得し、シュライア…

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  • ドイツと明治政府の記録管理 : レギストラトゥーアを伝えたお雇い外国人

    橋本 陽 レコード・マネジメント 68 (0), 46-62, 2015

    明治政府はドイツの記録管理制度について知見を得ていたと言われる。それが明治政府の記録管理に影響を与えていたと主張する研究者もいる。本稿の目的は、そのドイツの記録管理が何であるかを調べ、明治政府がそれを実際に採用したのかどうかを検討することにある。その中で、当時のドイツの記録管理はレギストラトゥーアというファイリング室が担っていたことを指摘し、そのレギストラトゥーアの仕組みをドイツの制度としてお雇…

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  • 近世ドイツにおける「紙の記念碑」 : ブランデンブルク・プロイセンのある軍人

    塚本, 栄美子 歴史学部論集 4 41-62, 2014-03-01

    宗教改革やその後の宗派化のプロセスを通じて、自身や家族のために追悼説教パンフレットを作成する慣習が、王や諸侯たちの間ばかりでなく、より階層の低い貴族や領主層、ブルジョワ階層や裕福な手工業者たちにも広がっていった。とりわけルター派地域に浸透するが、改革派やカトリックの人びとの間でも認められ、近世ならではの慣習として注目される。本稿では、わが国であまり紹介されてこなかった当該史料の具体例を検討し、そ…

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  • 「アウフクレールング」は「啓蒙」か?─「アウフクレールング」と「理性の公共的使用」─

    宮本, 敬子, Miyamoto, Keiko 現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 127 25-51, 2013-03-31

    ...「第二の啓蒙」は,出自こそ第一の啓蒙と同じだが,徐々に国民国家を形成する方向へ進展したプロイセンに特有の,端的には「官製の」ともいうべき啓蒙である.第二の啓蒙は,それまで聖職者が司っていた社会規範や教育を国家が主導すべく奪取した際に利用され,紀律的軍隊的規範の構築を助けるものとなった.第一の啓蒙は「世界」における正しさを探求し,第二の啓蒙は「国民国家」形成の足がかりとなった.この二つの啓蒙は18 世紀末...

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  • Eichendorff und das deutsche Nationaldenkma : Versuch einer Skizze der Problemlage

    Matsubara, Ryosuke 19世紀学研究 7 97-107, 2013-03

    ...ドイツ騎士修道会の居城がプロイセン=ドイツの国民記念碑として再建される過程を総括する本書では、中世の歴史遺産を近代的な国民統合の象徴へと再解釈するために予型論的な語りが駆使されている。しかし、予型論的な時間構造を支えるはずのモティーフの中には、近代を「成就」として正統化することに失敗しているものがある。...

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  • 日本の選挙制度

    清水 唯一朗 選挙研究 29 (2), 5-19, 2013

    ...憲法がドイツ(プロイセン),議会制度がイギリスを範型としたのに対し,選挙制度は特定のモデルを持たずに広く各国の制度を検討して,日本の実情に応じて作られたものであった。...

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  • 1870年代前半ドイツ化学工業と環境闘争 : 「住民保護」の頂点

    田北 廣道 經濟學研究 78 (5/6), 17-58, 2012-03-30

    ...の展開、職員・労働者の階層的組織の形成、科学技術的な研究成果の生産への応用などを梃子にして、先端産業の一つとして寡占的大企業の成立をみている(Pohl,1983)。そのような飛躍的発展の一大画期は、1880年代以降の「生産の科学化」(Andersen,1990,p.163) の時期のことだった。しかし、以上のような短期間での化学工業の急成長は、自由な市場条件のもとで進展したわけではない。1845年プロイセン...

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  • 教員養成所と教育アカデミーに対するシュプランガーの見解

    西村, 正登 東アジア研究 9 55-73, 2011-03

    ...しかし、この案は第一次世界大戦後の敗戦によるドイツの財政難から実現されず、当時プロイセン文部省で文部次官や文部大臣を務めていたベッカー(C.H.Becker,1876-1933)によって1926年に設立された2年制の教育アカデミー(Pädagogische Akademie)で実施されることになる。...

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  • フォン=フンボルトの大学は今どこにあるか?

    Morgan Keith J. 大学論集 42 325-344, 2011-03

    ...とは言え, その影響が早々と広まったのは, 当時優勢であったプロイセンでの立地や時宜を得た大学における研究の制度化といったベルリン大学の創設を取り巻く諸事情の方が要因としては大きい。その後の科学や学問の発展並びにその研究倫理により, ドイツ諸大学は, 19世紀において国際的名声を勝ち得ることとなった。そして19世紀末には, その影響は日本や英国, 米国にまで及んだ。...

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  • 1900年代ロシア、ドイツ作製中国地図と外邦図

    山近 久美子, 渡辺 理絵, 波江 彰彦, 鈴木 涼子, 小林 茂 人文地理学会大会 研究発表要旨 2010 (0), 8-8, 2010

    ...本発表では、ロシアやドイツ(プロイセン王国)による軍事測量地図と外邦図との比較を行う。<BR>  日本の陸地測量部設立に影響を与えた、プロイセン王国軍による地図作製は、1700年以降実用的な地図が作製され始め、1875年の陸地測量部設置以降、地形図作製体制が整っていった。ロシアでは、1822年に軍事地形測量技師団が設立された。...

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  • 戦前の高木憲次の療育論の形成における『公的肢体不自由者福祉法』の影響

    趙 没名 社会福祉学 49 (2), 30-43, 2008-08-31

    ...日本における療育施設の法制化は,1947年の児童福祉法の制定によって初めて実現された.同法の制定過程において高木憲次の療育論が大きく寄与したこと,そしてその療育論の構築に高木がドイツのプロイセン州『公的肢体不自由者福祉法』および同法施行令を参考にしたことは,先行研究ではすでに言及されている.しかし,同法の具体像,全体像はまだ解明されていない.本論文では,プロイセン州『公的肢体不自由者福祉法』および同法施行令...

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  • 執政機関としての議会 : 「執政」概念をめぐる批判的考察

    村西 良太 法政研究 74 (1), 45-127, 2007-07-31

    ...はじめに 第一章 「執政」概念の生成と展開  第一節プロイセン国法学における「執政」概念   一 「執政し概念の消失   二 「執政し概念の再生  第二節 ヴァイマル国法学における「執政」概念   一 「執政」概念の国家理論的探究   二 執政権の配分  第三節 小括 第二章 議会と執政一「協働権しとしての執政権一  第一節 基本法下における「執政」概念の受容   一 ヴァイマル国法学の継承と断絶   ...

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  • EUの法秩序について : その定義を求めて

    WAGNER, Helmut, 松川, 克彦〔訳〕 京都産業大学論集. 社会科学系列 24 181-197, 2007-03

    ...著者ワグナー博士は1929年東プロイセン生まれ。テュービンゲン大学より政治学博士号を受ける。シュツットガルト大学でGolo Mann教授の助手を務めた後、1972年ベルリン自由大学の正教授。研究領域は国家、東西ドイツおよび朝鮮の統合問題、ヨーロッパ統合問題等など。この方面に関する著書が多数あり、数カ国語に翻訳されている。日本、アメリカ、中国、ポーランド、韓国などの大学から客員教授として招聘された。...

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