唐棧縞 とうざんじま

工芸技術 染織

  • 選定年月日:19720410
  • 記録作成等の措置を講ずべき無形文化財

 江戸時期の長崎貿易によって印度からもたらされた木綿の縞職物を、桟留島【さんとめじま】、奥縞【おくじま】と称し、江戸時代の都市生活で愛好することの多かったものである。丁度、綿織物が庶民衣料として普及した時代で、舶来の縞木綿を模したものも多く作られ、これを唐桟【とうざん】と呼んだようである。最も盛んに行なわれたのが幕末の武蔵川越地方で、川越唐桟【かわごえとうざん】(川唐)として流行をみた。
 斉藤家に伝承されている唐桟は、明治初年、昭憲皇太后の殖産所で、千葉県印旛郡白井村出身の斉藤茂助が伝習し、以来、館山において三代にわたり、その技法を受け継いでいる。「細番手の二子糸」を使用し、植物染料で染めて平織りにする。赤茶系のタテ縞が多く、「万両」「カツオ」「西川」「乱立」「オランダ」「胡麻」等古典的縞柄を、各種の植物染によって製作を行なっているのは貴重である。

唐棧縞

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