田中圭一×『累』松浦だるま先生インタビュー

田中圭一×松浦だるま先生インタビュー

「漫画家が命を込めた一コマ」にフォーカスした独占インタビュー企画! 第13回は、講談社『イブニング』で『累(かさね)』を連載中の松浦だるま先生に直撃! 田中圭一が「『DEATH NOTE』以来の衝撃を受けた作品」と絶賛する『累』の魅力とは? そして松浦先生が選んだ渾身の“一コマ”とは!?
[インタビュー公開日:2015/11/27]

今回のゲスト松浦だるま先生

松浦だるま先生

神奈川県在住。ゆうきまさみ氏が審査員を務めた「第12回イブニング新人賞」と、宇仁田ゆみ氏が審査員を務めた「第19回イブニング新人賞」でそれぞれ優秀賞を受賞。2013年から『イブニング』(講談社)にて『累』を連載中。本作が連載デビュー作となる。

今回の「一コマ」作品『累』

累

その美貌で演劇界に名声を轟かせた女優・淵透世(ふち すけよ)の娘だが、母とは似ても似つかない醜悪な顔の淵累(ふち かさね)が、「他人の顔を奪う口紅」を使って女優の道を進むサスペンス・ミステリー。「顔が醜い」その一点で誰からも疎まれ中傷を受け続けてきた累が、何人もの美女の顔を奪い人生を乗っ取っていく。人間の「美醜」をテーマに、容姿が生み出す功罪をとことん突き詰めたドラマ性が高い評価を受けている。2014年にはスピンオフ小説『誘』を、松浦先生自身が手がけた。

インタビュアー:田中圭一(たなかけいいち) 1962年5月4日生まれ。大阪府出身。血液型A型。
手塚治虫タッチのパロディー漫画『神罰』がヒット。著名作家の絵柄を真似た下ネタギャグを得意とする。また、デビュー当時からサラリーマンを兼業する「二足のわらじ漫画家」としても有名。現在は京都精華大学 マンガ学部 マンガ学科 ギャグマンガコースで特任教授を務めながら、株式会社BookLiveにも勤務。

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インタビューインデックス

  • 『累』に漂う昭和の香り…その根源はマンガの神様
  • 最大の目標は“感情移入”してもらうこと
  • とにかくインパクトを狙った第2の主人公・野菊
  • 累を照らすスポットライトが意味するものは?
  • ターゲットも“手探り状態”で始めた『累』

『累』に漂う昭和の香り…その根源はマンガの神様

――いきなりですみませんが、松浦先生は本当に新人ですか?

新人です(笑)! 『累』が初めての連載作品です。

――なぜこんなことを訊くのかというと、どう見ても新人の初連載とは思えないくらい、『累』は完成度が高い作品なんですよ。読んだきっかけは、このインタビューコーナーの担当者に「田中さん、この作品は絶対に読むべきです!」って薦められたからなんですけど、いざ読み始めたら、ま~あ止まらない。(インタビュー時点で最新刊の)6巻までノンストップでした。6巻のラストシーンなんて、「えーっ、ここで終わんのー!? やめてよー!」って叫んじゃったくらい(笑)。
この途中で止められない感はかつて2回ほど経験したことがあって。1回目は『ガラスの仮面』、そして2回目は『DEATH NOTE』です。

ありがとうございます。恐縮です。

――あまりに完成度が高いから、「この作者はただ者じゃない。これは絶対どこかのベテランがマンガの中身さながらに絵柄と名前を変えてるんじゃないか」と勘ぐってたんですよ。その正体を見破ることも含めて楽しむ作品なのではと深読みしちゃいました。それくらい引き込まれましたね。

もったいないお言葉です、本当に(汗)。

――松浦先生は、過去にこの企画でインタビューさせていただいたゆうきまさみ先生が審査員を務めた「第12回イブニング新人賞」で、注目されたんですよね。

はい、ゆうき先生に引き上げていただきました。

――そんな松浦先生なんですけど、絵がまた美しい。さすが、美大に通ってらっしゃっただけのことはあります。ところで『累』は、絵とストーリーからどことなく昭和の香りがするんですよね。影響を受けた漫画家というのは?

昭和の感じがするって言うのは、実はよく言われます(笑)。というのも、自分が生まれる以前のマンガが大好きなんです。手塚治虫先生を筆頭に、水木しげる先生や、作品だと『あしたのジョー』『巨人の星』など、物語に読みごたえのある作品が好きなので、その影響かもしれません。

――なるほど、それが引き出しや血肉になってるんですね。イブニングの読者って、何歳くらいが中心なんですか?

30代後半から40代くらいだと聞いています。

――そのあたりの主要読者はもちろんですが、かなり広い年代の人が読めるマンガだと感じました。『累』は絵が綺麗で入りやすく、コマが大きくてフキダシも文字を詰めすぎないので、非常に読みやすいです。

ああ、そこは気をつけているポイントですね。
絵のルーツとしては、『なかよし』で読んでいた『きんぎょ注意報!』(※1)が大好きで、その模写をやり始めた頃から、マンガっぽい絵を描くようになったというのがあります。それがずっと「絵のタイプ」として続いている気がしています。

――先ほど、手塚治虫先生の名前が出ましたが、漫画家を目指そうと思ったきっかけの作品はやっぱり手塚先生なんですか?

明確には覚えていないんですが、小学生になる頃には漫画家になりたいと思っていました。とはいえ、ただ漠然と「描ければいいな」くらいの動機だったものが決意に変わったきっかけは、やっぱり手塚先生です。『ブラック・ジャック』や『火の鳥』を読んで、ものすごいショックを受けたので。

――『火の鳥』って、どうすればこんな設定思いつくの!? というストーリーですもんね。

自分が今、物語を考える立場になると、本当に恐ろしさを感じるほどです。
私は1984年生まれなんですが、物心ついた頃には手塚先生は亡くなってしまって、新聞に「漫画の神様、亡くなる」みたいな見出しが躍っていたことを覚えています。そのあと手塚先生の作品に触れて、「どうして同じ時代に生きていないんだろう」という悔しさを強く感じました。

――『ブラック・ジャック』で、印象に残っているエピソードはありますか?

どの話も大好きですが、ベタなところですけど、恩人の本間丈太郎先生が亡くなる話(※2)とか、人間や動物が小さく縮んで死んでしまう病気と戸隠先生との話(※3)などは特に気に入っています。深く重厚なストーリーを、あのページ数でやってしまうというのが、やっぱりすごいと思いますね。

※1 『きんぎょ注意報!』
1989~1993年に『なかよし』(講談社)で連載された、猫部ねこによるギャグマンガ。都会のお嬢様である千歳と、田舎の中学校に通う中学生・わぴこや、金魚の「ぎょぴちゃん」などが騒動を巻き起こすドタバタコメディ。TVアニメ化もされ、大人気となった。同時期には同誌に『美少女戦士セーラームーン』『ミラクル☆ガールズ』などが連載されていた。
※2 恩人の本間丈太郎先生が亡くなる話
『ブラック・ジャック』(手塚プロダクション)第1巻所収の一編「ときには真珠のように」。ある日、ブラック・ジャックに本間先生から1本のメスが届く。何か理由があるのではと、本間先生を訪ねるが、先生は死の間際で……。「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という本間先生の言葉が深く刺さり、ブラック・ジャックも医者として苦悩するエピソード。
※3 人間や動物が小さく縮んで死んでしまう病気と戸隠先生との話
『ブラック・ジャック』(手塚プロダクション)第15巻所収の一編「ちぢむ!!」。戸隠医師のいるアフリカの研究所を訪ねたブラック・ジャック。動物や人間が、小人のように小さく縮んで死んでしまう謎の病気の解明を求められる。戸隠先生自身も感染し衰弱していく中、ブラック・ジャックは治療方法を見つけようとするが……。この病気が、増え続ける人間に対する「神のおぼしめし」なんだとしたら「医者はなんのためにあるんだ」という、これも医者や医学のあり方を考えさせられるエピソード。

――身体が縮む話もテーマが深いですよね。医学は人の命を救ったけども、今度は人が増えすぎてしまって食糧難になる、そうすると飢餓で死んでしまう。なんのために医者があるんだ、という。あれはベスト10に入るエピソードですね。
なるほど、『累』の骨太なストーリー構成と作品から感じる昭和感、そして手塚先生から強い影響を受けたというのがつながりました。というのは、手塚先生が活躍していた60年代って、30分のTVドラマがいっぱいあったんです。1時間半くらいのドラマの中身を30分間に閉じ込めた濃密なドラマ、つまりシナリオのお手本になるものが身近にたくさんある時代だったんです。だから、昭和のマンガって短い巻数に中身がぎゅっと詰まっていて、読みごたえがあるものが多いんですよ。

なるほど! 確かにそうですね。
私、最初はどうストーリーを作ればいいのか、まったく分からなくて。大塚英志さんの『ストーリーメーカー』など、シナリオづくりについての本もいろいろ読みました。でもある時期に、「自分には奇抜だったり目新しかったりするセンセーショナルなものは描けない。だからあんまり変わったことをしなくてもいい」と思うようになったんです。

――京都精華大学でマンガを教えている立場からすると、「こうすれば才能を発揮できる」という方法があれば、こんなに楽なことはありません。
それができないから、まず自分が好きなものをたくさん読んだり見たりするところから始めるしかないと思っています。読むことで引き出しが増えて、何かの時にその引き出しから何かを取り出せるんですから。松浦先生のストーリーテリングの能力も、昭和のマンガを読み続けた経験の産物なんですよね。

最大の目標は“感情移入”してもらうこと

――『累』を読んで僕が最初に感じたのは、『DEATH NOTE』との共通点なんです。『累』は他人の顔を奪う口紅、『DEATH NOTE』は名前を書かれた人が死ぬノートと、特殊な力を持つアイテムを主人公が手に入れるじゃないですか。そして、使いながら効果や制限を徐々に把握していく。口紅の効果が分からない点において、累と読者が同じ目線なんですよね。この導入は上手いなと思いました。

ありがとうございます。第1話ではまず、累というキャラクターに感情移入してほしかったんです。美醜を扱った漫画はこれまでにもたくさんありますよね。例えば、楳図かずお先生の『赤んぼ少女』(※4)のように、醜い側が美しい側を追い詰めていく話をメインに、最終的には「かわいそうだな」と、醜いキャラクターが同情的に描かれるパターンが多いと思います。でもその場合、読者が感情移入するのは、美しいキャラクターの方なんです。醜いキャラクターに「強く感情移入させる」作品は、おそらくかなり少なくて。でも、自分の顔に対するコンプレックスと、美醜でなくとも、自己に対する何らかの劣等感は、きっと誰もが持っている。それをどうしても描きたかったんです。「累の視点でこの物語を見てほしい」というのが、大きな動機でした。だから、読者と累の視点ができるだけ重なるように描くよう心がけています。

――やっぱり、読者が客観視しちゃうと面白くないですもんね。あと、すごいなと思ったのは、口紅を使った1話完結の復讐劇や成功譚という、読み切り形式で続くのかなと思いきや、早々に羽生田とニナが登場して、大きな話がバーンと始まったところです。骨太なストーリーをガチンコでやるんだというのが伝わってきて、この作品に対する松浦先生の意気込みが感じられたんですよね。

1巻に収録されている回は、1話ないし2~3話で完結するストーリーが多いんですけど、実はニナ編から野菊編にかけて、6巻くらいまでのエピソードは、連載開始時点でもう固まっていたんですね。でも、いきなりそこから始めてしまうと読者がおいてけぼりになってしまうだろうということで、まずは累が口紅を手に入れて演劇の世界に行くまでを描くことにしました。

――その最初の短いエピソードが、イントロとして上手いなと思いました。まず結構テンポよくストーリーが展開したあとに大きなストーリーが始まると、その時のインパクトがすごく大きくなりますから。
また、絵のテイストもいいですよね。80年代後半から90年代初頭ぐらいの雰囲気がすごくあって、何より作品の世界にしっかりマッチしていて。特に主人公の累は、設定上、絶対に必要な「醜い顔」を持ちながらも、ラブリーな側面を兼ね備えている。今風に言うと「キモカワイイ」キャラクターなんですよ。

累のデザインについては、「全然醜くない」とか「キャラに説得力がない」と言われたこともあるんです。でも、醜さをそのまま表現しただけでは、読者は累に感情移入できないと思うんです。ただ醜いだけのキャラクターでは、感情移入できないどころか、無意識に見下してしまうと思うんですよ。この作品のポイントはいかに累に感情移入してもらうかということなので、どこかに「可愛らしさ」や表情の豊かさなど、読者に対してポジティブな要素を入れないといけないと思っていました。

――一方で、美人はしっかりと誰もが認める華やかな顔に描かれています。キャラの内面も、美人なのに中身はすごい悪女とかが出てきて、いわゆるピュアなキャラがほとんど出てこない。そういう腹の中にイチモツ持っているような美女を、松浦先生は本当に上手く描きますよね。

手塚先生が作品の中で「人間は善と悪の両方を持ってるんだ」ということを繰り返し描かれていて、「そうだよね」と納得して読んでいました。そういう「人間像」が焼きついているから、そういう人たちを描いてしまうのかな、とは思います。そういう二面性のあるものに興味があるんです。

――登場人物はほとんど悪いやつなのに、キャラそのものがすごく魅力的だし、ストーリーがよくまとまっているから、全然嫌じゃない。

私の場合、純真無垢なキャラのほうが描きにくいと思います。

――登場人物にリアリティがあるからこそ、読者が感情移入してくれるわけで。『累』は、感情移入できる条件がバッチリ揃った、最近の作品の中でも突出したマンガですよね。

なんか、田中先生には褒められっぱなしで恐縮です(笑)。

――実は、なんで僕がこの作品にここまで共感できるかといいますと、自分の本で恐縮なんですけど(笑)、僕の自伝マンガで『ヤング田中K一』(※5)という作品があって、そのサラリーマン時代のエピソードの中に、こんな話があるんです。
社会人になって2年目ぐらいに、84キロあった体重を半年で64キロまで落として、ブサイク野郎から割とそこそこイケメンになったら、周囲の対応がガラリと変わった。同じことを言っても、前は否定されていたことなのに、痩せたら「それもあるよね」みたいなことを言われたんです。いかに人間は見た目に左右されるかっていうことを、僕は身をもって体験しているわけですよ。だから、『累』は説得力が半端ないんです(笑)。

まさか身をもって体験されているとは(笑)。

――だからこそ、序盤で累がいじめられていて、本当は役者としての才能があるのに、そこにみんなの目がいかないというところも、人間っていうのはやっぱり外見でフィルターをかけてモノを見るものだと感じましたね。

はい、そこは嘘をつきたくないと思って。

――この手の話は、どうかすると「人間っていうのは外面じゃないんだよ、心なんだよ」という方向に流れていきがちですが、そうではなく、あくまで醜さで虐げられていくというのが現実だなと思います。そして、外見が変わると周りの反応が変わり、反応が変わると内面も変わる。

外見は他人にも影響を及ぼしますし、自分にも影響を及ぼしますよね。そしてどちらかというと、自分への影響の方が多いのではないかと思います。『累』でも、累自身への影響の大きさが、割合として占めていますね。

※4 『赤んぼ少女』
不幸にも産院で取り違えられて孤児院で生まれ育つことになった葉子だが、実は資産家の娘であることが分かり、打って変わって裕福な生活をすることになった。しかしその家には、赤ん坊の姿のまま成長せず、幽閉されている姉・タマミがいた。1967年に『少女フレンド』で発表、のちに『のろいの館』に改題された楳図かずおの伝説的ホラーマンガ。
※5 『ヤング田中K一』
田中圭一が玩具メーカーの営業マンだった頃を舞台に、お下劣エピソード満載で描いた自伝的マンガ。目次ページによると「97%の実話に3%の脚色を加えて」いるらしいが、いろんな問題が発生するので、表向きはフィクションであると書かれている。「思い出写真館」では、貴重なプライベートショットの数々に加え、自身の体重情報も赤裸々に掲載。

とにかくインパクトを狙った第2の主人公・野菊

――『イブニング』は月2回刊ですよね。1回あたりの原稿は何ページでしたっけ?

20ページくらいですね。だから月に約40ページです。

――なるほど……。やっぱり大変ですか?

そうですね。毎月ヒイヒイ言ってます(笑)。アシスタントさんに助けていただきながら何とかという感じです。

――『累』は長いプロットがあるわけじゃないですか。物語の結末があって、その途中を埋めていくように作っているんですか?

漠然とした全体のストーリーと、同じく漠然としたエピソードのアイデアがあって、それをどう繋いでいくかという感じですね。

――原稿を描くときは、どんなアプローチで進めるんですか?

各エピソードごとに細かいアイデアが浮かぶ時、頭の中では絵を描いているんですけど、いきなりネームにするのではなく、まずは文字で書き起こしているんです。まず文章でアイデアを書き出して、そこから余計なものを削って、なんとか20ページに収めるパターンですね。その削る作業がやっぱり大変です。

――ネタの取捨選択って毎回悩みますよね。その点において、松浦先生が敬愛する手塚先生は、ほかの漫画家が束になっても敵わないんですよね。あれだけのテーマとドラマを18ページに収めて、それを大量に残してるんですから。

美しいですよね、本当に。手塚マンガを見て育ってきたので、私も無駄なコマを作りたくないというか、凝縮したいなと思っています。

――『累』は大きいコマを多用していて、テンポ良く読めるんですよね。そして、ここぞというときには見開きでドカンとインパクトのある見せ方をしてくる。これは、やっぱり省略すべき点をすごく分かっているんだなと思うんです。松浦先生流の取捨選択のポイントはありますか?

各エピソードで、自分が何をテーマにしているか、表現したいことを1つに絞ると何が残るかっていうことを意識すると、おのずと削るところも見えてくるんじゃないかと思っています。すごく基本的なことですが。

――取捨選択の話が出ましたけど、『累』で最重要人物にあたる「野菊」。彼女は、第4巻でいきなり出てくるじゃないですか。野菊初登場の回は、構成に悩みませんでしたか?

おっしゃるとおり、すごく悩みました(笑)。

――あの回は、読者に大きなインパクトを与えましたよね。主人公の累が出てこなくて、野菊をはじめ初顔のキャラが次々登場する。彼女たちが累とどう関係していて、それをどう読者に分からせるかって、構成の順番がかなり重要だと思うんですよ。その時の苦労話があれば、ぜひ聞かせてください。

私としては、とにかく野菊を出したくてしょうがなかったんです。でも、私は野菊の存在を知っていますが、読者にとっては「初登場」じゃないですか。その距離感をうまく解消してあげないといけない。
ただこの回は、野菊という淵透世に瓜二つの顔をした人がいて、厳しい顔つきですごく不穏なことを考えているらしい……という「説明」はできたんですけど、もっとうまくできたんじゃないかと、いまだに思っているんです。そのあたりの演出は、本当に難しいです。

――でも、読者が受ける衝撃は大きかったと思いますよ。それこそ『DEATH NOTE』でミサが出てきた回に匹敵するぐらい(笑)。デスノートってもう1冊あったの!? という驚きです。
だって、読者はまったく予想してないわけですもんね。今回は累が何をするのかと思って期待してページを開いたら、「何か主人公みたいな新キャラが出てきた!」って。そしてストーリーが進むごとに、累と野菊をつなぐ線に累のお母さんが登場したりと、一気に展開するじゃないですか。これはやられたなぁ。

とにかく、野菊の登場は「派手じゃないと!」「1話まるごと使って説明するくらいじゃないと!」と思って描きました。

累を照らすスポットライトが意味するものは?

――それでは、本題の「一コマ」です。松浦先生が挙げてくれたこのコマは……。まさに僕が「勘弁してくれよ!」と思った、第6巻・第53話「どん底」のラストシーンです。絶望に打ちひしがれた、文字通り「どん底」の累が、1人街灯の下でたたずむ1枚。

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