八、「物語」の検証 | 木の葉が沈み石がうく

 聡香の父との面会に関する「物語」の検証に入ろう。

 『週刊新潮』の記事と、彼女の著書の発言を見比べれば、最初はおそるおそる、

 「看守には聞こえないが、私にだけ聞こえるような、空気だけを振動させる感じの声でした」
 と、言い逃れのできる内容の嘘をついている。一転、本になると会話を普通に交わしたかのように物語が進行している。

 「名前呼ばれたと思ったのは、勘違いだったんじゃないの?」とでも突っ込みが入ったのかもしれない。

 また、聡香が「物語」を進行させたのは、わたしが知る限り、『FLASH』2010年3月30日号からである。弁護人のみならず家族の誰も父と面会ができなくなった2008年6月10日から、およそ1年9カ月後。聡香は、新たな面会者がいなくなり、父の「現在」の状況を訴える人が消えるのを待っていたのだろうか。

 以下わたしの知る事実を列挙するので、聡香の発言と照らし合わせていただきたい。真実は皆さんご自身で判断していただけると幸いである。

  1. きょうだいすべて、父との意思疎通は不可能だった。我々と共に面会していたとき、聡香も当然、意思疎通は不可能だった。

  2. 優に100回以上接見・面会をしている松井先生も、他の控訴審弁護人も、一度も父との意思疎通に成功していない。刑事訴訟脳第39条はいわゆる「秘密交通権」を保証しており、弁護人は父と立ち会いなく接見・面会できたにも関わらずである。そもそも父が「病気だと覚悟したほうがいい」と最初におっしゃり、目を覚ますきっかけを下さったのも松井先生だった。

  3. 10人近くの精神科医すべて、父との意思疎通に成功していない。この中には、裁判所側「鑑定人」西山氏も含まれる。彼もまた一度として父との意思疎通に成功していない。そのため、「ものを握ったら訴訟能力がある」という独自の概念を生みだしたのである。

  4. 裁判所が弁護人の承諾なく父を面会したときも、「通常人のような相づちを発し説明を理解しているように思われた」(朝日新聞2004年12月18日)と、父が音を発することをもって意思疎通とこじつけたのであって、聡香のように名前を呼ばれた、会話を交わしたというようなレベルのことはさすがに言っていない。

  5. 父が何らかの音を発すれば、刑務官はすべてを書き記す。接見記録のねつ造時のように、こじつけられるものがないか、いつも耳をそばだてている状態である。刑務官は面会中、父の最も近くにいる人間である。父と聡香がアクリル板で区切られ、距離も離れている一方、刑務官は父にべったりと張り付いている。刑務官に気づかれずに、父にだけ伝わる会話をすることは、物理的に不可能である。父は一挙手一投足を監視されている。