まだ何をどう書けば良いか気持ちの整理がついていない感じですが、今日書かねばいけないと決心し書くことにしました
船木の事務所の先輩であり尊敬してやまない川上とも子さんが九日に亡くなりました
享年41歳
ずっと病気療養していたのは知っていました
三年以上の闘病生活の果てに亡くなったとも子さん
三年以上闘病生活が出来たことは奇跡に近いようです
様々な治療を施し全力を尽くした結果ならば仕方ないとは思いますが…しかし、病気が完治し復帰することは叶わなかった…
どんな思いでこの世を去ったのかと考えると、さぞかし無念であったのではと船木は思います
最後に会った二年前の際には『必ず病気を治して現場に復帰するからまた現場で会おうね(*^_ ’)』と言っていたのに…
笑顔で話していた姿を思い浮べると船木は何も言えません
誰からも好かれる性格で、お芝居が好きで優しい人、でも実は誰よりも情熱的で熱い方でした
船木が事務所に入った時には既に第一線で大活躍中
『ヒカルの碁』が大ブレークしていた頃ですね
船木はその以前から川上さんに憧れていて代表作の一つ『少女革命ウテナ』などを観ていました
そして、いつか必ず一緒に仕事をするんだ!と養成所の時からずっと思い描き続けていました
そして養成所を卒業しようやく仕事をし始めた船木でしたが、そんな機会はなかなか訪れませんでした
しかし念願叶いCDドラマで初めて会う機会があり、喜び勇んで挨拶に行った際『川上とも子です、よろしくお願いしますm(__)m』と丁寧に挨拶してくださったのを今でも思い出します
それからはアニメや洋画でお会いする機会が何度もあり、その度にお話をさせて頂き嬉しくて仕方がなかったです(≧▼≦)
ある時、船木宅へ来る用事があり黄色の格好良いスポーツカーでいらした事があって『船木くん、車どこに置いたら良い?』と聞かれアパートに住む船木は『すみません、置くところ無いので少し離れていますが道が広いところに置いて下さると助かります(^^ゞ』と船木が言うと『わかった(*^_ ’)』との返事とともにブロローン!と素早いハンドル裁きで少し離れた道に置いて下さった姿は目茶苦茶格好良かったのを思い出します
車のレーシングも好きで運転も上手かったんですよ
当時川上さんがパーソナリティーを勤めていたインターネットラジオうさみみラジオなどもまだパソコンが無かった船木はわざわざネットカフェや友人宅に行って聴いていました
うさみみラジオというタイトルにもなっている川上さんが飼っていらしたうさぎ『マーブル』が亡くなって辛い思いをしていた際にやってきたのが後に『アポロ』と名付けられたワンちゃん
マーブルもアポロも実はお菓子から名付けられたのですよ
どちらもチョコなんです(笑)
アポロ君はそういえばチョコみたいな色でしたね(*^_ ’)
船木が犬が大好きだと話したら『じゃあ今度アポロの写真送ってあげる(*^_ ’)』と言って送ってくださったのは一ヵ月後ぐらいでした(笑)
たぶんお忙しいから忘れていたのでしょうが、ちゃんと送ってくださり嬉しかったですね(*^_^*)
船木が芝居や仕事の事で悩んでいた時期に『毎日の鍛練が大事なんだよ、短い時間でも良いから滑舌練習や腹筋鍛えたりしてお仕事に備えるのがプロなんだから』とアドバイスして下さったのも忘れません
とも子さんは本当にお芝居が好きでそして誰よりも熱い方でした
普段はとても優しいですが、熱くなると口調が変わるくらいでしたから
しかし、もうその姿を見ることは叶わなくなりました
昨日教会でのお通夜に出席してきました
先日友人の結婚式で訪れた教会とは違いとても大きくて広かったです
本当に沢山の業界関係者の方々がいらっしゃっていました
どれだけとも子さんが多くの方々に慕われていたかが窺い知れます
そして沢山の花に囲まれた中でとも子さんは棺の中にいらっしゃいました
お姿は拝見できませんでしたが、きっと安らかにお眠りだったと思います
お母様が最後に来てくださった方に感謝を述べてお話をされましたが、『とも子はきっと向こうでも声優として皆さんを喜ばしていると思う』とおっしゃっていました
船木もそう思います
とも子さんなら大好きな声優の仕事をまたなさると思いますから(*^_ ’)
献花の際棺に向かい祈りましたが退出する際、とも子さんのお写真があったのを見て一礼してきましたm(__)m
感謝の気持ちと今までお世話になったお礼を込めて…
外に出ると事務所の先輩や一緒に来た同期と少し話しました
泣いてる方もいました
船木も献花をする際涙が出ました
まだやりたいことが沢山あったはずなのに、悔しかっただろうしさそがし無念であったのではと…
悔しい気持ちや淋しい気持ちが入り交じり涙が出ました
闘病生活で撮った写真が飾られていましたがその顔は笑顔でした(*^_^*)
もう一度だけ会っておきたかったです
船木の大好きな先輩であり憧れの存在、強くて優しいとも子さんに…
いつかまたお会い出来るのならその時はまた教えを請いたいですね
『船木君、少しは成長したの?(*^_ ’)』って言われると思うのでその時まで今からしっかり精進しないととも子さんに笑われちゃいますから頑張らなくちゃ!!
そして会って伝えられなかったので最後にメッセージを書きます
とも子さんへ
『とも子さん、今まで本当にお疲れさまでした。今頃はもう向こうへ旅立たれたのでしょうか?アポロ君はきっとお母さんと元気に暮らしていくと思うのでご心配なく。船木がそちらに行くまで先に逝かれた皆さんと賑やかに暮らしていてください。声優のお仕事もきっと続けられるはずでしょうし、いつか共演させてくださいね。大好きだったとも子さんが天国に無事行けることをお祈りしています。いつかまたお会い出来ることを夢見て…』
これから船木はまだまだ精進し、とも子さんに教わったことを大切に胸に刻み、声優の仕事に励もうと思います
とも子さんに恥をかかせる訳にはいきませんからね
とも子さんのようには無理でも、一流の役者を目指し頑張ります!!!
どうか安らかにお眠り下さい
いつかまた会える日を楽しみにしています
船木はあなたの後輩であったことを一生誇りに思います
さよならは言いません
本当にお疲れ様でした、とも子さん
船木真人
船木の事務所の先輩であり尊敬してやまない川上とも子さんが九日に亡くなりました
享年41歳
ずっと病気療養していたのは知っていました
三年以上の闘病生活の果てに亡くなったとも子さん
三年以上闘病生活が出来たことは奇跡に近いようです
様々な治療を施し全力を尽くした結果ならば仕方ないとは思いますが…しかし、病気が完治し復帰することは叶わなかった…
どんな思いでこの世を去ったのかと考えると、さぞかし無念であったのではと船木は思います
最後に会った二年前の際には『必ず病気を治して現場に復帰するからまた現場で会おうね(*^_ ’)』と言っていたのに…
笑顔で話していた姿を思い浮べると船木は何も言えません
誰からも好かれる性格で、お芝居が好きで優しい人、でも実は誰よりも情熱的で熱い方でした
船木が事務所に入った時には既に第一線で大活躍中
『ヒカルの碁』が大ブレークしていた頃ですね
船木はその以前から川上さんに憧れていて代表作の一つ『少女革命ウテナ』などを観ていました
そして、いつか必ず一緒に仕事をするんだ!と養成所の時からずっと思い描き続けていました
そして養成所を卒業しようやく仕事をし始めた船木でしたが、そんな機会はなかなか訪れませんでした
しかし念願叶いCDドラマで初めて会う機会があり、喜び勇んで挨拶に行った際『川上とも子です、よろしくお願いしますm(__)m』と丁寧に挨拶してくださったのを今でも思い出します
それからはアニメや洋画でお会いする機会が何度もあり、その度にお話をさせて頂き嬉しくて仕方がなかったです(≧▼≦)
ある時、船木宅へ来る用事があり黄色の格好良いスポーツカーでいらした事があって『船木くん、車どこに置いたら良い?』と聞かれアパートに住む船木は『すみません、置くところ無いので少し離れていますが道が広いところに置いて下さると助かります(^^ゞ』と船木が言うと『わかった(*^_ ’)』との返事とともにブロローン!と素早いハンドル裁きで少し離れた道に置いて下さった姿は目茶苦茶格好良かったのを思い出します
車のレーシングも好きで運転も上手かったんですよ
当時川上さんがパーソナリティーを勤めていたインターネットラジオうさみみラジオなどもまだパソコンが無かった船木はわざわざネットカフェや友人宅に行って聴いていました
うさみみラジオというタイトルにもなっている川上さんが飼っていらしたうさぎ『マーブル』が亡くなって辛い思いをしていた際にやってきたのが後に『アポロ』と名付けられたワンちゃん
マーブルもアポロも実はお菓子から名付けられたのですよ
どちらもチョコなんです(笑)
アポロ君はそういえばチョコみたいな色でしたね(*^_ ’)
船木が犬が大好きだと話したら『じゃあ今度アポロの写真送ってあげる(*^_ ’)』と言って送ってくださったのは一ヵ月後ぐらいでした(笑)
たぶんお忙しいから忘れていたのでしょうが、ちゃんと送ってくださり嬉しかったですね(*^_^*)
船木が芝居や仕事の事で悩んでいた時期に『毎日の鍛練が大事なんだよ、短い時間でも良いから滑舌練習や腹筋鍛えたりしてお仕事に備えるのがプロなんだから』とアドバイスして下さったのも忘れません
とも子さんは本当にお芝居が好きでそして誰よりも熱い方でした
普段はとても優しいですが、熱くなると口調が変わるくらいでしたから
しかし、もうその姿を見ることは叶わなくなりました
昨日教会でのお通夜に出席してきました
先日友人の結婚式で訪れた教会とは違いとても大きくて広かったです
本当に沢山の業界関係者の方々がいらっしゃっていました
どれだけとも子さんが多くの方々に慕われていたかが窺い知れます
そして沢山の花に囲まれた中でとも子さんは棺の中にいらっしゃいました
お姿は拝見できませんでしたが、きっと安らかにお眠りだったと思います
お母様が最後に来てくださった方に感謝を述べてお話をされましたが、『とも子はきっと向こうでも声優として皆さんを喜ばしていると思う』とおっしゃっていました
船木もそう思います
とも子さんなら大好きな声優の仕事をまたなさると思いますから(*^_ ’)
献花の際棺に向かい祈りましたが退出する際、とも子さんのお写真があったのを見て一礼してきましたm(__)m
感謝の気持ちと今までお世話になったお礼を込めて…
外に出ると事務所の先輩や一緒に来た同期と少し話しました
泣いてる方もいました
船木も献花をする際涙が出ました
まだやりたいことが沢山あったはずなのに、悔しかっただろうしさそがし無念であったのではと…
悔しい気持ちや淋しい気持ちが入り交じり涙が出ました
闘病生活で撮った写真が飾られていましたがその顔は笑顔でした(*^_^*)
もう一度だけ会っておきたかったです
船木の大好きな先輩であり憧れの存在、強くて優しいとも子さんに…
いつかまたお会い出来るのならその時はまた教えを請いたいですね
『船木君、少しは成長したの?(*^_ ’)』って言われると思うのでその時まで今からしっかり精進しないととも子さんに笑われちゃいますから頑張らなくちゃ!!
そして会って伝えられなかったので最後にメッセージを書きます
とも子さんへ
『とも子さん、今まで本当にお疲れさまでした。今頃はもう向こうへ旅立たれたのでしょうか?アポロ君はきっとお母さんと元気に暮らしていくと思うのでご心配なく。船木がそちらに行くまで先に逝かれた皆さんと賑やかに暮らしていてください。声優のお仕事もきっと続けられるはずでしょうし、いつか共演させてくださいね。大好きだったとも子さんが天国に無事行けることをお祈りしています。いつかまたお会い出来ることを夢見て…』
これから船木はまだまだ精進し、とも子さんに教わったことを大切に胸に刻み、声優の仕事に励もうと思います
とも子さんに恥をかかせる訳にはいきませんからね
とも子さんのようには無理でも、一流の役者を目指し頑張ります!!!
どうか安らかにお眠り下さい
いつかまた会える日を楽しみにしています
船木はあなたの後輩であったことを一生誇りに思います
さよならは言いません
本当にお疲れ様でした、とも子さん
船木真人