中学時代ユージンとバンドを始めたのはロック好きが高じてのことだが
同時にダンスミュージックが爆音で流れる場所で人が楽しそうに踊るのを
一緒に体感するのが大好きな 洋ポルノ好き小僧だった。
歌詞にもよく使っているコトバ
「DISCO」
これにまつわる話を。
♪デアーズ・サムシン・インマイハウス, マイハウス♪
♪イッツ・ア~シ~ン♪
♪ト~イボ~イ, ト~イボ~イ♪
かつてユーロビート全盛の頃
東京は「ディスコ天国」だった。
毎月というくらいデビューする新人たちの楽曲に関しては
ストック,エイトキン&ウォーターマン
というプロデューサーチームの独壇場。
しかも全てがヒットに繋がってたもんだから
なんなんだ、このスゴイ3人組は... とひたすら感心したもので。
当時15才だったか
ひょんなことから知り合った看護婦のお姉様。
まだチェリ~ボ~イだったボクを連れてってくれたのが
渋谷のビッグ・アップル
場所はセンター街のモロ入り口。
そう、現在のTSUTAYAの6Fにあたるフロアである。
いま思へば おもしろいのが
お立ち台でパラパラをご披露するのは
ボディコンレディース様だけじゃなかった。
黒服をまとった兄さんチーム がいて
カレラも立派な踊りの「センセイ」だったのである。
それからというもの
そのお姉様には大変お世話になり
高校ではいじめられた1年間もあったが
週末の夜だけは身も心もフリーになれるジブンがいた。
ラスカラにニューヨーク・ニューヨーク
ゴールドにオーヴァー
キング&クイーンにレキシントン・クイーン
エムカルロにグラムス...
90~92年あたりのパーティー・シーンてのは
それこそウッドストック世代がヤリを投げつけたくなるような
「マテリアル・ワールド」が全開だったように思える。
昔からいわゆる「イイ女」系だったマリと
ちょこちょこフロアで出くわすようになったのは
この頃だったなあ。
ユージンが10代から20代中盤にかけ
新宿の名ロック酒場「Rolling Stone」に入り浸る間に
東京の「ディスコ天国」は徐々に消えていき
「クラブ王国」へと模様替えしていく。
ボクの裸のアイドルといえば
デイブ・リー・ロスから
ピート・バーンズ
そしてアンソニー・キーディスに。
ボクの日本女性の好みなら
ボディコンお姉様から
POLOシャツ&チノパン短大生
そして麗しきOLへと。
加齢とともに当たり前の様に替わってきたのだが
今後も音楽を続けるにあたって
ディスコへのパッションとリスペクトが消え去ることはない。
その華やかでイヤらしいフィーリングは
いつの時代にも必要な要素でありうるモノだし
こんなジブンを
チェリ~ボ~イからブギ~ボ~イへと成長させてくれた
まさに青春ナイト・グラフィティなのだから。
Disco is disco... still alive still alive.