'19/5/24   
新潟地震の教訓(1) 目次
吉見 吉昭

 1964年新潟地震から間もなく55年になります。この地震は,新潟市における大規模な液状化被害が詳しく観察され,地震・地盤工学に貴重な教訓を与えた点で意義深いものでした。2014年9月,神戸市で開かれた日本建築学会大会では,「新潟地震から50年―液状化地盤における基礎構造耐震設計の進展と課題―」と題する構造部門(基礎構造)のパネルディスカッションがありました。ここでは,この地震で得られた液状化に関わる教訓について振り返ってみようと思います。

 この地震は,1964年6月16日の午後1時2分に,新潟市の北約50km,深さ約40kmで起った地震で,マグニチュードは7.5,新潟市での旧気象庁震度階はV(強震)でした。信濃川左岸の川岸町にあった鉄筋コンクリート4階建てアパート(写真の建物の隣棟)の地下と屋上に強震計が設置されていましたが,その記録によれば,最大水平加速度は約160ガル(重力加速度の約16%),最大上下加速度は約50ガルでした。ちなみに,建築物の耐震設計では,約200ガルの水平加速度による慣性力が静的に加わるものとしていましたので,その範囲内にありました。

 新潟市は,沖積層が非常に厚く堆積する地域にあります。日本海沿岸部にある砂丘地帯以外では,N値5以下というきわめてゆるい砂が表層を広く覆い,場所によっては10mを超える深さに達しています。地下水位は1m程度の浅いところにありました1)

川岸町アパート

 新潟市内の鉄筋コンクリート建物の22%に相当する340棟が被害を受けましたが,その約2/3は,建物構造にはほとんど損傷を受けないまま,全体として沈下または傾斜しました。残りの1/3については,建物構造に被害がありましたが,その主要原因は基礎の不同沈下でしたから,やはり地盤と関係が深かったことになります。建物のほかにも,橋脚,オイルタンク,盛土,地下構造物などが砂地盤の液状化に起因するとみられる被害を受けました1)

徹底した調査

 建設技術者は,液状化によるドラマチックとも言える被害に大きなショックを受け,大挙して現地に赴き,精力的な調査を行いましたが,つぎの理由によって,極めて価値の高い調査記録が多く得られています。

  1. 死者数が少なく,自然災害の責任を咎めない大らかな世相ということもあって,自由な調査が許された。
  2. 夏の白昼であったため,被害の様子が多くの人によって観察された。
  3. 細粒分の少ない砂が堆積した比較的単純な地層において,地震の数年前にJIS化された標準貫入試験法による信頼できるN値のデータがかなり蓄積されていた。
  4. 被害地域の規模が限られていたため,無被害施設を含む全数調査が行われた。

 a.は訴訟問題などのため調査が制限されることのある最近の地震と比べて,b.は真っ暗な1月の早朝に起った1995年阪神・淡路大震災と比べて大きな違いです。さらに幸運だったことは,たまたま空中写真撮影のため新潟空港で待機しておられた写真家の弓納持(ゆみなもち)福夫氏が,空港ターミナルビルが,周囲から砂と水を噴き出しながら沈下する映像を8ミリカメラで撮影したほか,被害直後の市内の様子を空中から撮影して,貴重な記録を残したことです2)。また,信濃川左岸の新潟明訓高校の生徒だった竹内寛氏は,校庭での噴砂などの写真を多数撮影しました3)。c.は,地層の単純さと地震前のN値の存在が,その後の液状化発生条件の評価の信頼性を高めたことに大きな意味があります。若年労働力が豊富だったこともあって,自由落下法(トンビ法)が用いられた例が多かったようです。d.は,建設省建築研究所の大崎順彦博士(1921〜1999)が当初から重要視しておられた調査目標の一つでした。

定説の落し穴:砂地盤の支持力

 昭和大橋

 新潟地震より前は,建築基礎を支持する地盤として,砂は粘土と比べて間隙率および圧縮率が低いので,問題が少ないと考えられていたほか,地震のような動的荷重に対する安全率は,静的な荷重に対する値の半分の1.5でよいことになっていました。1960年に改訂された「建築基礎構造設計規準・同解説」には,ゆるい砂が液状化する可能性について述べられていましたが,やや遠慮がちな表現だったためか,深刻に受け取られなかったことは残念でした。過去の地震で噴砂などの記録があり,室内実験でかなり詳しく観察されていた液状化現象が,これほど大規模に起って,現代都市施設に大きな被害を与えることが,後で述べる少数の先覚者以外には予想できなかったことになります。上の写真の建物は,杭を使わずに建てられていましたが,杭はあっても,長さが不十分なために沈下・傾斜した建物は相当数ありました1)

静定構造物の弱点

 信濃川に架かる橋のうち,竣工したばかりの昭和大橋の桁が上の写真のように落ちた一方で,地震の35年前の昭和4年に架けられた万代橋(下の写真)の被害が軽かった事実は,構造物のねばり強さの重要性を雄弁に物語っています。すなわち,万代橋では,多スパンのアーチ橋(鉄筋コンクリート)がニューマティックケーソンのマッシブな基礎で支持されていたのに対して,昭和大橋では一端ピン支承,他端ローラー支承の「単純梁」がそれぞれ1列の鋼管杭からなる橋脚によって支持されていました。単純梁のような「静定構造物」は,不等沈下の影響を受けにくいという利点がある反面,反力が一つでも欠けると,不安定になるという宿命をもっています。(マクロにみれば,転倒した上の写真の建物も,「片持ち柱」という静定構造物でした。)

 阪神・淡路大震災や東日本大震災でも経験したように,設計時に想定した地震動を上回る強い地震動を受ける可能性は常にあるわけですから,構造物を「ねばり強い」(冗長性のある)不静定構造物にすることが,不確定性の高い地震と地盤を対象とする液状化対策ではとくに重要だといえます。

先見の明

 
学会などで作成した設計規準・指針に左右されない独自の判断に基づいて,新潟市の砂地盤は危険であると予測し,対策を講じた先覚者が少なくとも三人おられました。東京タワーの共同設計者としても有名な早稲田大学の内藤多仲教授(1886〜1970)は,建築耐震設計の第一人者でしたが,新潟市役所の設計・施工を指導された際,「基礎下の砂が逃げないように」地下室掘削用のシートパイル(鉄筋コンクリート)を長めに打込んで,そのまま埋め殺す工法を採用させました4)

 鉄道技術研究所の斉藤迪孝さん(1916〜2010)は,新潟駅の建物が設計された際,地盤調査結果を見て,液状化の可能性ありと判断し,対策として十分な長さの杭基礎を推奨したそうです。そのお蔭で付近の建物が大きな被害を受けたにもかかわらず,ほとんど無被害でした。

万代橋の現況(新潟大学の保坂吉則氏提供)

 もう一人の先覚者は,東京大学土木工学科の最上武雄教授(1911〜1987)です。地盤工学がご専門の先生は,1948年福井地震でのご経験に基づくと思いますが,新潟市のゆるい砂は液状化の可能性が高いと判断され,オイルタンクを支持する地盤をバイブロフローテーション工法によって締め固めさせました1)。そのお蔭で,地盤改良を行わなかったタンクが大被害を受けたにもかかわらず,そのタンクはほとんど無被害でした。

地震直後のメディアの反応

 地震の発生からわずか12日後の6月28日号の『朝日ジャーナル』(pp. 6-7)に掲載された「新潟地震の残した教訓」という記事を読みますと,

のように,最近とは違って批判的な論調でなかったことが分かります。

 「液状化による減災効果」と「予期されなかった効果」については新潟地震の教訓(2)をご覧ください。


  1. 吉見吉昭:『砂地盤の液状化(第二版)』,技報堂,1991
  2. 地盤工学会:『1964年新潟地震液状化災害ビデオ・写真集』(CD-ROM),丸善,2004
  3. 日本地震工学会・関東学院大学若松研究室:『1964年新潟地震直後に撮影された写真に基づく液状化被害の状況』,2014(日本地震工学会のホームページからダウンロード可能)
  4. 吉見吉昭:『地盤と建築構造のはなし』,技報堂,2006,p.138 (ここで鋼製のシートパイルと書かれているのは誤り)