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きむら くすやた

木村久寿弥太

きむら くすやた

1865.12.2(慶応1)〜 1935.11.23(昭和10)

明治・大正・昭和期の実業家(三菱)

埋葬場所: 11区 1種 1側

 土佐郡石井村(高知市)出身。高知藩士の田岡享一の二男。長男の田岡典章は実業家であり、その妻の寿子は社会福祉事業家。社会評論家の田岡嶺雲は三男。叔父の木村漸の養子。
 1890(M23)東京都帝国大学法学部政治科卒業し、三菱(資)に入る。長崎、神戸各支店長を経て、三菱鉱業、製紙、製鉄の各部長を歴任。'20(T9)6月取締役となり専務理事、'22総理事となる。 三菱鉱業、三菱製鉄会長などを兼任、日本工業倶楽部創立会員、日本商工会議所顧問などを歴任し、三菱グループで最高の機関に参与、重きをなした。31(S6)創立の全国産業団体連合会に団琢磨とともに顧問に就任。 死去するまで三菱財閥の中枢としてその運営にあたった。'32(S7)6月辞任、以来同社最高諮問機関の社長室会議員を務める。病没。享年71歳。
 なお、高知市旭3丁目の邸宅は15000円とともに高知市に寄贈され'37(S12)木村会館として再生された。生誕地碑は田岡嶺雲の碑とともに高知市赤石町にある。 妻は鮎川義介(10-1-7-1)の姉。甥は直木賞作家で小説家の田岡典夫。

<高知県人名事典>


*田岡嶺雲の墓は日光市浄光寺と高知市旭天神町の通称田岡山の2ヶ所にある。田岡山には田岡典章と田岡典夫も眠る。

*久寿弥太の墓は、大きな倉状の納骨堂であり、正面に木村家塋と記されているのみで、久寿弥太おろか納骨者の名は刻まれていない。


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